ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えます。

聖書日課 サムエル記上19章

聖書日課 サムエル記上19章(新共同訳 旧約pp.459-461)

 次々と武勲を立てるダビデを妬んだサウル王は、ダビデを殺そうと執拗に迫った。或る時は、「竪琴を奏で」ダビデを自ら槍で突き殺そうとし(18章10~11節)、また或る時は、ダビデを戦場に追いやり敵の手によって戦死させようとした(同17節)。そして、それでも駄目だと知ると、とうとうサウルは、「息子のヨナタンと家臣の全員に、ダビデを殺すようにと命じ」るに至った(1節)。

 ダビデを愛するヨナタンが熱心に父サウルを説得したので(4~5節)、何とか一時は和解することが出来た(6節)。しかし、暫くするとサウル王は、再びダビデに向かって槍を突き刺そうとした(10節)。

 ダビデは、何とか「難を避け」「ラマのサムエルのもとに」身を寄せてそこに留まった(18節)。するとサウル王は、ダビデを捕らえようと」ラマに「使者を遣わした」(20節)。ところが、そこで不思議なことが起こった。

「サウルはダビデを捕らえようと使者を遣わした。彼らは預言者の一団が預言しているのに出会った。サムエルが彼らの先頭に立っていた。神の霊はサウルの使者の上にも降り、彼らも預言する状態になった。サウルはこの報告を受けて、他の使者を遣わしたが、彼らもまた預言する状態になった。三度、サウルは追っ手を送ったが、彼らもまた預言する状態になった。ついに、サウル自身がラマに向かい、セクの大井戸まで来て、『サムエルとダビデはどこにいるのか』と尋ねた。『ラマのナヨトです』という答えを聞き、サウルはラマのナヨトに向かってそこを去ったが、彼の上にも神の霊が降り、彼は預言する状態になったまま、ラマのナヨトまで歩き続けた。彼は着物を脱ぎ捨て、預言する状態になったまま、その日は一昼夜、サムエルの前に裸のままで倒れていた」(20~24節)。

 使者たちがラマに着くと、「神の霊」を受けた預言者の一団」と出会い、彼らも一緒に「預言」し始めた。サウルは「他の使者を遣わしたが」、その使者たちもまた「預言する状態になった」。そのようなことが「三度」繰り返された後、とうとうサウル王は自ら「ラマに向か」った。しかし、今度はサウル王の上に「神の霊が降り」、王は「裸」「預言」し始め、「サムエルの前に」一晩中「倒れていた」

 このように、主なる神は不思議な方法でダビデを守られた。主なる神は選ばれた者を必ずお守り下さる。しかし、それだけではない。この時主なる神はサウル王も守られた。彼が罪を犯すことがないように。そして、彼が主の御前に無力な自分を認め、謙ることが出来るように。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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聖書日課 サムエル記上18章

聖書日課 サムエル記上18章(新共同訳 旧約pp.458-459)

 巨人ゴリアトを打ち破って以来、ダビデの人気は、イスラエルの中で急上昇していった。

 サウル王の息子ヨナタンは、「自分自身のようにダビデを愛し」(1節)、「彼と契約を結び」(3節)、贈り物を与えた(4節)。また、サウルに「派遣」されたダビデが、連戦連勝の武勲を立てると、「兵士」「サウルの家臣」も皆大いに喜んだ(5節)。

 そして、勝利を収めたダビデが帰還すると、イスラエルのあらゆる町から女たちが出て来て」、喜び踊りながらサウル王とダビデを迎え、「サウルは千を討ち/ダビデは万を討った」と歌った(7節)。

「サウルはこれを聞いて激怒し、悔しがって言った。『ダビデには万、わたしには千。あとは、王位を与えるだけか。』この日以来、サウルはダビデをねたみの目で見るようになった」(8~9節)。

 それから、サウルはダビデ「恐れ」ダビデに対して敵意を抱」き、ダビデの命さえ狙うようになっていった(10~11節、17節)。

「サウルは、主がダビデと共におられること、娘ミカルがダビデを愛していることを思い知らされて、ダビデをいっそう恐れ、生涯ダビデに対して敵意を抱いた。ペリシテの将軍たちが出撃して来ると、ダビデはそのたびにサウルの家臣のだれよりも武勲を立て、名声を得た」(28~30節)。

