聖書日課 ヘブライ人への手紙2章(新共同訳 新約pp.402-403)
人間にとっての最大の敵は、他の人でも自然災害でもない。人が決して勝つことが出来ず、いつも恐れているもの、それは死である。いかなる権力者も、いかなる学者もこれに勝つことは出来ない。私自身、死を子供の頃から大変恐れていた。私が生まれて2か月後に、3歳年上の兄が交通事故で死んだという話を、物心が付いて両親から初めて聞いた時、大変な衝撃を受け、「死ぬのは嫌だ!」と暫く何も手がつかなかったのを今でも覚えている。
主なる神は、人をこの死から救い出すために、「死をつかさどる者、つまり悪魔」を滅ぼそうとお考えになった(14節)。しかし、人が悪魔に打ち勝たない限り、人に真の救いはやって来ない。主なる神の勝利は、人の勝利とはならないからである。
そこで、主なる神は人として来られ、全人類の代表として悪魔と対決された。それが御子イエス・キリストである。
「ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした」(14~15節)。
イエス・キリストが人として来られたということは、人としての心も、肉体の弱さも、限界も持っておられたということである。
天地万物を創造された主なる神、全知全能の主なる神が、人という限界の中に自らを限定し、ハンディキャップを背負って、悪魔と対決された。
「それでイエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです」(17節)。
イエス・キリストは、十字架にかけられて殺された。悪魔は勝ったと思ったことだろう。そして、私達にイエスは敗北したと信じ込ませようとする。イエスに代わって、別の人間がメシアとして立てられ、世界を完成させると主張する教えは後を絶たない。
しかし、イエス・キリストは十字架において「成し遂げられた」と宣言された(ヨハネによる福音書19章30節)。イエス・キリストは人間を救い出すために為すべきことを全て果たされた。イエス・キリストにやり残しはない。
罪のない神の御子イエス・キリストは、私達の「罪を償うために」十字架でご自分の命を献げられた。これを〈贖い〉と言う。私達はイエス・キリストの贖いによって悪魔の手から救い出された。勝ったのは悪魔ではなく、イエス・キリストである。
全人類の代表であるイエス・キリストが悪魔に勝利された。そして甦られた。この御方を主と信じる者には、永遠の命が与えられる。そして、この御方と共に勝利者とされる。
祈り
主イエス・キリストの父なる神様、あなたの御子は人として来られた時、私達と同じような肉体、同じような心を持ち、弱さの中に自分を限定されました。
それなのに、御子は私達人間の永遠の代表として悪魔との一騎打ちに勝ち、私達の罪を贖って下さいました。
御子が勝利して下さったから、私達は死を恐れずに、希望をもって生きていくことが出来ます。
私達はいつか必ず地上の生涯を終えますが、あなたが私達を甦らせて下さいます。御子イエス・キリストによって私達に永遠の命を与えて下さったことを感謝致します。
今日も、死の力を討ち滅ぼして甦られた御子を見上げ、御子をほめたたえながら生きていくことが出来ますようお導き下さい。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス