ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 マタイによる福音書1章

聖書日課 マタイによる福音書1章(新共同訳 新約pp.1-2)

 今日から新約聖書を読んでいく。新約聖書系図から始まる。読み辛い名前が並んでいるので、いきなり躓く人もいるかも知れない。

 しかし、旧約聖書を知っているなら、この系図に喜ぶ人も多いだろう。これは、アブラハム以来、いや人類の堕落以来、約束されて久しく待ち望まれてきた救い主の系図だからである。

 旧約聖書最後のマラキ書が書かれてからイエス・キリストがお生まれになるまでの約400年、新たに主なる神の御言葉が語られることはなかった。この時代は〈中間時代〉と呼ばれている。また、主なる神の御言葉が語られなかった暗黒の時代と言われることもある。

 しかし、だからと言って、主なる神が約束を反故にされたわけでも、主なる神の御業がなくなってしまったわけでもない。救い主誕生の約束は、暗黒の時代と呼ばれる中間時代にも、実現に向けて着々と進められていた。それ故、マタイによる福音書系図は、主なる神の支配と御業は決して途切れることがなく、主なる神は私達を決して見捨てないということを伝えている福音(グッド・ニュース)でもある。

 18節からは、救い主イエス・キリストの誕生の出来事が記されているが、これについて、マタイはこう言っている。

「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」(22~23節)。

 主なる神は預言者を通して、「インマヌエル」と呼ばれる救い主をこの世に生まれさせて下さることを約束された。インマヌエルは「神は我々と共におられる」という意味である。つまり、主なる神はどんな時にも私達と「共におられ」、私達の味方となり、命を懸けて愛して下さるということである。イエス・キリストがお生まれになったのは、実にそのためである。

「では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」(ローマの信徒への手紙8章31~32節)。

 このイエス・キリストを、あなたも迎え入れているだろうか。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と恵みの中に私達を置き、御前に引き寄せて下さったことを心から感謝致します。

 主よ、私達はなかなか自分の基準と自分の方法という高慢から抜け出せずにいます。しかし、そのような私達のために、あなたは十字架にかかり、罪の呪いを打ち砕いて赦して下さいました。あなたの十字架の贖いによって、私達は救われ、あなたのものとされました。

 主よ、あなたはこのような者と共にいて下さいます。このような者の歩みを支え、歩けなくなった時には背負って下さることを、心から感謝致します。

 どうか、自分の罪を意識する時、それをあなたに差し出すことが出来るよう助けて下さい。気付いていない罪も沢山あると思います。御霊によってそれらを示された時、それをあなたに告白することが出来るようお導き下さい。

 全ての罪から私達を清めて下さるあなたの十字架の血を日々経験しながら歩むことが出来るよう導いて下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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聖書日課 マラキ書3章

聖書日課 マラキ書3章(新共同訳 旧約pp.1499-1502)

 マラキ書と言えば、〈十一献金〉を思い浮かべるキリスト者が沢山いるだろう。それは、「立ち帰れ」という主なる神の悔い改めの勧告に関連して教えられている。

 主なる神の掟を離れ、それを守ろうとしない人々に向かって、主なる神は、「立ち帰れ、わたしに」と呼びかけ(7節)、「あなたたちはわたしを偽っている」と警告した(8節)。しかし、人々は、「どのように立ち帰ればよいのか」、「どのようにあなたを偽っていますか」と言い、自分達の罪や偽善を認めるどころか、気付いてさえいない状態だった。

 この時人々は、生活もままならない状況に不満を覚え、主なる神への不信感で一杯になっていた。「十分の一の献げ物などしたところで何になるのか!」と人々は思っていた。

 しかし、主なる神は言われた。

「十分の一の献げ物をすべて倉に運び/わたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試してみよと/万軍の主は言われる。必ず、わたしはあなたたちのために/天の窓を開き/祝福を限りなく注ぐであろう」(10節)。

「これによって、わたしを試してみよ」というのは、「わたしを信頼せよ」という呼びかけである。つまり、十分の一の献げ物とは、主なる神への信頼を意味していた。主なる神は、主に信頼する者のために、「必ず」「天の窓を開き/祝福を限りなく注」いで下さるという信仰、それが十分の一の献げ物の意味である。