 サウルは主なる神に選ばれ、油を注がれて王となった。しかし、彼は不信仰に陥って、主なる神を待てずに分を超えた行動を取った(13章)。そして、欲望に駆られて主のご命令に逆らった(15章)。更に、家臣のダビデが武勲を立て、人々の注目がダビデに集まると、今度は「ねたみ」「恐れ」に駆られてダビデを殺そうとまでした。

 どうしてこのようなことになってしまったのか。それは、これまでの出来事から明らかなように、サウルが、主なる神への信頼と主の御前に謙る謙遜さを失ったことに原因があった。

 人を罪と滅びに陥れるもの、それは不信仰、高慢、貪欲、「ねたみ」「恐れ」である。私達に祝福と幸福をもたらすもの、それは主への信頼、謙遜、節制、祝福、平安である。サウルとダビデの生き方に、はっきりと示されているこの教訓を、しっかり心に留めたいと思う。

「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(マタイによる福音書23章12節)。

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2022年6月26日(日) 週報

2022年6月26日(日) 聖霊降臨節第4主日

○礼拝プログラム
招詞 詩編29編2節
讃美 62(主イエスのみいつと みめぐみとを)
交読 詩編111編1~10節(新共同訳 旧約p.953)
主の祈り
聖書拝読 コロサイの信徒への手紙4章2〜6節(新共同訳 新約p.372)
祈り 司式者
讃美 301(山べにむかいてわれ 目をあぐ)
宣教 「祈りの輪の中で」柏本隆宏協力牧師
讃美 294(みめぐみゆたけき 主の手にひかれて)
祈り
奉献
頌栄 540(みめぐみあふるる)
祝祷 柏本隆宏協力牧師
報告

○報告
1. 礼拝に参加される方は、消毒液による手洗いとマスク着用の上、間隔を空けて座り、引き続き新型コロナウィルスの感染予防にご協力をお願い致します。
2. 各地の〈新生の民〉のエクレシアでは新しい動きが起こっています。札幌新生教会では、開拓伝道以来仕えてこられた田中博牧師が、熊本愛泉教会では濱田修三牧師が退任されました(いずれも4月1日協力牧師に就任)。その一方で、札幌新生教会では4月1日に結城勝吾兄が協力主事に就任されました。阿蘇山における聖霊充満の出来事から60年が経ち、各エクレシアでは世代の交代が進んでいますが、これからも聖霊によって喜びと讃美に満たされ、イエス・キリストを証ししていきましょう
3. 6月22日(水)、福間キリスト教会(福岡県)の田宮宏介前牧師から教会宛てにお菓子が届きました。お礼の電話を差し上げたところ、ご家族より田宮前牧師が心筋梗塞のため、同日夜に急逝されたことを伺いました。25日(土)に福岡国際キリスト教会で告別式が執り行われました。田宮前牧師は、沖縄に対して非常に強い思いを持っておられ、寺澤前牧師が2010年10月に主日礼拝宣教と講演で福岡国際キリスト教会に招かれた際、同教会の役員の一人として尽力されました。逆に、西南学院大学神学部入学後は私達の教会で夏期研修をされました。更に、辺野古に50坪の土地を取得し、将来的には沖縄に移り住んで、〈辺野古平和キリスト教会〉を立てるという願いを持っておられました。田宮前牧師の突然のご逝去により、深い悲しみの中にあるご遺族の上に、主の慰めがありますようお祈り致しますまた、文字通り最期まで私達の教会を祈りに覚えて下さっていたことに、心より感謝申し上げます。私達の教会からもご遺族宛てに弔電を送りました。
4. ブログは随時更新しています。聖書日課の箇所に関する短いメッセージを載せていますので、日々の聖書通読の一助としてご参照下さい。
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○トラクト配布について 2022年度: 180部(2022年6月26日時点)
首里平良町 20枚
首里駅周辺 25部
首里駅石嶺駅周辺 135部

○聖書日課
26日(日) サムエル記上21章
27日(月) サムエル記上22章
28日(火) サムエル記上23章
29日(水) サムエル記上24章
30日(木) サムエル記上25章
1日(金) サムエル記上26章
2日(土) サムエル記上27章

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聖書日課 サムエル記上17章

聖書日課 サムエル記上17章(新共同訳 旧約pp.454-458)

 少年ダビデが巨人ゴリアトを打ち倒した! まだ一度も戦場に出たことのない少年が、剣も持たずに「石投げ紐と石一つ」で(50節)、巨大なペリシテの勇士ゴリアトを倒してしまった! これは、実に痛快な信仰物語である。

 ダビデは、父の依頼で兄の「安否を確かめ」るために戦場に行った(18節)。そこで、ゴリアトの傲慢で挑発的な言葉を聞いた(23節)。ゴリアトは、身の丈が3メートルにも達するような巨漢の兵士で(5節)、その力に物を言わせてイスラエルイスラエルの神を嘲り、一騎打ちを申し出た(10節)。しかし、「サウルとイスラエルの全軍は、このペリシテ人の言葉を聞いて恐れおののい」ていた(11節)。

 ところが、ゴリアトの言葉は、却ってダビデの信仰心に火をつけた。ダビデ「生ける神の戦列に挑戦するとは、あの無割礼のペリシテ人は一体何者ですか」と怒りと信仰に燃え(26節)、サウル王に「僕が行って、あのペリシテ人と戦いましょう」と申し出た(32節)。

 勿論、サウル王はダビデに止めるよう言った(33節)。しかし、ダビデはあくまでも主なる神への信仰に立って主張した。

「獅子の手、熊の手からわたしを守ってくださった主は、あのペリシテ人の手からも、わたしを守ってくださるにちがいありません」(37節)。

 ダビデは主なる神の力と勝利を信じ切っていた。ダビデの勝利は、彼の力ではなく、彼がこれまでずっと信じてきた主なる神の力による勝利である。だからこそ、彼は、サウル王がくれた鎧と兜を身に着けず、「自分の杖」「五つ」「石」「石投げ紐」という、自分が使い慣れたものを持って戦いに出て行った(39~40節)。

「だが、ダビデもこのペリシテ人に言った。『お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。今日、主はお前をわたしの手に引き渡される。わたしは、お前を討ち、お前の首をはね、今日、ペリシテ軍のしかばねを空の鳥と地の獣に与えよう。全地はイスラエルに神がいますことを認めるだろう。主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。この戦いは主のものだ。主はお前たちを我々の手に渡される』」(45~47節)。

 主なる神への深い信頼がもたらす力の大きさは計り知れない。しかし、私達はあくまでも自分のままで、主なる神を信じて、精一杯自分の力を発揮すればよいのである。そして、これは私達の日常の生活にも必要な信仰のあり方である。今日あなたは、主なる神と共にどのような一日を過ごすだろうか。

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聖書日課 サムエル記上16章

聖書日課 サムエル記上16章(新共同訳 旧約pp.453-454)

 サムエルは、ずっと悔やんでいた。それは、彼が油を注いでイスラエルの王としたサウルが、不信仰と反逆の罪のために主なる神によって退けられてしまったからである。

 期待を裏切られたことを嘆き続ける気持ちは分からなくはない。しかし、それは決して主なる神の御心ではない。主なる神は、サムエルに叱責と励ましの言葉をかけられた。

「主はサムエルに言われた。『いつまであなたは、サウルのことを嘆くのか。わたしは、イスラエルを治める王位から彼を退けた。角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。わたしはその息子たちの中に、王となるべき者を見いだした。』サムエルは言った。『どうしてわたしが行けましょうか。サウルが聞けばわたしを殺すでしょう。』主は言われた。『若い雌牛を引いて行き、『主にいけにえをささげるために来ました』と言い、いけにえをささげるときになったら、エッサイを招きなさい。なすべきことは、そのときわたしが告げる。あなたは、わたしがそれと告げる者に油を注ぎなさい』」(1~3節)。

 嘆きや悲しみの状況を一変させるもの、それは主なる神の御声を聞くことである。そして、その御声に従って行動を起こす時、新たな祝福の道が開かれる。

「サムエルは主が命じられたとおりにした」(4節)。恐れや不安が全くなくなったわけではない(2節)。それでも、彼はとにかく主の御声に従い、ベツレヘムに行った。そして、そこで「いけにえの会食」を開き、「エッサイとその息子たち」「招いた」(5節)。全て主なる神の導きのままに。

 エッサイの息子たちを見ると、サムエルはまず長男の「エリアブに目を留め、彼こそ主の前に油を注がれる者だ、と思った」(6節)。しかし、この時主は言われた。

「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」(7節)。

 そして、この後、遂にダビデと出会ったのである(12節)。

 サムエルは、ここでも主の御声を聞く必要があった。幼い頃から主に仕え続けてきたサムエルにとって、それこそが一番大切な使命だった。「どうぞお話しください。僕は聞いております」(3章10節)、これは最後の士師であり祭司であったサムエルの生涯にわたる祈りであり、求めであり、姿勢であった。しかと学びたい姿勢である。

