ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 歴代誌上20章

聖書日課 歴代誌上20章(新共同訳 旧約p.656)

 20章には、ダビデ王によるアンモン征服とペリシテ人への勝利が記されている。

「年が改まり、王たちが出陣する時期になった。ヨアブは軍隊を率いてアンモン人の地を荒らし、ラバに来てこれを包囲した。しかしダビデ自身はエルサレムにとどまっていた。ヨアブはラバを攻略し、破壊した。ダビデはその王の冠を王の頭から奪い取った。それは一キカルの金で作られ、宝石で飾られていた。これはダビデの頭を飾ることになった。ダビデがこの町から奪い去った戦利品はおびただしかった」(1~2節)。

 ダビデは、アラムの後ろ盾を失った「アンモン」を攻め、その首都「ラバ」を征服して、イスラエルへの戦意を打ち砕き、アンモンを属国とした。それはアンモンに対する完全勝利であった。また、ダビデは、長年の宿敵「ペリシテ」をも打ち破って、ここでも完勝を収めた。このように、20章は、ダビデ王による治世の完全な勝利を記している。

 しかし、実のところ、イスラエルとアンモンが戦っていた時、ダビデはバト・シェバとの罪に陥っていた。また、ペリシテ人との戦いの時には、ダビデは疲れていた」とサムエル記は記している(サムエル記下21章15節)。

 何故歴代誌は、こういうダビデの失態を記していないのだろうか。或る人々は、それはダビデを美化するためであると述べている。しかし、次の21章には、ダビデが犯した別の罪が記されているので、そうとも言えない。恐らく、それは、神の民イスラエルと礼拝再興という歴代誌の執筆目的と余り関わりのない出来事として省かれたのだろう。

 しかし、これはとても大切なことを私達に示してくれているようにも思う。それは、私達は様々な罪を犯してしまうけれども、そのような罪や失敗の全てを乗り越えて、神の国と礼拝は確かに築き上げられていくということである。

 勿論、それは罪など小さなことだと言うことではない。主なる神は、そのために主イエス・キリストを十字架にかけて下さった。そして、それは主なる神がどんなに強く神の国と真の礼拝者を愛し求めておられるかということを表している。

 神の国と真の礼拝、私達はどれほど強くこれを求めているだろうか。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
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聖書日課 歴代誌上19章

聖書日課 歴代誌上19章(新共同訳 旧約pp.655-656)

 或る日、ダビデ王は、「アンモン人の王ナハシュ」の訃報を聞き、「使者を遣わして哀悼の意を表そうとした」(1~2節)。これは、かつてダビデがサウル王から逃れて放浪の旅をしていた時、アンモンのナハシュ王の好意を受けたことに対する誠意を示すためであったと思われる。

 ところが、「アンモンの高官たち」ダビデの好意を頭から疑ってかかった。そして、ナハシュに「代わって王となった」ハヌンに注意を促した。そこで、ハヌンは彼らの進言を受け入れ、ダビデの家臣を捕らえ」て、「辱め」た上で「追い返し」てしまった。

「アンモン人の高官たちはハヌンに言った。『ダビデがお父上に敬意を表して弔問の使節を送って来たとお考えになってはなりません。ダビデの家臣があなたのもとに来たのは、この地を探って倒すため、うかがうためにちがいありません。』それでハヌンはダビデの家臣を捕らえ、ひげをそり落とし、衣服も半分、腰から下を切り落として追い返した」(3~4節)。

 ダビデは善意を仇で返されたことに怒り、「全軍」を召集してアンモンに立ち向かった(8節)。アンモンも、ダビデの憎しみをかったことを悟っ」て、アラムと同盟を結んでイスラエル軍に対峙した(6~7節)。こうして、イスラエル軍とアンモン・アラム同盟軍の全面戦争が勃発してしまった。

 戦いはイスラエル軍の全面的な勝利に終わり(18節)、アンモンとアラムは大きな痛手を負って、ダビデ「隷属」することになった。そして、「アラム人は、二度とアンモン人を支援しようとはしなかった」と聖書は記している(19節)。

