聖書日課 箴言
聖書日課 箴言31章(新共同訳 旧約pp.1032-1033) いよいよ箴言の最終章である。ここには、「王たるもの」への忠告の言葉(1~9節)と、「有能な妻」の教え(10~31節)が記されている。その中で、30節に心が留まった。 「あでやかさは欺き、美しさは空しい。主を…
聖書日課 箴言30章(新共同訳 旧約pp.1030-1032) 「貧しくもせず」、これは誰もが願い祈ることではないか。しかし、大切なのはその理由である。 「二つのことをあなたに願います。わたしが死ぬまで、それを拒まないでください。むなしいもの、偽りの言葉を/…
聖書日課 箴言29章(新共同訳 旧約pp.1029-1030) 本章では「怒り」について多く教えられている。 「不遜な者らが町に騒動を起こす。知恵ある人々は怒りを静める」(8節)。 「怒りやすい人はいさかいを引き起こし/激しやすい人は多く罪を犯す」(22節)。 「怒り…
聖書日課 箴言28章(新共同訳 旧約pp.1027-1028) 「その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。『どこにいるのか』。彼は答えた。『あなたの足…
聖書日課 箴言27章(新共同訳 旧約pp.1026-1027) 自慢話ばかりする人、自分のことばかり話す人と一緒にいるのは大変である。箴言は、自画自賛を戒め、「他人にほめてもらえ」と教えている。 「自分の口で自分をほめず、他人にほめてもらえ。自分の唇でではな…
聖書日課 箴言26章(新共同訳 旧約pp.1025-1026) 1節から12節まで「愚か者」についての教えが続いている。 「夏の雪、刈り入れ時の雨のように/愚か者に名誉はふさわしくない。鳥は渡って行くもの、つばめは飛び去るもの。理由のない呪いが襲うことはない。馬…
聖書日課 箴言25章(新共同訳 旧約pp.1023-1025) 25~29章は「ソロモンの箴言」(補遺)となっている。本章には、人間関係に関する警告と勧めが多く記されている。 「王の前でうぬぼれるな。身分の高い人々の場に立とうとするな。高貴な人の前で下座に落とされ…
聖書日課 箴言24章(新共同訳 旧約pp.1022-1023) 悪意ある人によって苛々させられたり、「怒りを覚えたり」するのは、人生の常である。しかし、箴言は「悪者のことに心を燃やすな」と教える(1節)。「悪者」に対抗して躍起になることは、結局その悪意に巻き込…
聖書日課 箴言23章(新共同訳 旧約pp.1020-1022) 「賢人たちの言葉」が続く。まず「支配者」や権力者と関わる時の注意が述べられている。 「支配者と共に食卓に着いたなら/何に直面しているのかをよく理解せよ。あなたが食欲おうせいな人間なら/自分の喉に…
聖書日課 箴言22章(新共同訳 旧約pp.1019-1020) 22章は、前半の16節までが10章から続いてきた「ソロモンの箴言」の最後の部分で、17節からは「賢人たちの言葉」が記されている。 「名誉は多くの富よりも望ましく/品位は金銀にまさる」(1節)。 1節では、良い…
聖書日課 箴言21章(新共同訳 旧約pp.1017-1019) 人生は不思議である。私達は、自分の思うままに生きているように思っていても、生まれや育ちや性格のような先天的な条件に影響され、また人との出会いや事件などの後天的な出来事によっても大きな影響や制限を…
聖書日課 箴言20章(新共同訳 旧約pp.1016-1017) 20章にも、日常生活における人生訓が沢山記されている。しかし、これらを単なる処世訓としてではなく、主なる神との関わりにおいて理解することが大切である。 「酒は不遜、強い酒は騒ぎ。酔う者が知恵を得る…
聖書日課 箴言19章(新共同訳 旧約pp.1015-1016) あなたは嘘を吐き、人を騙してでも、広い家に住み贅沢な暮らしをしたいと思うか。それとも、狭い家でも、また贅沢は出来なくても、主なる神が共におられると実感出来る人生を願うか。 「貧乏でも、完全な道を…
聖書日課 箴言18章(新共同訳 旧約pp.1014-1015) 18章にも様々な人生訓が、特に人との関わりについての教えが記されている。しかし、こういう目に見える人間同士の関わりについての教えの土台には、目には見ることの出来ない主なる神との関わりがあることを忘…
聖書日課 箴言17章(新共同訳 旧約pp.1012-1014) 本章には、心のあり方の大切さを教えてくれる節が散りばめられている。 「乾いたパンの一片しかなくとも平安があれば/いけにえの肉で家を満たして争うよりよい」(1節)。 心を「平安」に保つことは、その人だ…
