ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ダニエル書11章

聖書日課 ダニエル書11章(新共同訳 旧約pp.1398-1401)

 11章は、2章や7~9章と同様に、ダニエルからイエス・キリストに至る間の4つの帝国と様々な事件についての預言である。特にギリシアについて詳細な預言が展開されている。

 ギリシアは、紀元前331年にアレクサンドロス大王によって世界帝国となった(3節)。しかし、彼の死後、帝国はその「将軍」達の間で、ギリシア小アジア、シリア、エジプトの4つに「分割され」た(4節)。その中で、「北の王」はシリアを(6節)、「南の王」はエジプトを指していると思われる(5節)。21節以降には、シリアのアンティオコス4世エピフェネスによるエルサレム征服、そして彼の暴政によって、神殿が汚され(31節)、多くの人々が殺されることが預言されている。

 そのような中、「自分の神を知る民は確固として行動」し、「多くの者を導く」(32節)。しかし、迫害はますます激しくなり、彼らは「剣にかかり、火刑に処され」て倒される(33節)。それは、これらの苦難を通して彼らが「練り清められ、純白にされるため」であり、また「終わりの時に備えて」のことであると記されている(35節)。

 本章では「時」が強調されている。それは主なる神がお定めになった「時」である。悪が蔓延り、思いのままに振る舞い、歴史を動かしているかのように見える。しかし、全ては主なる神の定めの中でしか起こり得ない出来事であり、真に歴史を支配しているのは主なる神である。

 そして、エルサレムとその聖なる神殿を汚した北の王にも、やがて終わりの時がやって来る。

「海とあの『麗しの地』の聖なる山との間に天幕を張って、王の宿営とする。しかし、ついに彼の終わりの時が来るが、助ける者はない」(45節)。

 主なる神は歴史を支配しておられる。その主なる神に信頼し、主なる神が定められた時を待ち望みながら、勇気と忍耐と希望をもって悪と戦い、勝利を得よう。

西原新生バプテスト教会
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聖書日課 ダニエル書10章

聖書日課 ダニエル書10章(新共同訳 旧約pp.1397-1398)

 ダニエルは、チグリス川の岸辺で「三週間」にわたって祈り続けていた(2節、4節)。時は「ペルシアの王キュロスの治世第三年」であった(1節)。イスラエルの民が約束の地に帰還して2年が経った。ダニエルは、復興のままならない状況のイスラエルを想って、主なる神の前に「嘆きの祈り」を献げていたのだろう。

 そのような時、突然ダニエルの前に天使が現れた。

「愛されている者ダニエルよ、わたしがお前に語ろうとする言葉をよく理解せよ、そして、立ち上がれ。わたしはこうしてお前のところに遣わされて来たのだ」(11節)。

 これは、祈りの中で余りにも壮大な「幻」を見て「気力を失ってしまった」ダニエルに対して天使が告げた言葉である。そして、天使はこう続けている。

「彼は言葉を継いだ。『ダニエルよ、恐れることはない。神の前に心を尽くして苦行し、神意を知ろうとし始めたその最初の日から、お前の言葉は聞き入れられており、お前の言葉のためにわたしは来た。ペルシア王国の天使長が二十一日間わたしに抵抗したが、大天使長のひとりミカエルが助けに来てくれたので、わたしはペルシアの王たちのところにいる必要がなくなった。それで、お前の民に将来起こるであろうことを知らせるために来たのだ。この幻はその時に関するものだ』」(12~14節)。

 ダニエルの祈りは、祈り始めた「最初の日から」天に届いていた。しかし、天における特別な事情のために、ダニエルが祈りの答えを聞くまでに3週間が必要だったというのである。そして、3週間にわたって祈り続け、待ち続けたダニエルに、主はこう語りかけて下さった。

「人のようなその姿は、再びわたしに触れて力づけてくれた。彼は言った。『恐れることはない。愛されている者よ。平和を取り戻し、しっかりしなさい。』こう言われて、わたしは力を取り戻し、こう答えた。『主よ、お話しください。わたしは力が出てきました』」(18~19節)。