 悲劇は、アンモンの王ナハシュとその高官たちの判断ミスから生まれた。ほんの小さな恐れが平和な関係を破壊し、ほんの小さな疑いが戦争さえも生み出して、大きな犠牲と損害をもたらすことになった。

 勿論、何でも信頼すれば良いということではない。しかし、恐れや疑念は、時に大問題を引き起こす引き金となることがある。恐れや疑念のままに行動することなく、主に心を向けて信頼し、心を主の平安によって保ち続けることが大切である。

「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(フィリピの信徒への手紙4章6~7節)。

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聖書日課 歴代誌上18章

聖書日課 歴代誌上18章(新共同訳 旧約p.654)

 18章には、ダビデ周辺諸国を次々に打ち破っていったことと、ダビデ重臣たちの名前が記されている。彼は、まず長年の強敵「ペリシテ」を打ち破った。続いて「モアブ」にも勝利して彼らを「隷属」させた。更に、ダビデ「ツォバの王ハダドエゼル」を討ち、その「援軍」「アラム」も討ち破った。

「その後、ダビデペリシテ人を討って屈服させ、ペリシテ人の手からガトとその周辺の村落を奪った。また、モアブを討ち、モアブ人はダビデに隷属し、貢を納めるものとなった。ダビデは次に、ハマト地方のツォバの王ハダドエゼルが、ユーフラテスに覇権を確立しようと行動を起こしたとき、彼を討ち、戦車一千、騎兵七千、歩兵二万を捕獲し、戦車の馬は、百頭を残して、そのほかはすべて腱を切ってしまった。ダマスコのアラム人がツォバの王ハダドエゼルの援軍として参戦したが、ダビデはこのアラム軍二万二千をも討ち、ダマスコのアラム人に対して守備隊を置いた。こうしてアラム人もダビデに隷属し、貢を納めるものとなった。主はダビデに、その行く先々で勝利を与えられた」(1~6節)。

 すると、それを聞いた「ハマトの王トウ」が、ダビデの戦勝を祝って」多くの財宝を貢いできた(9~10節)。今やダビデは、国内においては多くの重臣・家来を抱え、国外においても周辺諸国との戦いに次々に勝利する無敵の存在となった。

 しかし、この18章は、単に「ダビデは凄い! 偉い!」とダビデを賞賛するために書かれたわけではない。ダビデの勝利も繁栄も、全ては主なる神がお与え下さった祝福である。つまり、本当に素晴らしいのは主なる神である。そのことを示すために18章は書かれた。

 ダビデは、神の箱をエルサレムに運び入れ、盛大な儀式を執り行い、更に神殿建設の夢を抱いて、なお一層主なる神に仕えようとした。そのようなダビデの信仰を、主なる神は喜ばれた。それ故、主なる神はますますダビデを祝福し、軍事的にも、経済的にも勝利と繁栄を与えられた。それはまさに、イエス・キリストが教えて下さった通りの祝福であると言えるだろう。

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(マタイによる福音書6章33節)。

 勿論、この祝福の原則は、今も変わることはない。

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聖書日課 歴代誌上17章

聖書日課 歴代誌上17章(新共同訳 旧約pp.652-654)

 或る日、ダビデ王は、「主の契約の箱」を納めるための神殿を建設したいと預言者ナタン」に申し出た。それは、「主の契約の箱」エルサレムに運び入れたダビデの信仰の喜びから生まれた壮大な計画であった。勿論、預言者ナタンも大賛成だった。

ダビデは王宮に住むようになり、預言者ナタンに言った。『見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、主の契約の箱は、天幕を張ってその下に置いたままだ』。ナタンはダビデに言った。『心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。神はあなたと共におられます』」(1~2節)。

 ところが、主なる神は、それよりも更に素晴らしいご計画を持っておられた。ダビデではなく(4節)、ダビデ「跡を継」「子の一人」に神殿を建てさせるというのである(11~12節)。しかも、逆に主なる神がダビデのために「家を建てる」と約束して下さった(10節)。

 そればかりではない。主なる神は、ダビデ「敵をことごとく断ち」、彼を「地上」「大いなる者」とし(8節)、ダビデ「王座をとこしえに堅く据える」とも約束された(12節)。何と大きな祝福だろう! 何と素晴らしい恵みだろう!

