ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 箴言6章

聖書日課 箴言6章(新共同訳 旧約pp.997-999)

 6章には、まさに人生の教訓と言える実際的で現実的な教えが記されている。

「わが子よ、もし友人の保証人となって/他国の者に手を打って誓い/あなたの口の言葉によって罠に陥り/あなたの口の言葉によって罠にかかったなら/わが子よ、そのときにはこうして自分を救え。命は友人の手中にあるのだから/行って足を踏みならし、友人を責め立てよ。あなたの目に眠りを与えず/まぶたにまどろむことを許すな。狩人の罠を逃れるかもしかのように/鳥のように、自分を救い出せ」(1~5節)。

「友人の保証人となって」「罠に陥り」、窮地に陥った時には、「狩人の罠を逃れるかもしかのように/鳥のように」、死に物狂いで「自分を救い出せ」と言われている。

 信仰とは、ただ信じて何もしないでいることではない。勿論、或る場合にはそういうことも大切である。しかし、多くの場合、主なる神がきっと助けて下さると信じると、希望と勇気が湧き上がって来て、解決に向けて全身全霊で動き出す。それが真実な信仰者の姿である。そういう意味では、真の信仰者は、主の御前に静まることを知っていると同時に、すこぶる活動的でもある。

 そうしてみると、次の教訓は、不信仰と傲慢に対する警告の言葉と言える。

「怠け者よ、いつまで横になっているのか。いつ、眠りから起き上がるのか。しばらく眠り、しばらくまどろみ/しばらく手をこまぬいて、また横になる。貧乏は盗賊のように/欠乏は盾を持つ者のように襲う」(9~11節)。

「怠け者」とは、主なる神を信じて謙ることを知らない者であり、生き生きとした希望も、良い意味での緊張感もない者のことである。主なる神を信じなくても、従わなくても、しばらくは何事もなく過ごせるが、事が起こると、信仰者との違いが明らかに現れる。

「このような者には、突然、災いが襲いかかり/たちまち痛手を負うが、彼を癒す者はない」(15節)。

「災い」は、にわかに思いがけない時に「襲いかか」る。その時、本物と偽物の違いが明らかになる。いざという時、偽物には力がないからである。主なる神の御前にいつも自らを備えたいと思う。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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