ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 箴言20章

聖書日課 箴言20章(新共同訳 旧約pp.1016-1017)

 20章にも、日常生活における人生訓が沢山記されている。しかし、これらを単なる処世訓としてではなく、主なる神との関わりにおいて理解することが大切である。

「酒は不遜、強い酒は騒ぎ。酔う者が知恵を得ることはない」(1節)。

 昔も今も「酒」に溺れる人間は多い。科学は進歩しても、人間の本質は変わっていない。私達は、「酒」「酔う」ことによってではなく、聖霊に満たされて歩むことを常に求めたいものである。

「怠け者は冬になっても耕さず/刈り入れ時に求めるが何もない」(4節)。

 礼拝も祈りも、都合の良い時だけでなく、状況が良くない時も、気分が乗らない時も続けていくことによって、主なる神の御業を見ることが出来るのではないか。時が良くても悪くても、私達は主に祈り、主を礼拝し続ける者でありたいと思う。

聞く耳、見る目、主がこの両方を造られた」(12節)。

「耳」「目」は、決して人のあら捜しをしたり、人の欠点を見つけるために造られているのではない。聞く耳、見る目、主がこの両方を造られた」。主が喜ばれることを聞く耳、主が喜ばれることを「見る目」でありたい。

「悪に報いたい、と言ってはならない。主に望みをおけ、主があなたを救ってくださる」(22節)。

 やられたらやり返す。それがこの世の現実かも知れない。しかし、更に確かな現実は、主なる神の世界である。目に「見えるもの」は過ぎ去るが、「目に見えないもの」は永遠である。私達の歩みを確かなものにするのは主なる神である。だから、主に望みを置き、主の救いを待ち望み続けよう。

「人の一歩一歩を定めるのは主である。人は自らの道について何を理解していようか」(24節)。

「わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです」(ローマの信徒への手紙8章24~25節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

メールアドレス

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com