 主なる神は、私達がそのような信頼と信仰を主なる神に置いて生きることを願っておられる。その時、溢れるばかりの祝福が天から注がれる。

「また、わたしはあなたたちのために/食い荒らすいなごを滅ぼして/あなたたちの土地の作物が荒らされず/畑のぶどうが不作とならぬようにすると/万軍の主は言われる。諸国の民は皆、あなたたちを幸せな者と呼ぶ。あなたたちが喜びの国となるからだと/万軍の主は言われる」(11~12節)。

 あなたはこの約束を信じているだろうか。そして、主なる神に全幅の信頼を置いて生きているだろうか。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と慈しみの中に私達を握り、御前に引き寄せて下さったことを心から感謝致します。

 主よ、あなたが与えて下さった父と母、妹、共に礼拝を献げる尊い兄弟姉妹、私のために祈って下さったお一人お一人、励まし支えて下さったお一人お一人、また職場で生きる同僚、生徒、私を生かしてくれている全ての人を感謝します。

 どうか全ての方にあなたの恵み、祝福を注いで下さい。あなたの御顔を向けて語りかけ、生かして下さい。また、私もお一人お一人のために自分が為すべきことを為し、共にあなたの御前で喜ぶことが出来ますように。

 主よ、あなたが注いで下さった絶大な愛を感謝します。あなたが出会わせて下さった全ての方を感謝します。

 主よ、ゆっくりした歩みでしたが、旧約聖書を読み終えることが出来ました。聖書を開く時に、あなたの語りかけを聞かない日は一日もありませんでした。あなたは、祈るべき言葉も与え、豊かに満たして下さいました。導いて下さいました。本当にありがとうございました。

 これから新約聖書に入っていきますが、聖書に満ちている御子イエス・キリストの御声に耳を傾け、祈りながら生きていくことが出来るよう、守り、支え、導いて下さい。私達があなたに全幅の信頼を置いて生きる時、あなたは溢れるばかりの祝福を天から注いで下さることを信じます。

 心からの感謝を込めて、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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聖書日課 マラキ書2章

聖書日課 マラキ書2章(新共同訳 旧約pp.1497-1499)

「あなたたちは、自分の語る言葉によって/主を疲れさせている。それなのに、あなたたちは言う/どのように疲れさせたのですか、と」(17節)。

 人間の語る言葉が、天地を造られた主なる神を「疲れさせ」るなどということがあるのだろうか。それがある。人間を愛する主なる神は、人間の一挙手一投足を御覧になっており、喜んだり、悲しんだり、怒ったり、褒め称えたりされる方だからである。では、一体どのような言葉が「主を疲れさせ」たのか?

「あなたたちが/悪を行う者はすべて、主の目に良しとされるとか/主は彼らを喜ばれるとか/裁きの神はどこにおられるのか、などと/言うことによってである」(17節)。

「悪を行う者が栄え、真面目に主に仕えてきた自分達が苦労しているなどおかしいではないか! 神の裁きなどないのだ! 神様は悪を行う者を喜ばれるのだ」という人々の不満と不信の声が、「主を疲れさせ」た。

 彼らの根深い不満と不信は、声だけでなく、既に行動に現れていた。それは主に仕える祭司達にまで及んでいた。本来ならば主なる神の真理を教え、人々を罪から立ち帰らせる役目を果たすべき祭司達が、「道を踏みはずし/教えによって多くの人をつまずかせ」(8節)、「民のすべてに軽んじられる価値なき者」となってしまっていた(9節)。

 主に仕える祭司を軽んじる民も、大きく道を踏み外していた。彼らは、経済的に有利な「異教の神を信じる娘をめと」り、そのためにユダヤ人の妻と離縁することまでしていた。これは妻への裏切りであると共に、夫婦の「契約」をした主なる神に対する裏切りでもあった(10~15節)。

