ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 箴言30章

聖書日課 箴言30章(新共同訳 旧約pp.1030-1032)

「貧しくもせず」、これは誰もが願い祈ることではないか。しかし、大切なのはその理由である。

「二つのことをあなたに願います。わたしが死ぬまで、それを拒まないでください。むなしいもの、偽りの言葉を/わたしから遠ざけてください。貧しくもせず、金持ちにもせず/わたしのために定められたパンで/わたしを養ってください。飽き足りれば、裏切り/主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働き/わたしの神の御名を汚しかねません」(7~9節)。

「貧しければ、盗みを働き/わたしの神の御名を汚しかねません」。貧しさのために苦労したくないからとか、貧しいと恥ずかしいからというのではなく、貧しさのために罪を犯し、「神の御名を汚」すことがないようにというところに、この願いの素晴らしさがある。

 一方、「金持ちにもせず」と願い求める人は殆どいないのではないか。私達は、もっと欲しい、もっと裕福になりたいと願うものだからである。しかも、その理由がとても大切である。

「飽き足りれば、裏切り/主など何者か、と言うおそれがあります」。人間は実に高ぶり易い存在である。裕福になると、主によって豊かにされていることを忘れ、「主など何者か」と高慢不遜な態度に陥る危険性が大いにある。

 勿論、〈謙遜な金持ち〉であれば良い。しかし、金銭の誘惑はそれほど甘くはない。だからこそ、「貧しくもせず、金持ちにもせず」という祈りが必要である。何よりも大切なことは、謙って主と共に歩むことである。そして、最後にこう祈られている。

「わたしのために定められたパンで/わたしを養ってください」。主なる神が「定められた」もので満足すること、つまり主にあって足ることを知ることが大切である。

「金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、『わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない』と言われました」(ヘブライ人への手紙13章5節)。

 ここでも、主が共におられることが最も重要な鍵のようである。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と恵みの中に置いて下さること、御前に引き出して下さったことを心から感謝致します。

 主よ、富の傲慢にも貧しさの絶望にも陥らず、あなたが与えて下さるものに感謝しながら生きていくことが出来るよう、私達を支え、導いて下さい。

 この歪んだ世界を変えていくために、あなたが愛して下さったように、私達も互いに愛し合うことを教えて下さい。あなたがどのように愛して下さったかを、私達一人一人が知ることが出来ますように。

 そして、口先だけで愛するのではなく、真実と行いを持って愛し合うことが出来るよう、力づけて下さい。

 今、この物価高の経済的状況の中で、個人の力ではどうすることも出来ない状況に陥っている方が大勢おられます。主よ、どうか、あなたご自身がお一人お一人を支え、あなたの希望を注ぎ、あなたの解決をお与え下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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