 私達は、祈ってすぐに答えが与えられない時、簡単に諦めてしまうということはないだろうか。そして、いつの間にか祈ることを止めてしまう。しかし、たとえ答えがすぐに得られないとしても、祈りは必ず天に届けられている。私達はこのことを決して忘れてはならない。そして、主なる神の御心の時を信じて待つことが大切である。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛の御手の中に置いて、祈りを献げさせて下さることを心から感謝致します。

 主よ、私達は、目に見えることに心を奪われ、目に見えるものの背後にある霊の世界のことが分からなくなっています。祈りは天に届いていること、あなたが私達を助けるために天使を送って下さっていること、そして、何よりもあなたご自身が私達と共にいて下さること。

 どうか、私達の霊の目を開き、霊の世界の消息を教えて下さい。あなたが御使いを通して私達を助けて下さっていることを知ることが出来ますように。また、罪の背後にある悪霊の働きを知り、そこから離れることが出来ますように。

 主よ、あなたの恵み深さを知ると同時に、あなたを畏れることを知ることが出来ますように。

 心から感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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聖書日課 ダニエル書9章

聖書日課 ダニエル書9章(新共同訳 旧約pp.1395-1397)

「ダレイオスの治世第一年」は(1節)、神の民にとっては大きな歴史の転換点となった年であった。この年、長年イスラエルを支配していたバビロン帝国の最後の王ベルシャツァルが殺された。彼らは、これから自分達はどうなっていくのだろうと戦々恐々とした日々を過ごしていた。

 そのような中でダニエルは文書を読んでいた。「主が預言者エレミヤに告げられたように」とあるので(2節)、それは聖書または聖書の教えに関する書物だったようである。世界が大きく変化し、全てが不安定な時代にあっても、主の御言葉に目を向け、これに深く拠り頼む者は、決して歴史の波に振り回されることはない。ダニエルの信仰と人生の秘訣は、まさにそこにあったと言って間違いない。

 文書を読んでダニエルが悟ったのは、エルサレムの荒廃の時が終わるまでには」「七十年という年数」があることだった(2節)。そして、「ダレイオスの治世第一年」は、まさにその70年が目の前に近づきつつある年だった。そこでダニエルがなしたことは祈りであった。しかも、その祈りは、イスラエルの先祖や同胞が犯してきた罪を自分の罪として告白する、悔い改めと嘆願の執り成しの祈りだった。

「わたしたちは罪を犯し悪行を重ね、背き逆らって、あなたの戒めと裁きから離れ去りました。……主よ、聞いてください。主よ、お赦しください。主よ、耳を傾けて、お計らいください。わたしの神よ、御自身のために、救いを遅らせないでください。あなたの都、あなたの民は、御名をもって呼ばれているのですから」(5節、19節)。

 執り成しの祈りとは、他の人のことを主なる神に祈るのではなく、他の人のことを自分のこととして祈ることである。そして、主の御業が行われるところには必ず、主なる神の御心を知った人の熱烈な執り成しの祈りがある。主なる神は、主なる神の約束を固く信じる人々の熱心な祈りと共に働いて、御業を行われる。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの溢れる恵みの中、絶大な憐れみの中に私達を握り、御前に引き出して下さったことを心から感謝致します。

 主よ、あなたが私達の実存を回復なさろうとする時、私達はあなたの御前にひれ伏して、自分の罪を悔い、御前に告白致します。

 主よ、私達は罪を犯しました。私は罪を犯しました。私達が苦しみの中にあるのは、他の何かのせいではなく、ただ、私達自身の罪によるものです。どうか、憐れみ、赦し、あなたの御前から投げ捨てないで下さい。

 主よ、ただ御前に低くあることを教えて下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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聖書日課 ダニエル書8章

聖書日課 ダニエル書8章(新共同訳 旧約pp.1394-1395)

 ダニエルはもう一つ「幻」を見た。「二本の角」を持つ「雄羊」が、「西、北、南に向かって突進し」「ほしいままに」「高慢にふるま」っていた(3~4節)。そこに「西から一頭の雄山羊」「飛ぶような勢いで進んで来」て(5節)、「みるみるうちに」雄羊を滅ぼした(7節)。そして、雄山羊は「非常に強大にな」って聖地にまで「力を伸ばした」(9節)。それは、以前の幻と同様に、バビロン帝国崩壊後、世界を治める国々についての幻で、「雄羊はメディアとペルシア」を(20節)、その後にやって来る「雄山羊はギリシアを指していた(21節)。