 信仰の根本は、私達が主なる神に何かを与えることではない。主なる神が私達に、大切なもの、必要なものを全てお与え下さる御方であると知ることにある。全ては〈恵み〉によって与えられる〈賜物〉である。そこにキリスト教信仰の真髄がある。

 主なる神は、ダビデの信仰の申し出を喜ばれた。そして、ダビデが主なる神のためになそうと考えたことを遥かに超えて素晴らしい祝福を注いで下さった。主なる神は、今も、私達の祈りを、礼拝を、讃美を、奉仕を、献身を、献金を、そしてあらゆる献げ物を喜び、私達が献げるものを遥かに超えて大きな恵みと祝福をお与え下さる。

「わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ」(マタイによる福音書19章29節)。

「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」(ヨハネの手紙一4章10節)。

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聖書日課 歴代誌上16章

聖書日課 歴代誌上16章(新共同訳 旧約pp.650-652)

 ダビデ王は、エルサレム「神の箱を運び入れ」ると、盛大な儀式を執り行って主なる神に賛美を献げた。この時、ダビデは初めて「レビ人」「アサフとその兄弟たちに」「主をたたえて感謝をささげ、賛美する」「務めを託した」(4節、7節)。それ以来、この務めは代々アサフの子孫に受け継がれ、バビロン捕囚後に再建したイスラエルにおいても、「アサフの一族」は神殿における「詠唱者」としての役割を果たし続けた(エズラ記2章41節)。

 礼拝再建のための書である歴代誌には、讃美に関する言及が沢山登場する。それは主なる神への礼拝において讃美がいかに大切な要素であるかを示している。だからこそ、竪琴の名手であったダビデも、沢山の讃美の歌を作り、主に献げた。次の歌は、神の箱の前で献げられたダビデ王の讃美の歌である。

「主に感謝をささげて御名を呼べ。諸国の民に御業を示せ。主に向かって歌い、ほめ歌をうたい/驚くべき御業をことごとく歌え。聖なる御名を誇りとせよ。主を求める人よ、心に喜びを抱き/主を、主の御力を尋ね求め/常に御顔を求めよ。主の成し遂げられた驚くべき御業と奇跡を/主の口から出る裁きを心に留めよ。主の僕イスラエルの子孫よ/ヤコブの子ら、主に選ばれた人々よ」(8~13節)。

 勿論、讃美はダビデにとって単なる趣味ではない。ダビデにとって、讃美は誇りであり、力であり、喜びであり、願いであり、主に愛された者としての当然の務めであった。そう言うと、ダビデが〈楽天家〉であったかのように思えるかも知れない。だが、ダビデが歩んだ困難を極める日々のことを考えれば、彼の人生は、決して楽天的に生きることが出来るようなものではなかった。

 しかし、だからこそダビデは、なお一層主を讃美することに心を向け続けたのではないか。ダビデは、讃美を通して与えられる主なる神の力と喜びなくしては、決して人生を歩み続けることは出来なかっただろう。もしダビデが讃美することを知らなかったら、その信仰と勝利と繁栄の生涯はあり得なかったに違いない。そして、そのことを誰よりもよく知っていたのはダビデ自身だった。

「恵み深い主に感謝せよ/慈しみはとこしえに。祈って言え。わたしたちの救いの神よ、わたしたちを救い/諸国の中からわたしたちを集め/救い出してください。聖なる御名に感謝をささげ/あなたを賛美し、ほめたたえさせてください。イスラエルの神、主をたたえよ/世々とこしえに。民は皆、アーメンと答えよ。主を賛美せよ」(34~36節)。

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聖書日課 歴代誌上15章

聖書日課 歴代誌上15章(新共同訳 旧約pp.648-649)

