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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 箴言18章

聖書日課 箴言18章(新共同訳 旧約pp.1014-1015)

 18章にも様々な人生訓が、特に人との関わりについての教えが記されている。しかし、こういう目に見える人間同士の関わりについての教えの土台には、目には見ることの出来ない主なる神との関わりがあることを忘れてはならない。

「離反する者は自分の欲望のみ追求する者。その事は、どんなに巧みにやってもすぐ知れる。愚か者は英知を喜ばず/自分の心をさらけ出すことを喜ぶ。神に逆らうことには侮りが伴い/軽蔑と共に恥辱が来る」(1~3節)。

 1節の「離反する者」とは、人との交わりを避け、極端に孤立して生きる者のことを意味している。それは「人が独りでいるのは良くない」という主なる神の教えに反する生き方であり(創世記2章18節)、主なる神に造られたものとしての本質からもずれており、「自分の欲望のみ追及する者」であると言われている。

 そのように心の頑なな者は、2節に言われているように、「英知」を求めようともせず、ただ「自分の心をさらけ出すことを喜ぶ」ばかりで、謙遜に学ぼうとする姿勢が全く見られない。

 更に、目に見えない「神に逆らうこと」には「侮り」「軽蔑」「恥辱」が伴う(3節)。これは、「神に逆らう者」は他人を「侮り」「軽蔑」する者となるとも、「神に逆らう者」自身に「侮り」「軽蔑」「恥辱」が訪れるともとることが出来る。いずれにしても主なる神の教えに反する生き方には、どこかに必ず「侮り」「軽蔑」「恥辱」が起こってくる。

 このように、箴言「神に逆らうこと」の愚かさと悲劇を明確に示している。そして、それと共に、「神に従う」ことの栄誉と祝福について教えている。

「主の御名は力の塔。神に従う人はそこに走り寄り、高く上げられる」(10節)。

「神に従う人」とは、主を頼みとし、主を己の「力」として生きる人である。主に依り頼む者は、「そこに走り寄」って行く。他には何も依り頼むものがないからである。しかし、主は依り頼む者を「高く上げられる」

「破滅に先立つのは心の驕り。名誉に先立つのは謙遜」(12節)。

「心の驕り」とは、「神に逆らうこと」であり、「謙遜」とは、主なる神に拠り頼み、聞き従うことである。目に見えない主なる神との関わりが土台となって、現実の生き方や人々との関わりがある。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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