 しかし、ダニエルがこの幻を見たのは、バビロン最後の王「ベルシャツァル王の治世第三年」で(1節)、その時イスラエルは国を失い、捕囚となって数十年も経っていた。そのバビロンが滅び、更に強大な国が興って、瞬く間に世界を征服するなどということは、ダニエルの想像を遥かに越えたことであった。そのため、天使ガブリエルが現れて(15~16節)、幻の解き明かしをすると、ダニエルは「気を失って倒れ」てしまった(18節)。

 人間の目には余りにも壮大かつ途方もない出来事を前にした時、私達は自分の行く末に深い不安を覚え、ただ呆然と立ちすくむばかりになる。この時のダニエルはまさにそういう心境に陥っていたに違いない。

 しかし、そこには人間の歴史を支配する主がおられる! 主は、バビロンを滅ぼしたペルシア王キュロスによって神の民イスラエルを解放し、バビロンに奪われていた神殿の祭具と共に、彼らを再び約束の地に帰還させた。そして、ギリシアアレクサンドロス大王が、飛ぶような勢いで世界を征服し、エルサレムにやって来た時、不思議なことに、彼はエルサレムに手をかけることはなかった。全ては主なる神の御業であった。

 その後、エルサレムセレウコス朝シリアのアンティオコス・エピファネスによって征服された。そして、神殿が汚されるという悲劇が起こった。しかし、それについてもこう言われている。

「日が暮れ、夜の明けること二千三百回に及んで、聖所はあるべき状態に戻る」(14節)。

 どのような苦難もやがて必ず終わりが来る。たとえそれが想像を絶するような大きな苦難であっても、主なる神は神の民のために時を定めておられる(19節)。苦難さえも主なる神のご支配の中にあると知ることは何と大きな慰めであり、励ましだろう。

祈り
 天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛の御手の中に握り、御前に引き寄せて下さったことを心から感謝致します。

 主よ、あなたの尊い聖所を汚そうとする悪の力が未だにこの中にあります。この身とこの心がすっかり清められ、あなたの聖所として真の礼拝がこの中で行われることを願い、求めております。どうか、この悪い心をお赦し下さり、あなたの十字架の血潮で清めて下さい。

 毎日、あなたの十字架の血潮を注ぎ、毎日清め、毎日あなたの御前に出て、礼拝を献げることが出来ますよう導いて下さい。

 いつか、完全に聖められ、あなたの栄光が高く上げられることを信じ、待ち望みます。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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聖書日課 ダニエル書6章

聖書日課 ダニエル書6章(新共同訳 旧約pp.1390-1392)

 バビロンの王ベルシャツァルが滅び、「メディア人ダレイオス」「王国を継いだ」(1節)。ダニエルは、ダレイオス王にも重んじられ、「全国を治め」「百二十人の総督」を監督する3人の「大臣」の一人とされた(2~3節)。しかし、その3人の中でも特に「傑出していた」ため、「王は彼に王国全体を治めさせようとした」(4節)。

 すると他の「大臣や総督」は、ダニエルを妬み、何とかして「ダニエルを陥れよう」と謀った(5節)。彼らはダレイオス王に進言し、今後「三十日間」は王以外の何者をも拝んではならず、これに背いた者は「だれであれ獅子の洞窟に投げ込まれる」という禁令を発布させた(8~10節)。

 さて、この知らせを聞いたダニエルはどうしただろうか。

「ダニエルは王が禁令に署名したことを知っていたが、家に帰るといつものとおり二階の部屋に上がり、エルサレムに向かって開かれた窓際にひざまずき、日に三度の祈りと賛美を自分の神にささげた」(11節)。

 少しも慌てたり、騒いだりすることなく、「いつものとおり」。これがダニエルのしたことであった。私達なら、慌てふためいて、どこかに逃げ込んだり、誰かに頼ったりして、大騒ぎするかも知れない。しかし、ダニエルは全く落ち着いていた。そして、捕えられても何も言わずに、獅子の洞窟に入って行った(17節)。

