聖書日課 箴言26章(新共同訳 旧約pp.1025-1026)
1節から12節まで「愚か者」についての教えが続いている。
「夏の雪、刈り入れ時の雨のように/愚か者に名誉はふさわしくない。鳥は渡って行くもの、つばめは飛び去るもの。理由のない呪いが襲うことはない。馬に鞭、ろばにくつわ/愚か者の背には杖」(1~3節)。
最初は他人事のように読み進めていたが、衝撃的な言葉に出くわした。
「犬が自分の吐いたものに戻るように/愚か者は自分の愚かさを繰り返す。自分を賢者と思い込んでいる者を見たか。彼よりは愚か者の方がまだ希望が持てる」(11~12節)。
「自分の愚かさを繰り返す」「愚か者」とは、他ならぬ自分のことであると気付かされた。その一方で、「自分は何て愚かなんだろう」と思っている方、どうか安心していただきたい。「まだ希望が持てる」と言われているのだから。
では、その「希望」とは何だろうか。一つは、真の「愚かさ」とは、自分の「愚かさ」を知らないこと、認めないことだということである。
そして、もう一つは、私達が主なる神の御前に自分の「愚かさ」を素直に認めるなら、主なる神は、そのような「愚か者」をなお受け入れて下さり、赦しと癒しと導きをお与え下さるという「希望」である。それは聖書にこう記されている通りである。
「ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです」(コリントの信徒への手紙一1章27~29節)。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス