ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 創世記6章

聖書日課 創世記6章(新共同訳 旧約pp.8-9)

 6章から、ノアの箱舟の物語が始まる。11節に「この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた」と記されているが、イエス・キリストは、このことを次のように説明している。

「洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである」(マタイによる福音書24章38~39節)。

 これは、「食べたり飲んだり、めとったり嫁いだり」するのが全て悪いということではない。問題は、何を最も大切なこととして生きていたかということである。ノアの時代の人々は、主なる神を第一にして生きておらず、主なる神を2番目3番目にしてしまっていたのである。

 キリスト信仰とは、イエス・キリストを第一にし、イエス・キリストを中心に生きることである。それ故、信仰には常に、何を一番にするかという戦いがある。主なる神がノアに箱舟を造るように言われた時にも、戦いがあったに違いない。何故なら、その箱舟は、長さ300アンマ(約135m)、幅50アンマ(約22.5m)、高さ30アンマ(約13.5m)もある大きなものであり(15節)、とても片手間で出来るようなものではなく、本気で、人生をかけて取り組まなければならない大仕事だったからである。

 9節に「ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ」と記されている。それは、ノアが主なる神の呼びかけに対して、本気で、人生をかけて応答しながら生きたことを意味している。

 私達も、主なる神の御声を聞いていく時に、ノアと同じような戦いがあるのではないか。その時、何を一番大切なこととしているかが問われる。その信仰が本気であるか、人生をかけてもよいというようなものであるかが試される。それ故、信仰の生涯を全うするのは、自分の力では不可能であり、主なる神に全身全霊で拠り頼んでいかなければならない。

「ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした」(22節)。

 これが、全身全霊で主なる神に拠り頼み、主なる神に人生をかけて生きたノアの信仰の生涯であった。

西原新生バプテスト教会
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〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
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聖書日課 創世記5章

聖書日課 創世記5章(新共同訳 旧約pp.7-8)

 5章には、アダムからノアに至るまでの系図が記されている。最初の2節を読むと、主なる神がどんなに人間を愛し、大切に思って下さっているかが伝わってくる。

「これはアダムの系図の書である。神は人を創造された日、神に似せてこれを造られ、男と女に創造された。創造の日に、彼らを祝福されて、人と名付けられた」(1~2節)。

 主なる神は、人を「神に似せて」造られた。これは、主なる神が御自分を愛するように私達を愛して下さっているということを意味する。

 また、主なる神は「創造の日に、彼らを祝福されて、人と名付けられた」。子供の誕生を喜ぶ親のように、主なる神は人間を造られた日に、人間を大いに喜び、祝福し、名前を付けて下さった。人は、何と幸せで、素晴らしい存在として造られたことだろう。

 にもかかわらず、アダムの系図を読んでも、そういう幸福感を余り感じないのは何故だろうか。それは、ここに名が挙がっている人々について記されていることの殆どが、「誰が、何歳で息子や娘をもうけ、何年生きて、そして死んだ」という記述の繰り返しに終わっているからである。

 つまり、彼らの人生における、主なる神との関わりが全く記されていない。主なる神がこれほど愛し、大切に思い、祝福して下さったにもかかわらず、彼らが、主なる神を愛し、主なる神と交わり、主なる神と共に歩んだことが記されていない。

 しかし、その中で一人だけ違う人生を歩んだ人物がいる。それがエノクである。

「エノクは三百六十五年生きた。エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」(23~24節)。

 新約聖書はこのことを「信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました」と言っている(ヘブライ人への手紙11章5節)。主なる神と共に生きたエノクの人生は、主なる神の命と祝福に満ち溢れる人生であったに違いない。私達の人生も、是非こうありたいものである。

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聖書日課 創世記4章

聖書日課 創世記4章(新共同訳 旧約pp.5-6)

 人類史上最初の殺人事件は、人類史上最初の家庭の中で起こった。アダムとエバの間に生まれた兄カインが、主なる神への献げ物のことで弟アベルに妬みと恨みを抱き、アベルを野に連れ出して殺してしまったのである。

「カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した」(8節)。

 この時、主なる神は、カインが罪に陥ることがないように呼びかけられた(6~7節)。しかし、カインは主なる神の警告を無視してアベルを殺してしまった。その結果、カインは「呪われる者」(11節)となり、「地上をさまよい、さすらう者」(12節)となってしまった。

「カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ」(16節)。

 主なる神の御声に逆らい、「主の前を去」った者が生きる〈さすらいの世界〉、それがエデンの東にある「ノドの地」である。それは、恐怖が渦巻く世界であり、自分の居るべき場所がどこにもない不安の地であった。

 それ故、カインは堪りかねて主に言った。

「わたしの罪は重すぎて負いきれません。今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう」(13~14節)。

 すると、主はカインに答えて言われた。

「主はカインに言われた。『いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう』。主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた」(15節)。

 主なる神の警告の声を無視して、弟を殺してしまい、主の前を去り、恐怖と不安の中にさすらう者となったカインの叫びを、主なる神は受けとめられた。そして、決して殺されることがないように、彼に「しるしを付けられた」

 たとえ私達が主なる神に逆らい、罪を犯したとしても、主なる神は私達を見捨てることはない。私達が罪を悔い改めて、主に向かって赦しと助けを求めるなら、主なる神はその声に必ず答えて下さる。何故なら、「わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる」からである(テモテへの手紙二2章13節)。真の平和と希望は、このイエス・キリストの真実に全てを委ねることから生まれる。

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祈り 創世記3章

祈り 創世記3章(新共同訳 旧約pp.3-5)

 愛する天のお父様、あなたの尊い御名をほめたたえます。今日も御前に引き出して下さったことを感謝致します。
 天のお父様、あなたは私達人間を極めて良いものとして造り、私達を愛し、私達に全ての良いものを与え、物事を選択する自由をも与えて下さいました。それは、私達があなたの愛に応えるためでした。
 にもかかわらず、私達はその自由をもって、あなたに背を向けました。あなたへの愛は、あなたの御言葉に従順であることによって表されるべきものであるのに、私達は不従順をもってあなたの愛に報い、自らに死をもたらしました。
 しかし、あなたは御子イエス・キリストをこの世に送って下さり、私達のために命の道を開いて下さいました。恵み深い主よ、イエス・キリストによって私達をあなたに近づけて下さい。私達をあなたへの従順に導いて下さい。そして、あなたの愛に応えることが出来るようにして下さい。私達が希望を失いかける時、あなたから離れそうになる時、あなたの御言葉こそ命の源であることを思い出させて下さい。あなたの御言葉によって希望を見出し、それを保つことが出来ますように。
 感謝して、主イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

聖書日課 創世記3章

聖書日課 創世記3章(新共同訳 旧約pp.3-5)

 3章には人間の罪の起源が記されている。それは、主なる神が「決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」(2章17節)と警告した木の実を取って食べたことから始まった。

「女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた」(6節)。

 つまり、主なる神の戒めを破り、主なる神ではなく、自分を中心に人生を生きること、それが罪の本質であると聖書は教えている。

 では、その結果どういうことになっただろうか。

「二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした」(7節)。

 罪に陥ったアダムとエバが最初にしたことは、自分を隠すことだった。彼らは、自分を恥ずかしい存在と思うようになったのである。そして、主なる神がエデンの「園の中を歩く音が聞こえ」ると、彼らは「園の木の間に隠れ」てしまった(8節)。彼らは主なる神を恐ろしい存在と思うようになり、主なる神に対して安心して自分を開き委ねることが出来ず、隠れるようになってしまったのである。主なる神との交わりの断絶、ここに人間の死の本質がある。

 この時、主なる神はアダムに尋ねた。

「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか」(11節)。

 するとアダムは「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました」と答えた(12節)。

 主なる神がアダムのあばら骨から女を造り、彼の前に連れて来られた時、アダムは「これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉」歓喜した(2章23節)。ところが、罪に陥った途端に、アダムは自分の罪を女のせいにした。一方、女は女で、自分の罪を蛇のせいにしている(13節)。罪人は自分の罪の責任を転嫁する。しかし、そこで真の平安と喜びが湧き上がることは決してない。

 自分を恥じて隠し、主なる神を恐怖し、自分の不幸をいつも誰かのせいにしてしまう。これらは、誰にとっても身に覚えのないことではないだろう。その意味で、確かに私達は皆、罪の中に生きている。

 しかし、ここに良い知らせがある! 主なる神は、罪と滅びの中にある私達を救い出すために独り子イエス・キリストをお与えになり、十字架によって悪魔と罪の支配から私達を解放して下さった。このイエス・キリストに信頼して、罪を悔い改め、イエス・キリストを心と人生に迎え入れるなら、私達は罪に振り回される人生から解放され、永遠に主なる神の愛と恵みの中に生きる者とされる。あなたは今、この福音をご自分のものとしておられるだろうか。

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祈り 創世記2章

祈り 創世記2章(新共同訳 旧約pp.2-3)

 愛する天のお父様、あなたの尊い御名をほめたたえます。今日も御前に引き出して下さったことを感謝致します。
 天のお父様、私達は自分が何者なのかが分かる時初めて、何のために、どう生きればいいかが分かります。私達はあなたに愛され、あなたの愛を表すために造られました。私達は「土の塵」に過ぎないのに、あなたは私達を心にかけ、私達に使命を与え、それを果たす恵みをも与えて下さいました。
「人(アダム)を形づく」ったあなたは、私達が、あなたの御心に適う者となるために、今日も私達を形づくって下さいます。主よ、私達の耳を開いて下さい。あなたの語られる御言葉に耳を傾け、あなたと共に強く雄々しく立つことが出来ますように。永久に変わることのないあなたの御言葉に従って、生きる者とさせて下さい。
 私達が御子イエス・キリストの内にあって、あなたの愛に生きる人生を歩むことが出来、〈神の像〉としての使命を果たすことが出来ますように。私達があなたの御言葉から右にも左にも反れることがなく、あなたが定めた善悪に従うことが出来ますように。
 感謝して、主イエス・キリストの聖なる御名によってお祈り致します。アーメン。

聖書日課 創世記2章

聖書日課 創世記2章(新共同訳 旧約pp.2-3)

 人間は主なる神の被造物であると聖書は語る。そして、人間が「土(アダマ)の塵」(7節)から造られたものであるという認識は、私達を謙遜にさせる。人間の理性がどんなに素晴らしいものであっても、主なる神の御前に謙る心を忘れてはならない。何故なら、それは主なる神からいただいたものだからである。そして、この自覚を失う時、人は驕り高ぶり、滅びに向かうことになる。

 その一方で、聖書は、主なる神が人間の「鼻に命の息を吹き入れ」て、「人」「生きる者となった」とも述べている(7節)。これは、人間が「神にかたどって」、神に「似せて」造られた霊的・人格的な存在であることを意味している(1章26~27節)。つまり、私達は、主なる神に愛され、主なる神を愛する関係の中で、互いに交わり、語り合いながら生きる者とされている。

 この人間に関する2つの見方は、以下のことにもよく表れている。

「主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた」(9節)。

「主なる神は言われた。『人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう』」(18節)。

 主なる神が人を置かれたエデンの園には、「見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木」が生えていた。また、主なる神は、「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」と言われ、男の「あばら骨」から「女を造り上げ」「連れて来られ」た(21~22節)。つまり、主なる神は、私達が幸せに生きるために必要なものを全て前もって用意して下さる御方である。何故なら、主なる神は恵みと愛に満ちておられるからである。

 しかし、それと共に、主なる神は「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」(16~17節)と言われている。これは、人が主なる神の教えから反れて死に至ることがないようにという警告である。被造物である人間は、造り主である神が定めた善悪に従うべきであり、自分の都合の良いように判断して滅びに至ることがないようにと、主なる神は人間に呼びかけておられる。

 主なる神にどこまでも信頼し、その教えに従って生きる幸いを、じっくり味わいながら歩み続けたい。

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祈り 創世記1章

祈り 創世記1章(新共同訳 旧約pp.1-2)

 愛する天のお父様、あなたの尊い御名をほめたたえます。今日も御前に引き出して下さったことを感謝致します。
 天のお父様、あなたはあらゆるものの「初め」であられます。私達の人生も、あなたを「初め」に置く時、幸いなものになります。あなたを第一とする信仰と生活に、私達を導いて下さい。私達が常にあなたとの関係を正しいものにしていくことが出来ますよう助けて下さい。
 天のお父様、あなたはあらゆるものを造り出された御方です。世界はあなたの力ある御言葉によって造られ、あなたのご支配のもとに置かれています。また、あなたは「すべてのもの」「極めて良」いものとして造って下さいました。にもかかわらず、私達人間の様々な罪によって、今、世界は混乱し、社会は乱れています。家庭も壊されつつあり、人々の心は不安と恐れで一杯です。
 しかし、あなたはそのような私達を見放さず、あなたの御子イエス・キリストを世に送って下さいました。そして、イエス・キリストは、十字架で私達の罪を贖って下さり、私達が再び〈神の像〉を取り戻す道を備えて下さいました。あなたの愛に心から感謝致します。今日も、あなたを仰ぎ見、あなたの御声に耳を開き、心を開き、従っていくことが出来ますように。そして、あなたが「すべてのもの」を造り、それを保っておられることを覚え、あなたの愛の内に留まり、平安を得ることが出来ますように。「闇」の中に「光」を、「混沌」の中に秩序を与えて下さったあなたに信頼することを教えて下さい。
 また、あなたはご自分の民に、自らが平安と祝福を受けるだけで終わることなく、それを他の人に分け与える者となることを望んでおられます。イエス・キリストを主と信じ、イエス・キリストに従うことによって、他の人にあなたを表すことが出来るよう私達を導いて下さい。私達が、あなたの平安と祝福をもっと多くの人に分け与えることが出来ますように。
 感謝して、私達の主イエス・キリストの聖なる御名によってお祈り致します。アーメン。