 この時慌てたのは寧ろダレイオス王の方であった。ダニエルを信頼していた王は、その夜は一睡も出来ず、食事すら喉を通らなかった(19節)。そして、「夜が明けるやいなや」、王は「獅子の洞窟へ行」き(20節)、「不安に満ちた声」でダニエルにこう「呼びかけた」

「ダニエル、ダニエル、生ける神の僕よ、お前がいつも拝んでいる神は、獅子からお前を救い出す力があったか」(21節)。

「お前がいつも拝んでいる神」。時が変わり、支配者が移り変わっても、ダニエルがいつも信頼され、重んじられ続けた秘訣、命の危険さえある危機的状況の中でも、ダニエルが常に平静を保ち続けることが出来た秘訣は、まさしくここにあった。それは彼がいつも、どんな状況の中でも、主なる神を拝し、主なる神を畏れ敬い、主なる神と共にいたという一事に尽きる。ダニエルの「いつものとおり」の生き方が、それを物語り、王の前にも明らかに証しされていたのである。宣教とは、言葉であると共に、生き方である。私達は、いつも何を畏れ、何を拝し、何を求めているだろうか。主なる神を畏れ、敬い、拝しつつ、主と共に歩み続けたいものである。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの温かな大きな御手の中に握り、御前に祈りを献げさせて下さることを心から感謝致します。

 主よ、毎日あなたは、私に語りかけて下さいます。あなたの御言葉を聞く時、あなたに対する告白が与えられます。あなたを告白することは、どんなに大きな喜びでしょう。力でしょう。この告白はあなたが毎日与えて下さるものです。あなたの計り知ることの出来ない大きな恵みが包んで下さっているからです。

 主よ、私はいつあなたのところに帰るでしょうか。いつかは、私には分かりません。明日かも知れません。20年後、30年後かもしれません。しかし、あなたが「帰って来い」と声をかけて下さる時、「はい」と言って、「いつものとおり」あなたの御声を聞き、あなたを告白することが出来るよう、支え、導いて下さい。

 主よ、あなたを告白することを教えて下さったことを感謝します。

 尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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聖書日課 ダニエル書5章

聖書日課 ダニエル書5章(新共同訳 旧約pp.1388-1390)

 時の王ベルシャツァルが「千人の貴族を招いて大宴会を開い」ている最中のこと(1節)、興に乗った王は、「その父ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から奪ってきた金銀の祭具を持って来るように命じた」(2節)。そこで、「王や貴族、後宮の女たち」は、神殿の祭具で酒を酌み交わしながら、「金や銀、青銅、鉄、木や石などで造った神々をほめたたえた」(3~4節)。

 すると、突然「人の手の指が現れ」「ともし火に照らされ」「王宮の白い壁に文字を書き始めた」(5節)! 「メネ、メネ、テケル、そして、パルシン」(25節)…一体これは何なんだ!? ベルシャツァル王は「恐怖にかられ」、顔面蒼白になり、「腰が抜け」、膝はガクガク震えた(6節)。大宴会は忽ち大混乱に陥った。

 やがてその混乱を静めるために、「聖なる神の霊を宿している人」と言われたダニエルが呼び出され(11~13節)、壁に書かれた文字を解き明かして言った。

「意味はこうです。メネは数えるということで、すなわち、神はあなたの治世を数えて、それを終わらせられたのです。テケルは量を計ることで、すなわち、あなたは秤にかけられ、不足と見られました。パルシンは分けるということで、すなわち、あなたの王国は二分されて、メディアとペルシアに与えられるのです」(26~28節)。

 これは、ベルシャツァルに対する主なる神からの警告であり、最後通告であった。かつてベルシャツァルの父ネブカドネツァルは、「傲慢にな」ったために7年間理性を失い、獣のようになって、「人間の社会から追放され」た。その時、彼が悟ったのは、天の「いと高き神こそが人間の王国を支配し、その御旨のままに王を立てられる」ということであった(20~21節)。

 しかし、そのことをよく知っていながら、ベルシャツァル王は、なお、主なる神の御前に謙ろうとしなかった(22節)。いや、それどころか、「神殿の祭具」で酒を酌み交わしながら、偶像をほめたたえることさえしていた(23節)。そのため主なる神は、「あの手を遣わして文字を書かせ」(24節)、彼に最後の警告を与えた。しかし、ベルシャツァル王は、遂に主なる神の御前にひれ伏して悔い改めることはなかった。そして、最後に聖書は短くこう記している。