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聖書日課 サムエル記上15章

聖書日課 サムエル記上15章(新共同訳 旧約pp.451-453)

 その後、イスラエルは順調に勢力を拡大していった。その一方で、サウル王の愚かさはますます明らかになっていったようである(14章24~45節)。15章には、そのようなサウル王の不信仰が、取り返しのつかない事態を招いてしまった悲しい出来事が記されている。

 事の起こりは、主なる神がサウル王に、アマレク人を討つよう命じたことに始まる。この時主なる神は、次のようにサウル王に命じている。

「行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない」(3節)。

 サウルは、主なる神の命令に従って「アマレク人を討った」(7節)。ところが、彼らは「アマレクの王アガク」を殺さずに「生け捕りにし」た(8節)。また、牛や子羊の中の「値打ちのないものだけを滅ぼし」「上等なもの」は皆「惜しんで滅ぼし尽くさ」なかった(9節)。

 主なる神はこれを見てサムエルに言った(10節)。

「わたしはサウルを王に立てたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしの命令を果たさない」(11節)。

 サムエルは「深く心を痛め、夜通し主に向かって」祈り続けた(11節)。

 しかし、当のサウル王は、そのような罪など全くないかのようにサムエルにこう言った。

「わたしは主の御声に聞き従いました。主の御命令どおりに出陣して、アマレクの王アガグを引いて来ましたし、アマレクも滅ぼし尽くしました。兵士が、ギルガルであなたの神、主への供え物にしようと、滅ぼし尽くすべき物のうち、最上の羊と牛を、戦利品の中から取り分けたのです」(20~21節)。

 このサウル王の発言に対してサムエルは次のように答えた。

「サムエルは言った。『主が喜ばれるのは/焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり/耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。反逆は占いの罪に/高慢は偶像崇拝に等しい。主の御言葉を退けたあなたは/王位から退けられる』」(22~23節)。

 イスラエルの兵士たちは、「主への供え物」にするためという名目をつけて「最上の羊と牛」を残しておいた。しかし本当は、滅ぼし尽くすのが惜しかっただけである。つまり彼らは、欲望に駆られて主なる神の御命令に背いたのである。そして、サウル王も、そういう兵士たちの声に押されて、主なる神の御命令を軽んじた。これは、主なる神によって立てられた王として決定的な失態となった。

 サムエルはサウル王に言った。「主の御言葉を退けたあなたは/王位から退けられる」。サウル王は、主なる神の御言葉を退けることによって自らが退けられる道を選んでしまった。彼は結局、大切な教訓を最後まで学ぶことはなかった。

「聞き従うことはいけにえにまさり/耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる」

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聖書日課 サムエル記上14章

聖書日課 サムエル記上14章(新共同訳 旧約pp.447-450)

 イスラエルの民は恐れていた。彼らは皆、「海辺の砂のように多かった」ペリシテ軍を前にして圧倒されていた(13章5節)。おまけに、頼りの綱のサウル王は、罪を犯してサムエルから叱責をかう始末だった(同13~14節)。イスラエル軍の士気は下がるばかりだった。

 しかし、そのような暗い雰囲気を一変させる人物が現れた。サウル王の息子ヨナタンである。ヨナタンは、以前にも「ペリシテの守備隊を打ち破」る武勲を挙げていたが(13章3節)、今度は、形勢を一気に逆転させるほどの大殊勲を挙げた。それも、彼と彼の「従卒」のたった2人きりで。

 ヨナタンは、主への信仰に生きる若者だった。それは彼の言葉を聞けば一目瞭然である。

ヨナタンは自分の武器を持つ従卒に言った。『さあ、あの無割礼の者どもの先陣の方へ渡って行こう。主が我々二人のために計らってくださるにちがいない。主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない。』従卒は答えた。『あなたの思いどおりになさってください。行きましょう。わたしはあなたと一心同体です』」(6~7節)。

「主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」。この信仰だけで、彼は従卒と2人きりで「ペリシテ軍の先陣」に向かって行った(11節)。常識的に考えれば、それは無謀としか言いようがない。もし知っていれば、誰もが彼らを引き止めたことだろう。だから、彼らは誰にも内緒で陣営を抜け出して敵に向かって行った。