聖書日課 箴言16章(新共同訳 旧約pp.1011-1012) 主なる神は私達の心の「内に働」かれる。私達の思いや願望を通して主なる神のご計画が示され、実現されていく。 「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです」(フィ…
聖書日課 箴言15章(新共同訳 旧約pp.1009-1011) 15章にも言葉についての教えが記されている。いかに箴言が私達の語る言葉を大切にしているかが良く分かる。それと同時に、私達がいかに言葉で問題を起こし易い者であるかも分かる。 「柔らかな応答は憤りを静…
聖書日課 箴言14章(新共同訳 旧約pp.1008-1009) 幸福でしっかりとした家庭を築くためには「知恵」が必要であると教えられている。「無知」は家庭崩壊をもたらす原因になる。 「知恵ある女は家庭を築く。無知な女は自分の手でそれをこわす。主を畏れる人はま…
聖書日課 箴言13章(新共同訳 旧約pp.1007-1008) 昨日に引き続いて、この章でも私達の使う言葉について教えられている。それも「子は父の諭しによって知恵を得る。不遜な者は叱責に聞き従わない」という前置きも付いていて、より一層重みが増している。それは…
聖書日課 箴言12章(新共同訳 旧約pp.1005-1007) 聖書には私達が「口」にする「言葉」に関する教えが沢山記されている。特に箴言には、頻出項目の一つと言ってよいくらい多く出てくる。 「神に逆らう者の言葉は待ち伏せて流血を犯す。正しい人の口は自分を救…
聖書日課 箴言11章(新共同訳 旧約pp.1004-1005) 11章にも様々な教訓が散りばめられている。その中から、いくつかを取り上げたいと思う。 「偽りの天秤を主はいとい/十全なおもり石を喜ばれる」(1節)。 当時の世界は、度量衡の統一が不徹底で、それぞれの基…
聖書日課 箴言10章(新共同訳 旧約pp.1003-1004) 10章から22章にかけては、箴言の中心的な部分である。この前の9章までは、いわゆる緒論的な部分で、主を畏れて、主なる神の知恵に聞き従うよう勧告されていた。その前提に立って、10章から、人生の様々な面に…
聖書日課 箴言9章(新共同訳 旧約pp.1002-1003) 本章は、箴言の前半部の最後の章で、これまでのまとめのような内容になっている。ここでも「知恵」が擬人化されて、人々に向かって「呼びかけ」ている。 「知恵は家を建て、七本の柱を刻んで立てた。獣を屠り、…
聖書日課 箴言8章(新共同訳 旧約pp.1000-1002) 主なる神の「知恵」は、ただ見出されるのを待っているようなものではない。私達に向かって「呼びかけ」ている。「町の入り口」で、「道のほとり」で「呼ばわっている」。真理は、この世界に明らかに宣言されて…
聖書日課 箴言7章(新共同訳 旧約pp.999-1000) 7章も、性的な誘惑と罪に対する警告の言葉である。5章では、幸せな結婚が、性的誘惑への一番の対処法であると教えられていたが、ここでは、主の「教え」と「戒めを守」ることの大切さが教えられている。 「わが…
聖書日課 箴言6章(新共同訳 旧約pp.997-999) 6章には、まさに人生の教訓と言える実際的で現実的な教えが記されている。 「わが子よ、もし友人の保証人となって/他国の者に手を打って誓い/あなたの口の言葉によって罠に陥り/あなたの口の言葉によって罠に…
聖書日課 箴言5章(新共同訳 旧約pp.996-997) 5章は「父の諭し」の第5弾で、全体が性的誘惑と罪に対する警告となっている。箴言には、既に2章でも、更に6章でも7章でも、同様の警告が記されている。何故何度も繰り返し同じことが警告されるのか。それが若者に…
聖書日課 箴言4章(新共同訳 旧約pp.994-996) 「父の諭し」の第5弾である。「わが子よ」と呼びかけ、「わたしの言葉に耳を傾けよ」と確信をもって知恵の言葉を授ける。こういう親子関係が失われてしまったところに、私達の時代の多くの家庭における悲劇がある…
聖書日課 箴言3章(新共同訳 旧約pp.993-994) 「わが子」に対して父が諭しを与える形で主の教訓が語られている。ここで特徴的なのは、「~せよ。そうすれば~」というパターンが繰り返されていることである。 「わが子よ、わたしの教えを忘れるな。わたしの戒…
聖書日課 箴言2章(新共同訳 旧約p.992) 「知恵」とは何か。それは「主を畏れることを悟り/神を知ること」であると箴言は言う。では、どうすれば主なる神を知ることが出来るのか。それは、聖書の「言葉を受け入れ、戒めを大切にして」、「耳を傾け」、「心を…