ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 箴言15章

聖書日課 箴言15章(新共同訳 旧約pp.1009-1011)

 15章にも言葉についての教えが記されている。いかに箴言が私達の語る言葉を大切にしているかが良く分かる。それと同時に、私達がいかに言葉で問題を起こし易い者であるかも分かる。

「柔らかな応答は憤りを静め/傷つける言葉は怒りをあおる。知恵ある人の舌は知識を明らかに示し/愚か者の口は無知を注ぎ出す。どこにも主の目は注がれ/善人をも悪人をも見ておられる。癒しをもたらす舌は命の木。よこしまな舌は気力を砕く」(1~4節)。

 ヤコブもこう言っている。

「わたしたちは皆、度々過ちを犯すからです。言葉で過ちを犯さないなら、それは自分の全身を制御できる完全な人です」(ヤコブの手紙3章2節)。

「自分の全身を制御できる完全な人」とは、「言葉で過ちを犯さない」人、つまり、言葉で人を傷つけることなく、言葉で人をがっかりさせることなく、言葉で人を怒らせることもない人ということである。勿論、イエス・キリストもそうであったように、言うべき時には厳しいことをはっきり言わなければならないこともある。しかし、基本的には、言葉で人の憤りを静め、言葉で人の傷を癒し、言葉で人を元気づけるような人、それが「自分の全身を制御できる完全な人」である。

 このような人になれたらどんなに良いかと思う。現実の自分はそれとは程遠い状況である。しかし、少なくともそういう人に憧れ、そういうあり方から学び、そのような人に少しでも近づくことが出来るように祈り、求め続けたいものである。

 預言者イザヤも、そのような祈りと願いを持ちつつ主に仕えた人だった。

「主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え/疲れた人を励ますように/言葉を呼び覚ましてくださる。朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし/弟子として聞き従うようにしてくださる」(イザヤ書50章4節)。

「疲れた人を励ます」「弟子としての舌」を、私も是非いただきたいと思う。そのためにも、「朝ごとに」主の御言葉に耳を傾け、「聞き従う」者でありたい。主なる神が、「わたしの耳を呼び覚まし」、また「言葉を呼び覚ましてくださる」ように!

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの深い憐れみと慈しみの中、御前に引き出して下さったことを心から感謝致します。

 主よ、私達に謙遜な思いを与えて下さい。独善に走り、他の人の声を聞くことを面倒に思う落とし穴から私達を守り、多くの声に耳を傾ける謙虚さと忍耐をお与え下さい。そして、それらの中からあなたが語られる言葉を聞き分けることの出来る知恵と洞察をお与え下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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