 しかし、主なる神は、この2人の信仰を喜んで受けとめられた。ヨナタンたちが敵の先陣に上って行って「およそ二十人」「討ち取」ると(14節)、ペリシテ全軍に恐怖が広がった(15節)。そればかりではない。主なる神が地を揺り動かしたので、彼らの「恐怖はその極に達し」(15節)、互いに「同士討ち」を始めた(20節)。

 その様子を見たイスラエルの人々は、「それまでペリシテ側につ」いていた者も、恐れて「身を隠れていた」者も皆、「戦いに加わり」、ペリシテ軍と戦い始めた(21~22節)。「こうして主はこの日、イスラエルを救われた」(23節)。

 たった2人の小さな信仰が、大きな勝利をもたらした。それは、主なる神への信頼がもたらした勝利だった。しかし、私が何よりも驚くのは、多くの人々が恐れて意気消沈していたにもかかわらず、この2人だけは、主なる神への信仰に燃えていたことである。そして、2人の信仰が多くの人々の勇気を奮い起こし、イスラエルに大勝利をもたらした。恐るべし信仰の影響力! 恐るべし信仰の波及力!

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聖書日課 サムエル記上13章

聖書日課 サムエル記上13章(新共同訳 旧約pp.446-447)

 サウル王の覇権は順調に広がっていった。「王となって一年でイスラエル全体」に支配を広げ、「二年たったとき」には「三千人」常備軍を備えるまでになっていた(1~2節)。

 そのような中、息子ヨナタン「ペリシテの守備隊を打ち破」ると、サウルは「国中に角笛を吹き鳴らして」人々を招集した(3節)。一方、「ペリシテ軍」も、イスラエルと戦うために」、全軍を挙げて「ミクマスに陣を敷いた」。その兵士の数は「海辺の砂のように多かった」と記されている(5節)。イスラエルの人々は恐れた(6節)。しかし、サウルは「ギルガル」に留まって、サムエルの到着を待った(7節)。それは、サムエルによって戦勝祈願の献げ物を主にささげるためである。

 ところが、約束の期日が過ぎてもサムエルは来なかった。そのため、恐れ慄く兵士の中には、隊を離れる者も出始めた(8節)。すると、サウルは遂にしびれを切らして、サムエルの到着を待たずに自分で「焼き尽くす献げ物をささげ」てしまった(9節)。

 祭司がささげるべき献げ物を自分でささげることは、たとえ王であっても、主なる神の教えに反する越権行為であった。そして、それは明らかに、サウル王の不信仰と高ぶりの罪だった。サウル王は、主なる神を信頼して待つことが出来なかったのである。

「焼き尽くす献げ物をささげ終えたそのとき、サムエルが到着した」。サムエルはサウル王に言った。「あなたは何をしたのか」(11節)。そして、それに続けて、次のように宣告した。

「サムエルはサウルに言った。『あなたは愚かなことをした。あなたの神、主がお与えになった戒めを守っていれば、主はあなたの王権をイスラエルの上にいつまでも確かなものとしてくださっただろうに。しかし、今となっては、あなたの王権は続かない。主は御心に適う人を求めて、その人を御自分の民の指導者として立てられる。主がお命じになったことをあなたが守らなかったからだ』」(13~14節)。

 何と厳しい言葉だろう。しかし、私達はここから大切な教訓を学びたい。どこまでも主なる神を信頼して待つこと、そして自分の分をしっかり弁えて、主なる神の使命に生きることを心に留めよう。

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聖書日課 サムエル記上12章

聖書日課 サムエル記上12章(新共同訳 旧約pp.444-446)

 サウル王が名実共にイスラエルの王として即位すると、サムエルはこの時を待っていたかのように、イスラエルの士師としての役目を引退する旨を民に伝えた(1~3節)。

 この時、士師の時代は終わり、王国時代が始まった。これからは王がイスラエルの民を率いていくことになった。

 サムエルは最後のメッセージとも言える言葉を人々に伝えた。それは、主なる神がイスラエルに対して「行われた救いの御業」を振り返り、主がイスラエル「導き上った方」であることを改めて人々に確認させ(6~11節)、人々も彼らの「上に君臨する王も」主なる神に聞き従って歩むように勧めるものであった。そして、「もし主の御声に聞き従わず、主の御命令に背くなら」、主の裁きの「御手」「下る」と警告した。