 周りの状況が自分の思うようにならない時、人は、不平不満で一杯になり、主なる神の御心と公義を疑い、自分の好き勝手な道を歩み始める。その結果、生きる希望と意欲を失い、倦怠と自暴自棄の日々を送ることになってしまう。

 自分の思いを優先させる時、私達は、主なる神の御前に謙ることを忘れる。悲劇は、そこから生まれる。

「レビと結んだわが契約は命と平和のためであり/わたしはそれらを彼に与えた。それは畏れをもたらす契約であり/彼はわたしを畏れ、わが名のゆえにおののいた。真理の教えが彼の口にあり/その唇に偽りは見いだされなかった。彼は平和と正しさのうちに、わたしと共に歩み/多くの人々を罪から立ち帰らせた。祭司の唇は知識を守り/人々は彼の口から教えを求める。彼こそ万軍の主の使者である」(5~7節)。

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聖書日課 マラキ書1章

聖書日課 マラキ書1章(新共同訳 旧約pp.1496-1497)

 神殿再建から長い年月が経過した。しかし、人々の生活は一向に良くならず、貧富の差も次第に大きくなり、社会には不正や悪が蔓延るようになっていた。そのような中、以前は熱心に主に仕えた人々の信仰も次第に冷めて来つつあった。そして、彼らは主なる神に対し不信感や疑問を持つようになっていた。

「わたしはあなたたちを愛してきたと/主は言われる。しかし、あなたたちは言う/どのように愛を示してくださったのか、と」(2節)。

 この疑問に対して与えられた主なる神の答えは、イスラエルに対する選びの愛であった。

エサウヤコブの兄ではないかと/主は言われる。しかし、わたしはヤコブを愛しエサウを憎んだ。わたしは彼の山を荒廃させ/彼の嗣業を荒れ野のジャッカルのものとした」(2~3節)。

 主なる神はイスラエル「愛し」選ばれた。それ故、彼らをエジプトから救い出し、カナンの地で素晴らしい繁栄を与えられた。それは彼らが優秀だったからでも、努力したからでもない。それはただ主なる神の愛と恵みによる賜物だった。

 しかし、人々は、状況が自分達の思い通りにならないことに苛立ち、主なる神の愛を疑った。そのため、彼らは、主なる神の「祭壇」「汚れたパン」「目のつぶれた動物」「足が傷ついたり、病気である動物」を献げた(7~8節)。何という侮辱! 何という恩知らずだろうか! その上、彼らは「我々はどのようにして御名を軽んじましたか」と言って開き直りさえした(6節)。

「何と煩わしいことか! 献げさえすりゃいいんだろう!」…これが彼らの信仰(?)だった。そして、自分達が主なる神に対してしていることは棚に上げて、主なる神が自分達にしてくれないことに不平・不満をぶつけていた。果たしてこれが信仰と言えるだろうか?

 信仰とは、主なる神の愛に対する心からの感謝であり、それ故に主なる神に最高のものを進んで献げようとする愛であり、そして、主なる神の恵みに対する全幅の信頼と従順である。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛を注ぎ、御前に引き寄せて下さったことを心から感謝致します。

 主よ、あなたは私達を選んで下さり、今日も新しい恵みを注いで下さいます。あなたの愛に心から感謝致します。あなたの愛と恵みに対して、私達も感謝をもってあなたに最高のものを進んで献げることが出来ますよう導いて下さい。

 主よ、あなたの僕お一人お一人にあなたの御霊を注いで下さい。私達を取り巻く状況が思わしくない時にも、あなたの御霊に満たされ、いつも新しい感動と感激をもってあなたを告白し続けることが出来ますように。

 主よ、あなたの御言葉を伝えるためにあなたがお召しになった牧師や伝道者、宣教師を顧み、満たし、導いて下さい。礼拝を導くことに疲れを覚えている方もいるかも知れません。力の不足を感じている方もいるかも知れません。私も力の不足を感じます。あなたの群れを導くことが出来るよう力づけて下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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聖書日課 ゼカリヤ書14章

聖書日課 ゼカリヤ書14章(新共同訳 旧約pp.1493-1495)

