聖書日課 箴言24章(新共同訳 旧約pp.1022-1023)
悪意ある人によって苛々させられたり、「怒りを覚えたり」するのは、人生の常である。しかし、箴言は「悪者のことに心を燃やすな」と教える(1節)。「悪者」に対抗して躍起になることは、結局その悪意に巻き込まれ、振り回されることになるからである。
更に、箴言はこうも勧めている。
「敵が倒れても喜んではならない。彼がつまずいても心を躍らせるな。主がそういうあなたを見て不快とされるなら/彼への怒りを翻されるであろう」(17~18節)。
「悪者」への「怒り」に駆られないでいるだけではなく、「敵が倒れても喜んではならない」というのである。「結構難しい」と思った人もいるかも知れない。しかし、私達が敵の「つまず」きに「心を躍らせる」とすれば、敵と同じ土俵に立っており、それもまた巻き込まれていることになる。
「悪事を働く者に怒りを覚えたり/主に逆らう者のことに心を燃やすことはない。悪者には未来はない。主に逆らう者の灯は消える。わが子よ、主を、そして王を、畏れよ。変化を求める者らと関係を持つな。突然、彼らの不幸は始まる。この両者が下す災難を誰が知りえよう」(19~22節)。
私達が知っておくべきことは、「悪者には未来はない。主に逆らう者の灯は消える」ということである。「悪者」が勝利したように思えることがあっても、それは束の間のことに過ぎない。やがて必ず「主に逆らう者の灯は消える」。御言葉がそう教えている。
それ故、私達がなすべきことはただ一つである。
「わが子よ、主を、そして王を、畏れよ」。
主なる神を「畏れ」、主なる神を慕い、主なる神への愛と信頼で常に心を一杯にしていること、それが私達が心がけるべき第一のことである。そうすれば、主なる神と共にある喜びと平安が、私達の心から消え去ることは決してない。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの深い憐れみと慈しみに包み、御前に引き出し、祈りを与えて下さることを心から感謝致します。
主よ、全てを見通し、全てを知るあなたの御前に立つことが出来る者はいるでしょうか。罪ある私達は、あなたの御前では倒れ、ひれ伏すしかありません。しかし、あなたは、そのような者の罪を贖い、僕として選び、義人と呼んで下さいます。
あなたが呼んで下さるから、私達は自分の罪からもう一度立ち上がることが出来ます。私達を引き上げるのは、主よ、あなたの御手です。
主よ、様々な状況の中で倒れ、自分では立ち上がれなくなってしまった方も大勢おられます。どうかお一人お一人を顧み、お一人お一人を選び、あなたの御声をかけて下さい。
あなたが御声をかけ、引き上げて下さる時、どんな状況にあっても私達は立ち上がることが出来ます。あなたが永遠の愛をもって選び、愛して下さっているからです。
どうか苦しみの中にある方、痛みの中にある方、低められている方の傍にいて、下から支えて下さい。お一人お一人に希望と勇気を与えて下さい。お一人お一人を立たせるのは、主よ、あなたです。
心から感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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