「今、見よ、あなたたちが求め、選んだ王がここにいる。主はあなたたちに王をお与えになる。だから、あなたたちが主を畏れ、主に仕え、御声に聞き従い、主の御命令に背かず、あなたたちもあなたたちの上に君臨する王も、あなたたちの神、主に従うならそれでよい。しかし、もし主の御声に聞き従わず、主の御命令に背くなら、主の御手は、あなたたちの先祖に下ったように、あなたたちにも下る」(13~15節)。

 勧めと警告。祝福と呪い。このようなメッセージは、イスラエルの歴史の中で何度も繰り返し語られてきた。勿論、時代の変化によって多少の違いはあるが、要点は全く変わらない。主に聞き従って祝福を受けることを勧める一方で、主に逆らえば裁かれることを警告している。

 これは実に単純明快なメッセージである。誰もが理解することの出来る内容である。このように簡単なメッセージが、どうして何度も繰り返されてきたのだろうか。それは、頭で理解することと心に受け入れて生きることの違いである。イスラエルの民は、知っていながら、それに聞き従おうとしなかった。その結果は、イスラエルの歴史が物語っている通りである。

 勿論、これはイスラエルの民に限った問題ではない。悲しいことに、それが人間の現実である。だから、全ての人が、このメッセージを繰り返し聞く必要がある。しかし、同時に、主なる神はそのような愚かな人間に対し、決して諦めることなく何度も何度も繰り返し語りかけて下さっているということも忘れてはならない。主なる神の恵みと憐れみは変わることなく注がれている。「しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました」と御言葉にある通りに(ローマの信徒への手紙5章20節)。

「主はその偉大な御名のゆえに、御自分の民を決しておろそかにはなさらない。主はあなたたちを御自分の民と決めておられるからである」(22節)。

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聖書日課 サムエル記上11章

聖書日課 サムエル記上11章(新共同訳 旧約pp.443-444)

 サウルはイスラエルの王となった。しかし、彼の生活は、以前と変わらず、農夫のままであった(5節)。また、サウルを王として認めたくない「ならず者」も存在していたようで(10章27節)、彼は、公私共に王としての実力を発揮するには至っていなかった。

 しかし、そのようなサウル王に真価が問われる機会が訪れた。

 それは、「ギレアドのヤベシュ」の住民がサウルに助けを求めてきたことによって引き起こされた。ヤベシュの人々は、「アンモン人」に包囲され、無理難題を押し付けられて、彼らの奴隷となるように脅しをかけられたのである(1~2節)。

 この時、ヤベシュの使者の報告を聞いていたサウルに、「神の霊」「激しく降った」。すると、サウルは「怒りに燃え」「引き裂」いた「牛」「使者に持たせて」イスラエル全土」「出陣」の招集をかけた。

「それを聞くうちに神の霊がサウルに激しく降った。彼は怒りに燃えて、一軛の牛を捕らえ、それを切り裂き、使者に持たせて、イスラエル全土に送り、次のように言わせた。『サウルとサムエルの後について出陣しない者があれば、その者の牛はこのようにされる。』民は主への恐れにかられ、一丸となって出陣した」(6~7節)。

 サウルの言葉に「民は主への恐れにかられ、一丸となって出陣した」。その数、何と33万(8節)! まさに、神の民が一つとなった瞬間だった。そして、彼らは瞬く間にアンモン人を打ち破った(11節)。

 こうして、全イスラエルは、「ギルガル」で、サウル王の即位式を行い、「大いに喜び祝った」(15節)。サウルは、この時、名実共にイスラエルの王として人々に認められるようになった。

 しかし、それは決してサウル自身の実力ではなく、サウルを選び、サウルに霊を注がれた主なる神の力によるものであったことを忘れてはならない。人は、どうしても目に見えるものに囚われてしまう。サウルの上に「激しく降った」「神の霊」の臨在と力を見ずに、サウルという〈器〉を見て、その〈器〉をほめたたえてしまう。それがイスラエルの人々の問題であり、サウル王自身の問題でもあった。また、これは私達にとっての教訓でもある。

 使徒パウロは言った。

「しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません」(ガラテヤの信徒への手紙6章14節)。

 あなたは何に頼り、何を誇りとして生きているだろうか。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

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