 ゼカリヤ書は、「その日」と呼ばれる勝利と希望の日を指し示して終わる。「その日」は、光に溢れる日であり(7節)、命の泉が湧き出る日であり(8節)、主が「地上のすべてを治める王となられる」日である(9節)。そのような主の日が、やがて必ずやって来ることを、ゼカリヤは確信をもって高らかに宣言した。

 ゼカリヤの生きた時代のイスラエルは、辛うじて自治は認められていたものの、大国ペルシアの支配下に置かれていた。この時代に限らず、ダビデとソロモン以後のイスラエルは、常に周りを大国に囲まれ、国家の安全が脅かされ、偶像礼拝の誘惑と影響を受け、信仰的・倫理的に低迷・退廃した時代を過ごしてきた。そのため、「都は陥落し、家は略奪され、女たちは犯され、都の半ばは捕囚となって行く」ということさえ起きてしまった(2節)。

 それでもイスラエルは地上から消え去ることはなかった。それは、「しかし、民の残りの者が/都から全く断たれることはない」と言われている人々が常に残されていたからである(2節)。

 彼らを支えていたものは一体何だろうか? それは、ゼカリヤをはじめ多くの預言者が語ってきた「その日」への希望ではないか。それが彼らの人生を力強く導き、支え続けていたのではないか。つまり、「民の残りの者」とは、どのような時にも「その日」が来ることを信じ続けた人々である。

「そのときは…夕べになっても光がある」と言われているように(7節)、「その日」を信じる者は、たとえ夕べの暗闇の中にあっても、希望の光を見失うことはない。主なる神の約束への信仰が希望を湧き上がらせ、暗闇の時代を強く生き抜く力となる。

 今、私達はどうだろうか。この複雑で困難な時代を真実に生き抜く力は昔も今も変わることはない。主の御言葉への信頼、「その日」を信じる信仰から湧き上がる希望、それが私達を現代における「民の残りの者」としてくれる。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と恵みの中に置いて御前に引き寄せて下さったことを心から感謝致します。

 主よ、あなたは誉れと栄光と賛美を受けるべきただ一人の御方です。あなたの御前にひれ伏します。屠られた小羊であるあなたを、一人でも多くの人が知ることが出来ますよう、共にあなたの御前にひれ伏すことが出来ますよう、あなたの謙遜の霊を私達に注いで下さい。

 困難や誘惑の中にあっても、あなたの御言葉に信頼し、「その日」が必ず来ることを信じ続ける「民の残りの者」として歩ませて下さい。

 主よ、あなたを見上げることを阻んでいる邪悪な霊を打ち滅ぼして下さい。縛られている者を解放して下さい。

 あなたこそ「地上のすべてを治める王」であることを全ての者が告白し、あなたに賛美を献げることが出来るよう、お導き下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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聖書日課 ゼカリヤ書13章

聖書日課 ゼカリヤ書13章(新共同訳 旧約p.1493)

 前章に続き、終末におけるイスラエルの救いと勝利の預言が語られている。「罪と汚れを洗い清める一つの泉が開かれる」とは(1節)、イエス・キリストの十字架の御業によって、救いの道、即ち「罪」の赦しと永遠の命の道が開かれることを指している。

 滾々と湧き出る「泉」が、どのような濁りや「汚れ」もきれいに洗い流してしまうように、主イエス・キリストの十字架は、どのような「罪」「汚れ」「洗い清め」、信じる者を永遠の命に生きる者として下さる。

 そればかりではない。イエス・キリストの十字架は、人間を「罪と汚れ」に陥れる「数々の偶像」「取り除」き、また偽預言者「汚れた霊」を追い払ってくれるものであることが預言されている(2節)。

 しかし、ここで私達が心しておくべきことが語られている。

「その日、預言者たちは皆、預言をしても自分の幻のゆえに恥を受け、欺くための毛皮の外套を着るのをやめ、『わたしは預言者ではない、土を耕す者だ。わたしは若いときから土地を所有している』と言う。また、『あなたの胸にあるこの傷はどうしたのか』と問われると、『それは友人の家で受けたものだ』と答えるであろう」(4~6節)。

