聖書日課 マルコによる福音書1章35~45節(新共同訳 新約pp.62-63)
要約
イエス・キリストは「朝早く」「人里離れた所」で祈られた。イエス・キリストは福音を「宣教する」ためにこの地に来たと言われ、「会堂」で教え、「悪霊を追い出された」。また、「重い皮膚病を患っている人」を癒され、その噂を聞いた人々は、イエス・キリストのもとに「集まって来た」。
(1) そのためにわたしは出て来た(35~39節)
主なる神の働きには明らかな目的と方向がある。イエス・キリストは公生涯の間、父なる神の目的と方向に自分の人生を合わせるために、「朝早くまだ暗いうちに」「人里離れた所」で祈られた。イエス・キリストは祈りの答えが与えられると即座に実践に移された。イエス・キリストは「近くのほかの町や村」は勿論、「ガリラヤ中」を回って神の国の福音を宣べ伝えられた。イエス・キリストは「そのためにわたしは出て来たのである」と言われるほど(38節)、ご自分の目的と方向を正確に知っておられた。私達の人生もイエス・キリストと同じ目的と方向に焦点を合わせなければならない。私達が行く先々で、全ての民と国が福音を肯定的に聞かなければならない。サタンの力が退き、神の国がこの地上に建てられなければならない。主の目的と方向に焦点を合わせて祈りつつ従えば、この働きを十分に担うことが出来る。
一日の生活を主の目的と方向に合わせるために、いつどこで祈りますか。それを守るために何を放棄すべきですか。
(2) わたしの心だ。清くなれ(40~45節)
イエス・キリストは私達の霊と心と体が全きものとなることを切に願っておられる。「重い皮膚病を患っている」人がイエス・キリストの前に来て、「ひざまずいて願」った。イエス・キリストの答えは簡単だった。「わたしの心だ。清くなれ」(41節、新改訳)。イエス・キリストは苦しみ、癒しを求める人の差し伸べる手を決して拒絶されず、いつも憐れみの心で応えて下さった。イエス・キリストは癒された人に、「だれにも、何も話さない」で「祭司に体を見せ」、主なる神に感謝の献げ物をささげるよう命じられた。このことは、イエス・キリストが律法を守られ、主なる神の戒めを尊重されていたことを証明している。しかし、彼はイエス・キリストの言葉に従わず、「この出来事を人々に告げ、言い広め」た。このような彼の行動は、主の働きを寧ろ妨げるものとなった。人間的な判断ではなく、神の国の栄光と目的のために完全に従わなければならない。
あなたが全きものとなることを願っておられる主の愛を感じますか。自分の考えではなく主の御心に従うために注意すべきことは何ですか。
祈り
主のように、あなたに出会う時間を一日の最優先とさせて下さい。今日出会う全ての人に豊かな愛と憐れみを注ぎ、知恵をもって接することが出来ますように。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス
https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