 15章には、ダビデ王が再び神の箱をエルサレムに運び入れようとした出来事が記されている。

ダビデは祭司ツァドクとアビアタル、レビ人のウリエル、アサヤ、ヨエル、シェマヤ、エリエル、アミナダブを呼んで、言った。『レビ族の家系の長であるあなたたちは、兄弟たちと共に自らを聖別し、イスラエルの神、主の箱を、わたしが整えた場所に運び上げよ。最初のときにはあなたたちがいなかったので、わたしたちの神、主はわたしたちを打ち砕かれた。わたしたちが法に従って主を求めなかったからである。』祭司とレビ人は、イスラエルの神、主の箱を運び上げるため自らを聖別した。主の言葉に従ってモーセが命じたように、レビ人たちが竿を肩に当てて神の箱を担いだ」(11~15節)。

 それは1回目の失敗(13章)から数ヶ月が経過した後のことであった。その間、神の箱はオベド・エドムの家に一時的に預けられていた。

 ダビデはこの数ヶ月の間、ずっと祈り、考え、学んでいたものと思われる。どうしてウザは、主の怒りを受けて死んでしまったのか。私達のどこに間違いがあったのかと。

 人生に失敗はつきものである。だから、失敗しないよう心掛けることは大切であるが、それ以上に大切なのは、失敗から学び、反省し、再び挑戦することではないか。ダビデは、この失敗から自分の高慢と不注意を反省し、律法の教えを学び直すことで、「神の箱を担ぐのは、レビ人でなければならない」ことを見出した(2節)。

 主なる神の祝福は、主なる神の教えに聞き従う者の上にこそ注がれる。どんなに盛大な讃美も、どんなに壮大な儀式も、主の教えに従っていなければ祝福とはならない。勿論、讃美や儀式など要らないということではない。讃美も礼拝も、また祈りも献金も奉仕も、全て主の御心に従ってこそ祝福となるということである。主の教えに従って執り行われる儀式には、大きな祝福と喜びが満ち溢れる。

「主の契約の箱を担ぐレビ人を神が助けてくださったので、彼らは雄牛七頭と雄羊七匹をいけにえとしてささげた。…イスラエルの人々はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛とラッパを吹き、シンバルを鳴らし、琴と竪琴を奏でて、主の契約の箱を運び上げた」(26、28節)。

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聖書日課 歴代誌上14章

聖書日課 歴代誌上14章(新共同訳 旧約pp.647-648)

 神の箱にまつわる出来事の間に、14章が記されている。ダビデが油を注がれて全イスラエルの王となった」という知らせを受けたペリシテ人は、一斉に蜂起し、ダビデの命をねらって」出陣して来た。

ペリシテ人は、ダビデが油を注がれて全イスラエルの王となったことを聞いた。すべてのペリシテ人が、ダビデの命をねらって攻め上って来た。ダビデはこれを聞いて彼らに向かって出陣した」(8節)。

 かつてサウル王の手を逃れてペリシテの臣下となっていたダビデが、敵国イスラエルの王になった」という知らせは、ペリシテ人にとって裏切りとも脅威とも思えたに違いない。そこで彼らは、ダビデ王国が確立する前に彼を討とうと全軍挙げて「攻め上って来た」のである。

 しかし、この時ダビデには確信があった。

ダビデは、主が彼をイスラエルの王として揺るぎないものとされ、主の民イスラエルのために彼の王権を非常に高めてくださったことを悟った」(2節)。

 そして、彼は信仰に立って主なる神に祈った。

「『ペリシテ人に向かって攻め上るべきでしょうか。彼らをこの手にお渡しくださるでしょうか。』主はダビデに答えられた。『攻め上れ。あなたの手に渡す』」(10節)。

 そこで、ダビデは主の導きに従って攻め上り、ペリシテ軍を打ち破った。

 ところが、間もなくペリシテ軍は、態勢を整えて再びダビデに向かって攻め上って来た。それに対し、ダビデ「再び神に託宣を求め」て祈った(13節)。すると主なる神はダビデにこう答えられた。

「彼らを追って攻め上らず、彼らを避けて回り込め。バルサムの茂みの反対側から敵に向かえ。茂み越しに行軍の音を聞いたら、そのとき出て行って戦え。神がペリシテの陣営を討つために、あなたに先んじて出陣されるのだ」(14~15節)。