 これは、現代の偽預言者が、すぐにそれと分かる様相をしておらず、ごく普通の姿形で私達の周りに存在していることを警告している。

 人の目には善いと見えるものがある。しかし、それが私達を主なる神から引き離し、「罪と汚れ」と絶望に陥れるものとなることがある。それが私達に主なる神への信頼と従順をもたらすものとなるかどうか、きちんと見分ける目と心が大切である。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛の中に置いて、御前に引き出して下さったことを心から感謝致します。

 主よ、散り散りになり、もうあなたを信じることが出来なくなった弟子達を見つけ、もう一度集めるために、あなたはガリラヤに行き、彼らを待っておられました。

 今も、あなたのことが分からなくなって、群れから離れ、或いは散り散りになって絶望の暗闇で泣いているあなたの子供達が大勢います。

 主よ、そのようなお一人お一人のところにあなたご自身が現れ、声をかけて下さい。あなたでなければ癒すことの出来ない実存の破れを癒して下さい。癒し、命を与え、もう一度あなたのもとに集めて下さいますよう、心からお願い致します。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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聖書日課 ゼカリヤ書12章

聖書日課 ゼカリヤ書12章(新共同訳 旧約pp.1492-1493)

 ゼカリヤ書の最後の3章(12~14章)は、終末におけるエルサレムの救いと勝利と清めを語る励ましのメッセージである。ここでは、「その日」という言葉が何度も語られることによって、終末におけるイスラエルの勝利が強調されている。

 その日、主なる神はエルサレム「周囲のすべての民を酔わせる杯」とし(2節)、また「あらゆる民にとって重い石」とし(3節)、更に「薪で火を噴く鉢のように、麦束で燃え上がる松明のようにする」と宣言された(6節)。それによって、エルサレムに立ち向かう」者は「皆、深い傷を負う」と約束された(3節)。

 勿論これは、決して人の力によって出来ることではない。主なる神ご自身がエルサレムをそのような者にすると約束して下さったのである。では、一体何によってそれは可能となるのか?

「その日、わたしはエルサレムに攻めて来るあらゆる国を必ず滅ぼす。わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ」(9~10節)。

 主なる神は、聖霊を注ぐことによって神の民を力づけ、聖霊の導きと力によって、神の民に勝利と清めを与えて下さる。それはペンテコステの日に成就した(使徒言行録2章)。主はイエス・キリストを信じる全ての者の上に聖霊を注ぐことによって、清さと力に満たされて生きる者と造り変えて下さる。

 しかし、私達が聖霊を受けて清めと力をいただくために、どうしても必要なことがある。

「彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ」(10節)。

 私達は、一人一人、自らの罪を認め、自分の罪がイエス・キリストを十字架にかけたことを知ることなしに信仰の道を歩むことは出来ない。この罪を自覚し、痛みを知る者であるからこそ、主なる神の恵み深さと慈しみの大きさを味わい知る者となる。主なる神への感謝と従順はそこから生まれる。そして、その時、聖霊が私達の上に降り、私達は聖霊に満たされて生きる者とされる。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの絶大な恵みの中に私達を置いて、御前に引き寄せて下さったことを心から感謝致します。

 主よ、かつてあなたを信じたいと願いながらも心縛られ、信じることが出来なかった時のことを思い返します。存在が引き裂かれたような、痛みと虚しさの中で、私は自分をどうすることも出来ませんでした。

 そのような私に、あなたはあなたご自身の御霊を注いで下さいました。聖霊は、私にあなたの十字架を啓示して下さいました。聖霊を注がれ、私はあなたの十字架を仰ぐ者とされました。あなたは私に十字架の血を注いで下さり、私を満たし、癒し、生かして下さいました。

 あなたを信じたくても信じることが出来ず、苦しんでいる多くの方がいらっしゃいます。主よ、どうかお一人お一人にあなたの御霊を注いで下さい。あなたを見上げることが出来ますように。お一人お一人の痛み、引き裂かれた傷を癒して下さい。あなたご自身で満たして下さい。心からお願い致します。

 感謝して、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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聖書日課 ゼカリヤ書11章

聖書日課 ゼカリヤ書11章(新共同訳 旧約pp.1491-1492)