「その同じ夜、カルデア人の王ベルシャツァルは殺された」(30節)。

 これは、主なる神の御声に聞き従わない者の最期であり、私達に対する警告の出来事でもある。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と恵みの中に置いて、御前に引き寄せて下さったことを心から感謝致します。

 主よ、謙遜に生きること、低められた者として生きることは、何と難しいことでしょう。自分を高めようとする、この高慢な心をお赦し下さい。

 主よ、十字架の苦しみを味わわれたあなたの低い心に触れることが出来ますように。あなたの御心をこの高慢な私に分け与えて下さい。

 あなたの御心に触れる時、この私も変えられていくでしょう。あなたの御心を知る時、謙遜の意味をもっと知ることが出来るでしょう。

 主よ、どうか握っていて下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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聖書日課 ダニエル書4章

聖書日課 ダニエル書4章(新共同訳 旧約pp.1385-1388)

 或る夜、バビロンのネブカドネツァル王は夢を見た。その夢は彼自身に関するものであった。「大地の真ん中に」「生えていた」「大きな木」のように繁栄していたネブカドネツァル王に対し(7節)、「天使が天から降って来」て、「大声」で呼んだ(10~11節)。そして、彼が7年間気が狂って獣のようになってしまうと告げた(13節)。

 何故そのようなことになってしまうのか、その理由が直後に記されている。

「この宣告は見張りの天使らの決定により/この命令は聖なる者らの決議によるものである。すなわち、人間の王国を支配するのは、いと高き神であり、この神は御旨のままにそれをだれにでも与え、また、最も卑しい人をその上に立てることもできるということを、人間に知らせるためである」(14節)。

 全てはネブカドネツァル王の高ぶりに原因があった。つまり、この夢は警告だったのである。この夢の解き明かしをしたダニエルは、勇気をもって王にこう進言した。

「王様、どうぞわたしの忠告をお受けになり、罪を悔いて施しを行い、悪を改めて貧しい人に恵みをお与えになってください。そうすれば、引き続き繁栄されるでしょう」(24節)。

 しかし、ネブカドネツァル王は、高慢を悔い改めず、「なんとバビロンは偉大ではないか。これこそ、このわたしが都として建て、わたしの権力の偉大さ、わたしの威光の尊さを示すものだ」と誇った(27節)。すると、これらのことが全て、ネブカドネツァル王の身に起こった(25節)。王はその夢の通り、獣のようになって「人間の社会から追放され」てしまった(30節)。そして、7年が経った。

「その時が過ぎて、わたしネブカドネツァルは目を上げて天を仰ぐと、理性が戻って来た。わたしはいと高き神をたたえ、永遠に生きるお方をほめたたえた。その支配は永遠に続き/その国は代々に及ぶ。……それゆえ、わたしネブカドネツァルは天の王をほめたたえ、あがめ、賛美する。その御業はまこと、その道は正しく、驕る者を倒される」(31節、34節)。

 これもまた、世界を征服した大王ネブカドネツァルが語った驚くべき言葉の一つと言えそうである。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの温かい御手の中に置いて、御前に引き寄せ、祈りを与えて下さることを心から感謝致します。

 主よ、あなたは高慢を打ち砕かれます。高慢な人を打ち倒されます。しかし、あなたの愛は変わらず、人を高慢から謙遜へと導くためだと知りました。

 主よ、低められ、卑しめられたところにあなたがおられます。そこであなたの声を聞くことが出来ます。

 主よ、十字架という謙卑の極みにまで低められたあなたが、高慢を打ち砕き、全てを新たにして下さいました。十字架の上から語りかけて下さるあなたの御声を聞きながら、私達も低い者となって、この地を歩むことが出来るよう導いて下さい。

 低められたあなたと共にこの地を歩む祝福を私達の内に満たして下さい。御心が天で行われるように、この地にも行って下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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聖書日課 ダニエル書3章

聖書日課 ダニエル書3章(新共同訳 旧約pp.1383-1385)

「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない」(28~29節)。

 これは大国バビロンの王ネブカドネツァルの言葉である。前章に続いて、一体何が起こったのだろうと思ってしまうような驚くべき言葉である。

 事の起こりは、ネブカドネツァル王が造らせた「金の像」にあった(1節)。王は、この「金の像の前にひれ伏して拝」むように全国民に命令し、もし「ひれ伏して拝まない者」がいれば、「直ちに燃え盛る炉に投げ込まれる」と布告した(4~6節)。

 しかし、ユダヤ人シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人」は、金の像の前にひれ伏し拝まなかったため、ネブカドネツァル王の怒りを買って捕らえられてしまった(12~13節)。王は今すぐ金の像を拝めば助けてやると言ったが(15節)、彼らは王に次のように答えた。

「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません」(16~18節)。

 ここに信仰の真髄がある。信仰とは、愛と全能の神を信じることである。現実はどうであれ、主なる神にどこまでも期待し信頼して生きることである。たとえ主なる神が私達の願うように答えて下さらなくても、主なる神のなさることは全て善しとして、どこまでも主なる神に信頼して生きる、ここに自己中心、人間中心ではない、神中心の信仰がある。その時、主なる神は大いなる栄光の御業を行って下さる。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの温かい大きな御手の中に握り、御前に引き寄せて下さったことを心から感謝致します。

 主よ、あなたの御霊のあるところに自由があります。あなたの御霊は、私達から恐れを取り除き、私達を御傍近くに引き寄せて下さいます。

 この世の中で迫害を受けるのは恐ろしいことです。その中で誰が自分の力で信仰を守り抜くことが出来るでしょう。主よ、あなたご自身が握っていて下さい。

 そして、あなたの御霊、あなたの御手に包まれる時、そこにある、あなたにある自由、あなたにある解放を経験していくことが出来るよう、助けて下さい。

 全てをあなたの御手に委ねます。共にいて下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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聖書日課 ダニエル書2章

聖書日課 ダニエル書2章(新共同訳 旧約pp.1380-1383)

 何ということだろう! 大国バビロンの王が、捕囚民の若者の前に「ひれ伏して」(46節)、彼を「バビロン全州を治め」「長官」にするとは(48節)! 一体何が起こったというのだろうか?

 全てのことは、ダニエルがネブカドネツァル王の見た夢を解き明かしたことによるものであった(47節)。それもただの解き明かしではない。王がどんな夢を見たのかも知らされない状況で解き明かしたというのである(5~6節)。一体そのようなことがどうして出来たのだろうか? 聖書はこう記している。

「ダニエルは家に帰り、仲間のハナンヤ、ミシャエル、アザルヤに事情を説明した。そして、他のバビロンの賢者と共に殺されることのないよう、天の神に憐れみを願い、その夢の秘密を求めて祈った。すると、夜の幻によってその秘密がダニエルに明かされた」(17~19節)。

 これがダニエルの知恵の秘密であった。つまり、いかなる状況に置かれても、彼は常に天地を支配する主なる神への信仰に立ち続けていたのである。たとえ自分の身は捕囚であっても、またたとえバビロンの王がどんなに強く恐ろしい存在であっても、ダニエルは常に天の神を恐れ敬い、信頼していた。そして、主なる神も、そのような彼らのまっすぐな信仰に常に喜んで応えて下さった。ここにダニエル書の醍醐味があり、読む者を勇気づけて止まない理由がある。

 しかも、ダニエルは、そのような知恵を誇ることもせず、また高い位に就いてからも、決して傲慢になることもなかった。彼は常に謙虚さを失わなかったのである。それは、ダニエルがバビロンの王に語ったこの言葉の中にも現れている。

「その秘密がわたしに明かされたのは、命あるものすべてにまさる知恵がわたしにあるからではなく、ただ王様にその解釈を申し上げ、王様が心にある思いをよく理解なさるようお助けするためだったのです」(30節)。

 ダニエルとその仲間達が、苛酷な異教の地で幾度も危機を乗り越えて、その地位を確立し、生き長らえることが出来たのは、主なる神への絶対的な信仰と謙虚さを常に保ち続けたことによる祝福であった。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの温かくて大きな御手の中に握り、御前に引き寄せて下さったことを、心から感謝致します。