聖書日課 創世記1章

聖書日課 創世記1章(新共同訳 旧約pp.1-2)

 聖書は、開口一番、「初めに、神は天地を創造された」と宣言する(1節)。どのようにして造られたかと言うと、言葉を発することによってである。主なる神の言葉には、ものを造り出す力がある。その意味でも、私達が主なる神の言葉である聖書を学ぶことは、とても大切である。

 何故なら、私達は主なる神に「似せて」造られたからである(26節)。

「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」(27節)。

 私達が、いつも否定的で悲観的な言葉ばかり発していれば、早晩そういう状況が起こってくるだろう。また、人の悪口や噂話に明け暮れていれば、人間関係はいつもギクシャクしたものになるだろう。

 だから、私達は、いつも明るく前向きな言葉を使うよう心がけたい。特に、感謝すること、肯定すること、喜ぶことを忘れないようにしたい。私達の使う言葉がいつもそのようであれば、それに相応しい状況が造り出されてくる。

 主なる神は、人間を御自分に似せて造られ、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と祝福された(28節)。つまり、人は皆、主なる神の祝福の中に生きるように造られている。私達が主なる神を愛し、信頼し、いつも主なる神と共に歩み、感謝と讃美に溢れて生きるなら、地を支配し、地に満ち、増え広がっていくような祝福の人生を歩むことが出来る。

「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である」(31節)。

 自然であれ、人間であれ、主なる神が「お造りになったすべてのもの」は、本来「極めて良かった」。残念ながら、それは人間の罪によって崩されてしまった。しかし、恵みと愛の神は、主イエス・キリストによって、人間の罪を赦し、人間を罪の縄目から解放し、再び「極めて良かった」という状態に造り変えて下さる。イエス・キリストを信頼し、イエス・キリストと共に歩むなら、主なる神の祝福に満ち溢れる人生を歩む者とされる。それが聖書の最も大事なメッセージである。あなたは今、この祝福の中に歩んでおられるだろうか。

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聖書日課 ヨハネの黙示録22章

聖書日課 ヨハネの黙示録22章(新共同訳 新約pp.479-480)

 いよいよヨハネの黙示録最後の章、聖書の締め括りの章である。ここには、前章に続いて、新しいエルサレムについての描写と、イエス・キリストの再臨を待ち望む言葉が記されている。

「もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである」(5節)。

 新しいエルサレムには「もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽も要らない」。主なる神の光の前に、それまで光であったものが全く輝きを失ってしまうからである。同様に、この世においては、財産や功績、名誉、家柄といったものが輝かしい光となることがある。しかし、イエス・キリストの愛と恵みの光に照らされる時、それらは全て輝きを失う。

 だから、私達が今もこの世のものにしがみついているとすれば、主なる神が自分を照らして下さる世界に未だに生かされていないのではないか。真昼に懐中電灯をつけても何の役にも立たないように、主なる神の光に照らされているなら、このようなものにしがみつく必要は全くない。

「この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる」(18~19節)。

 信仰とは、聖書に書かれている通りに信じることである。或る箇所は受け入れるが、別の箇所は拒否するというのは信仰ではない。それは主なる神とその御言葉である聖書に対し全幅の信頼を寄せていないことだからである。また、それは、自分を主とし、主なる神を自分の僕に引きずりおろすことでもある。そういう間違いに陥らないためにも、私達は聖書全巻を正しく学んでいくことが大切である。

「以上すべてを証しする方が、言われる。『然り、わたしはすぐに来る』。アーメン、主イエスよ、来てください」(20節)。

「然り、わたしはすぐに来る」…何と嬉しい言葉だろう。主なる神にのみ望みを置いて生きる者にとって、どんなに力強い言葉だろう。それ故、私達も言おう。「アーメン、主イエスよ、来てください」と。

「主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように」(21節)。

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