 大祭司ヨシュアと総督ゼルバベルらの指導によって神殿が再建され、民はしばらくは信仰に燃えていた。しかし、指導者がいなくなると、次第に真実の信仰から離れ、形式や儀式だけの信仰に陥っていった。

 いわゆる律法学者や、ファリサイ派サドカイ派と呼ばれる指導者が出現し始めたのは、この頃からである。律法学者やファリサイ派は、人間の伝統と負い切れない重荷によって民を縛り、サドカイ派世俗主義によって人々を惑わした。実に彼らは、自分達の利益を求め、羊が屠られても「憐れ」むことのない羊飼いだった(5節)。

 この頃、預言者ゼカリヤもまた羊を飼い、「好意」「一致」「名付け」られた「二本の杖を手にし」た(7節)。これは主の導きによるものであり、ゼカリヤは良い羊飼いの役目を果たすモデルとされた。ところが…

「わたしは一月のうちに三人の羊飼いを退けた。わたしは彼らに我慢できなくなり、彼らもわたしを嫌った。そして、わたしは言った。『わたしはお前たちを飼わない。死ぬべき者は死ね。消え去るべき者は消え去れ。残った者は互いに肉を食い合うがよい』」(8~9節)。

 せっかく良い羊飼いが来たのに、指導者も民も皆揃って、良い羊飼いであるゼカリヤを「嫌っ」て、退けた。そのため、「好意」「一致」と名付けられた杖は折られ、主の「契約」は破棄され、ユダとイスラエルの兄弟の契りも「無効にされ」てしまった(10節、14節)。この時、ゼカリヤが「羊の商人たち」「賃金」を要求すると、彼らは「銀三十シェケルをゼカリヤに「支払」った(12節)。すると、主なる神はゼカリヤに言われた。

「それを鋳物師に投げ与えよ。わたしが彼らによって値をつけられた見事な金額を」(13節)。

 これはやがて、ユダがイエス・キリスト「銀貨三十枚」で売り渡すことによって成就する預言である(マタイによる福音書26章14~15節、27章9節)。ゼカリヤが嫌われて、「銀三十シェケルという安値で値積もりされたように、真の良い羊飼いとして来られた主イエス・キリストも、人々に退けられ、僅か30枚の銀貨で売り渡された。

 しかし、主なる神は、このような愚かな人間の拒絶と罪の全てを十字架の上で受けとめ、自らその呪いの全てを引き受けて下さった。それによって私達が真の良い羊飼いのもとに帰り、赦しと恵みと祝福に満ちて生きるために。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの絶大な憐れみの故に、御前に赦されていることを、心から感謝致します。

 主よ、私達は、あなたの御声を聞いてあなたに従うことと、自分の都合を天秤にかけています。あなたを主と信じると言いながら、あなたに値段を付けています。

 今日、聖書の言葉からそのことを教えていただきました。私自身の罪があなたを十字架に追いやったのだと。

 主よ、それにもかかわらず、あなたはこのような者に絶大な価値を認めておられるというのですか。あなたの尊い御血によって買い取るほどの価値がこのような者にあったとおっしゃるのですか。

 主よ、あなたに何と申し上げて良いか分かりません。ただ、言葉にならないこの思いを献げます。感謝を献げます。

 尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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聖書日課 ゼカリヤ書10章

聖書日課 ゼカリヤ書10章(新共同訳 旧約pp.1490-1491)

 情報化社会と言われる現代、私達の周りには、とても把握しきれない多くの情報が毎日飛び交っている。その中には、私達に幸せをもたらすかのようなコマーシャルや宣伝文句が溢れている。しかし、それで人々が実際に幸福になっているかというと、反対に暗く空しい雰囲気が漂う時代になってしまっているのではないか。