 ダビデは今度も「神の命じられたとおりに行動し」ペリシテ人の陣営を討ち滅ぼした」(16節)。

 ダビデは主なる神の約束を確信していた。そして、主なる神の託宣を求めて祈り、その導きに完全に従った。そこにダビデの勝利の秘訣があった。主なる神への信仰と従順、それは私達の人生にも主なる神の祝福と勝利をもたらす不変の原則である。

「こうしてダビデの名声はすべての国々に及んだ。主は諸国の民が皆、彼を恐れるようにされた」(17節)。

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聖書日課 歴代誌上13章

聖書日課 歴代誌上13章(新共同訳 旧約pp.646-647)

 ダビデ王は、「すべてのイスラエル人と共に」、神の箱が置かれていた町「キルヤト・エアリムに上って行った」(6節)。それは壮大な儀式であった。「竪琴、琴、太鼓、シンバル、ラッパ」の音が鳴り響く中、牛に引かれた「新しい車に」「神の箱を」「載せ」エルサレムに向かって颯爽と進んで行った。ダビデとすべてのイスラエル人は、神の御前で力を込めて、歌をうたい」、主を讃美した。

「彼らはアビナダブの家から、神の箱を新しい車に載せ、ウザとアフヨがその車を御した。ダビデとすべてのイスラエル人は、神の御前で力を込めて、歌をうたい、竪琴、琴、太鼓、シンバル、ラッパを奏でた」(7~8節)。

 ところが、ここで大変な事件が起こってしまった! 「一行がキドンの麦打ち場にさしかかったとき、牛がよろめいたので」、車の御者であったウザが「手を伸ばして」神の「箱を押さえようとした」ところ、彼は「主の怒り」「打たれ」「死ん」でしまったのである。

「一行がキドンの麦打ち場にさしかかったとき、牛がよろめいたので、ウザは手を伸ばして箱を押さえようとした。ウザが箱に手を伸ばしたので、ウザに対して主は怒りを発し、彼を打たれた。彼はその場で、神の御前で死んだ」(9~10節)。

 国を挙げての壮大な儀式中に死者を出すなど、儀式が台無しになっただけでなく、儀式の主催者である王にとって、面目丸潰れの大事件である。ダビデは怒り(11節)、儀式を中断して、神の「箱をガト人オベド・エドムの家に」預けた。

 恐れと悔しさと不可解さの中で、ダビデは苦しみ考えた。主なる神のために一生懸命やった筈なのに、正しいことをした筈なのに、どうしてこのようなことが? しかし、ダビデは間違っていた。神の箱を運ぶのはレビ人の務めであると定められていたのに、それをレビ人でないウザとアフヨに任せたからである。

 どんなに盛大な儀式も、どんなに熱心な行動も、それが主なる神の教えに反するものであるならば祝福を得ることは出来ない。それどころか、主なる神の怒りを招くことさえある。この時、ダビデは、王となった勢いにまかせて大切なことを見失っていたのかも知れない。信仰とは、自分の思い、自分の方法ではなく、主なる神の御思い、主なる神の方法に従うことであるということを。

「主が喜ばれるのは/焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり/耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる」(サムエル記上15章22節)。

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聖書日課 歴代誌上12章

聖書日課 歴代誌上12章(新共同訳 旧約pp.644-646)

 11章に続いて12章にも、ダビデに協力した人たちのリストが記されている。しかも、その協力者たちはイスラエル全国から集って来たことが分かる。

ダビデがまだキシュの子サウルを避けていなければならなかったとき、ツィクラグにいるダビデのもとに来た者は次のとおりである。彼らも戦いの補助要員として、勇士たちに連なっていた」(1節)。

「ユダ族」(17節)、「マナセ族」(21節)、シメオン族(26節)、レビ族(27節)、エフライム族(31節)、イサカル族(33節)、「ゼブルン族」(34節)、「ナフタリ族」(35節)、「ダン族」(35節)、「アシェル族」(37節)、「ルベン族、ガド族」(38節)、そして「ベニヤミン族」(17節)――彼らは「サウルと同族」であった(2節)――、これはイスラエルの全部族がダビデに協力を申し出たような状況である。

