聖書日課 箴言11章(新共同訳 旧約pp.1004-1005)
11章にも様々な教訓が散りばめられている。その中から、いくつかを取り上げたいと思う。
「偽りの天秤を主はいとい/十全なおもり石を喜ばれる」(1節)。
当時の世界は、度量衡の統一が不徹底で、それぞれの基準でものをはかり商売をしていた。そのため不正な取引や商売が蔓延っていた。しかし、商売に限らず、人間がそれぞれ自分勝手な基準で物事をはかり判断していたら、人生は実に脆くて不安定なものになってしまう。平和で安定した人生には、しっかりとした基準が行き渡っていることが必要である。
アダムとエバが善悪の知識の木から取って食べた時から、人間は主なる神の基準に従うのではなく、自分で決めた基準で生きるようになった。それは自分を主なる神の位置に置こうとする高ぶりであり、罪の始まりだった。
箴言には、「神に従う人」と「神に逆らう者」の対比が沢山出てくる。それによって、主なる神の定めた基準に聞き従って生きることが、主なる神によって造られた人間の真の幸福であり祝福であることが徹底して教えられている。次の11節もその一つである。
「正しい人の祝福によって町は興り/神に逆らう者の口によって町は滅びる」(11節)。
個人の人生だけでなく、「町」や国の繁栄にとっても、主なる神に従う「正しい人」の存在が大切である。現代社会の問題は、実に複雑多様で、癒し難く解決の難しい問題が沢山存在する。しかし、罪と堕落によって滅んだソドムとゴモラの町に必要だったのが、僅か10人の「正しい人」の存在であったように、今の私達の社会にも、主なる神に従う「正しい人」の存在が必要なのではないか。
主なる神に従う、僅か10人の「正しい人」、それが「町」や国を興す力となる。それぞれの「町」に教会が置かれている意味は、そこにあるのではないか。そういう自覚と、そういう祈りを、教会は決して忘れてはならない。
「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」(ルカによる福音書12章32節)。
西原新生バプテスト教会
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