「テラフィムは空虚なことを語り/占い師は偽りを幻に見、虚偽の夢を語る。その慰めは空しい。それゆえ、人々は羊のようにさまよい/羊飼いがいないので苦しむ」(2節)。

 これは今から数千年も昔に語られた主の言葉だが、21世紀を生きる私達の現実でもある。

 しかし、聖書はそのような私達に向かってこう語りかけている。

「春の雨の季節には、主に雨を求めよ。主は稲妻を放ち、彼らに豊かな雨を降らせ/すべての人に野の草を与えられる」(1節)。

 主なる神は、何千年も昔から、この単刀直入なメッセージを私達に語りかけ、私達の必要の一つ一つを備えようとしておられる。そして、主なる神はこう宣言される。

「わたしはユダの家に力を与え/ヨセフの家を救う。…わたしは彼らの神なる主であり/彼らの祈りに答えるからだ。エフライムは勇士のようになり/ぶどう酒を飲んだように、心は喜びに溢れる。その子らも見て喜び、心は主にあって躍る」(6~7節)。

「わたしは主にあって彼らに力を与える。彼らは御名において歩み続けると/主は言われる」(12節)。

 私達にとって大切なことは、主なる神に対する素直な信頼と従順な心である。今、主に祝福の「雨」を求めて祈ろう。そして、主によって力づけられ、「喜び」「躍る」者としていただこう。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛の御手の中に包まれ、御前に引き寄せていただいたことを心から感謝致します。

 主よ、あなただけが私達を祝福して下さる方、あなただけが私達に永遠の命を与えることのお出来になる方です。あなたは私達を無から創造して下さった方です。

 人生の苦難に遭遇する時、私達の目をあなたに向けることが出来るように、支え導いて下さい。あなた以外のものに心を許すことがありませんように。

 どうか、今も苦しみと困窮の中にある方をあなたご自身が支え、生かして下さいますよう、心からお願い致します。

 また、私達も、その方のために自分が持っているものを差し出して支え合っていくことが出来るよう、あなたの愛を注ぎ満たして下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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聖書日課 ゼカリヤ書9章

聖書日課 ゼカリヤ書9章(新共同訳 旧約pp.1488-1490)

 ゼカリヤ書は9章から第二部に入る。ここ(9~14章)には詩文形式による2つの預言が記されているが、ゼカリヤの晩年に記されたものと思われる。

 新しい神殿がようやく完成した。しかし、人々の現実の生活においては、8章に約束されているような祝福の状況がなかなか実現されない。そのような矛盾の中で苦しむイスラエルの人々のために、主なる神がゼカリヤを通してお語りになったのが9章以下の預言である。

 第二部では、終末に関する預言、特に神の国の到来に関する宣告が記されている。ここでは、「王」なるメシアの到来に伴う裁きと祝福に焦点が当てられている。主なる神は、イスラエルを愛する方であり、やがて必ず敵を裁き、イスラエルに勝利と祝福をもたらす方である。

 信仰とは主なる神の〈時〉を待つことである。待つことを忘れたら、私達のいかなる行動も信仰の業とは言えなくなってしまう。現実がいかに預言から遠くても、必ずその預言は成就する。そのことを、主の御言葉の約束によって信じることが大切である。

 9章の冒頭では、主なる神による諸国民に対する裁きが語られている(1~7節)。裁きはパレスチナの北から始まり、西海岸へと南下する。しかし、イスラエルは主なる神によって守られることが約束されている(8節)。

 この出来事は、やがてギリシアアレクサンドロス大王によって実現した。彼はペルシア軍を破った後(紀元前333年)、エジプトに向かい、地中海沿岸諸都市及びシリア内部の諸都市を陥落させた(イザヤ書23章、エゼキエル書26~28章など参照)。しかし、エルサレムに対しては、町も神殿も破壊することなく、ただ通り過ぎただけだった。これは主なる神の奇跡的な介入による守りであった。

 更に、9~10節はメシア預言として有名である。これは、イエス・キリストエルサレムに入城した時に成就した(マタイによる福音書21章5節)。「ろばに乗っ」た柔和な王であるメシアの到来によって、神の国が実現し、真の「平和」が訪れた。この王国は、アブラハムに与えられた契約の最終的な実現として、普遍的な平和の御国として設立された。世界平和の唯一の希望はこのメシアにある。あなたは、この平和の王を心に迎え入れているだろうか。

西原新生バプテスト教会
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