 主よ、御子イエス・キリストは、十字架に死んで復活し、武力による人の帝国の礎を打ち砕かれました。愛と真実によるあなたの永遠の国がこの地にやって来たことを感謝します。

 しかし、今なお、軍事力を誇り、それによって支配権を広げようとする国が幅を利かせている現実があります。主よ、それらの中で人の心を高慢にする罪の力、悪魔の力を打ち砕いて下さい。

 あなたの御言葉により、私達の心を治め、愛と真実によって、あなたの平和を宣べ伝えることが出来ますよう、力づけて下さい。

 あなたの御言葉がこの地に満ちる時、人は武器を執らなくなるでしょう。あなたの御思いが全ての人の心に満ちるでしょう。その時が一刻も早く来ることを、心から乞い願います。

 私達一人一人をあなたの平和の道具としてお用い下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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聖書日課 ダニエル書1章

聖書日課 ダニエル書1章(新共同訳 旧約pp.1379-1380)

 預言者ダニエルは、「ユダの王ヨヤキム」の第3年に「バビロンの王ネブカドネツァル」によって捕囚とされ、バビロンに引かれて行った少年達の1人だった(1節)。彼らについては、次のように記されている。

「さて、ネブカドネツァル王は侍従長アシュペナズに命じて、イスラエル人の王族と貴族の中から、体に難点がなく、容姿が美しく、何事にも才能と知恵があり、知識と理解力に富み、宮廷に仕える能力のある少年を何人か連れて来させ、カルデア人の言葉と文書を学ばせた」(3~4節)。

 この少年達は、家柄も、「容姿」も、体力も、「能力」も優れた、いわゆるエリートだった。

 そして、17節以降を見ると、彼らは皆「知識と才能を神から恵まれ、文書や知恵についてもすべて優れて」いたため(17節)、「王のそばに仕えることになった」と記されている(19節)。

 彼らは元々エリートで、しかも「知識と才能」に恵まれていたのだから、バビロンの王が登用するのも当然ではないか。そのように思う人もいるかも知れない。

 確かに、この少年達は素晴らしい「才能」の持ち主だった。しかし、彼らの本当の素晴らしさは、彼らが示した、主なる神に対するどこまでもまっすぐで真実な信仰にこそあった。

「ダニエルは宮廷の肉類と酒で自分を汚すまいと決心し、自分を汚すようなことはさせないでほしいと侍従長に願い出た」(8節)。

「宮廷の肉類と酒を毎日彼らに与えるように」というバビロン王の好意に対し(5節)、ダニエルはきっぱり「NO!」と答えたのである。それは、宮廷の肉類と酒が偶像に献げられたものであったからと思われるが、信仰と勇気のいる申し出であったことは言うまでもない。そして、そのような信仰と勇気の故に、彼らは、異教の地バビロンにあって、主なる神の恵みと栄光の生涯を歩み続けることが出来た。そのような信仰のあり方を、ダニエル書からしっかり学びたい。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と恵みの中に慈しみ、握って下さることを感謝致します。

 主よ、ネブカドネツァルの王宮に連れて行かれたダニエル達の心に思いを巡らせます。決して自分の願わないところに連れて来られ、自分の願わないことを学ばされ、偶像礼拝者の王への絶対的恭順を強いられ、彼らは苦しかったに違いありません。

 しかし、その中で、あなたは、彼らの心をお守りになりました。心だけは悪魔に触れさせず、置かれた環境の中で他の誰よりも知恵に満ちた者としてお育てになったのは、主よ、あなたです。

 私達も、あなたを否定するこの世の中にあって、そこでの知識や技術を学び、その一員として役割を果たしていかなければなりません。

 しかし、この心だけは、あなたのものです。どうか、あなたが握っていて下さい。

 そして、この世で力強く生きていく力を注ぎ、また、あなたの知恵を与え、この世をも導いてくことが出来る者となっていくことが出来ますよう、強めて下さい。

 どうか、自分の願わないところで、自分の欲しないことをしなければならないお一人お一人の傍にいて、ダニエルを守り、支え、用いられたように、守り、支え、用いて下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
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