 しかし、ここで興味深いのは、この時ダビデはまだ王ではなかったということである。彼には王になる前から実に多くの協力者が集まっていたのである。

 王に仕える人が沢山いるのは当然のことである。しかし、まだ王でもないダビデに、しかも、王であるサウルから命を狙われていたダビデに、これほど多くの協力者が続々と集まって来たというのはとても不思議なことである。勿論サウル王に反対する人たちがいたのは確かである。しかし、サウル王に対する反発がこれほどの人々を集めたとは思えない。寧ろ、これはダビデがいかにカリスマ性を持った人物であったかを示している。

 しかし、この場合の〈カリスマ〉は、単に人間的な魅力や力を意味しているのではない。カリスマとは〈主なる神の無償の賜物、恵みの賜物〉を意味する。主なる神に選ばれ、聖霊の油注ぎを受けた者に与えられた恵みの賜物、それがダビデのカリスマだった。

 そうだとすれば、彼に与えられた大勢の協力者は、ダビデと共におられた主なる神の恵みによる祝福であったと言えるだろう。主なる神は、主なる神を愛し、主なる神に従う者と共におられ、多くの恵みと祝福を注いで下さる御方なのだから。

「主よ、あなたは従う人を祝福し/御旨のままに、盾となってお守りくださいます」(詩編5編13節)。

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聖書日課 歴代誌上11章

聖書日課 歴代誌上11章(新共同訳 旧約pp.642-644)

 11章から、いよいよダビデが登場する! それも、サムエル記のように羊飼いの少年ダビデとしてではなく、いきなりイスラエルの王となったダビデが紹介されている。これもまた、歴代誌の執筆目的によるものである。

 神の民イスラエルの国家と礼拝の再興のために記された歴代誌にとって、ダビデは、何と言ってもその中心的存在である。それは、ダビデによってイスラエル王国が確立され、彼の王座は永久に続くと主なる神から約束されていたからである。そればかりではない。ダビデエルサレムイスラエルの首都とし、神の箱をエルサレムに運び入れた。そして、神の箱を収める神殿を建てるために、それこそ全資産を投じて準備を整えた。

 このように、ダビデイスラエルの国家と礼拝の両面において英雄的存在である。それ故、バビロン捕囚から帰還したイスラエルの残りの民が国を再興するにあたっては、ダビデ王の時代が国家再興のモデルとなった。

 しかし、ダビデの事業は、決してダビデ一人で成し遂げられたものではない。ダビデ王の周りには、実に多くの協力者が存在した。本章には、ダビデの統治に協力し」「勇士」の名が大勢記されている。

ダビデは次第に勢力を増し、万軍の主は彼と共におられた。ダビデの勇士の頭は次のとおりである。彼らはダビデの統治に協力し、イスラエルのすべての人々と共に、主がイスラエルに告げられたとおり、ダビデが王となるように尽力した」(9~10節)。

 その中には有名な「三勇士」の物語も出て来る。彼らは、ダビデ王が所望した「井戸の水を飲ませ」るために、「命をかけて」敵陣を突破して水を「持ち帰った」(17~19節)。「たかが水ごときで…」と思う人もいるかも知れないが、彼らがいかにダビデを愛していたかが分かる。

 この忠義に、ダビデも誠実に応えた。ダビデ「この水を飲むことを望まず、注いで主にささげ」た(18節)。そしてこう言った。

「わが神よ、わたしはこのようなことを決してすべきではありません。彼らは命をかけて持ってきてくれたのです。彼らの命のかかった血をわたしが飲むことができましょうか」(19節)。

 全ての栄光は主に! ダビデの行動は、そういうことを意味していたに違いない。そして、王であるダビデが、常にその姿勢を見失うことなく保ち続けたからこそ、万軍の主は彼と共におられ、この国を祝福して大きな繁栄をお与えになった。礼拝の民イスラエル、それは王も勇士も、全ての人々が、主なる神を愛する信仰と喜びに満たされている国である。私達の国にも、そういう祝福と喜びが広がっていったら嬉しい。

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