聖書日課 箴言27章(新共同訳 旧約pp.1026-1027)
自慢話ばかりする人、自分のことばかり話す人と一緒にいるのは大変である。箴言は、自画自賛を戒め、「他人にほめてもらえ」と教えている。
「自分の口で自分をほめず、他人にほめてもらえ。自分の唇でではなく、異邦人にほめてもらえ」(2節)。
人に「ほめてもらえ」ることは、子供だけでなく大人にも必要なことである。夫婦が、親子が、そして教会の兄弟姉妹が、単なる社交辞令やお世辞ではない真実な褒め言葉を互いに与え合うことが出来たら、どんなに素晴らしいことだろう。
その一方で、次のようにも述べている。
「友人への祝福も、早朝に大声でするなら/それは呪いと見なされる」(14節)。
ほめるにもタイミングが大切である。良かれと思って言った〈祝福〉の言葉も、タイミングを間違うと「呪いと見なされる」ことがある。言葉の使い方は難しい。それ故ヤコブはこう言っている。
「わたしたちは皆、度々過ちを犯すからです。言葉で過ちを犯さないなら、それは自分の全身を制御できる完全な人です」(ヤコブの手紙3章2節)。
私達は、自分の語る言葉によく気を付けなければならない。不用意な言葉、心無い言葉が人間関係に深い傷を残してしまうことは多くある。
しかし、だからと言って、恐れてばかりいては良い関わりを築くことは出来ない。だからこそ、私達はもっと主なる神から語るべき言葉をいただくことが必要なのではないか。御言葉を読み、祈ることを通して、主なる神ご自身と向き合い、主なる神からその時々に相応しい言葉をいただこう。
キリスト者の交わりとは、お互いが主なる神からいただいた言葉を分かち合う場であると言ってよいだろう。そして、そういう主なる神の祝福の言葉を、一人でも多くの人に届けることが宣教の働きと言える。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな御手、溢れる慈しみに包まれて、御前に引き出され、祈りを献げられることを心から感謝致します。
主よ、私達は愚かなものです。自分のことを誇り、或いは心配し、自分を見失ってしまうのが私達です。主よ、どうかあなたを見上げて、生きることが出来るよう教え導いて下さい。
あなたが過去も現在も未来も握って、祝福し、全てを最善として下さることを信じ、あなたに全てを委ねることが出来ますように。そして、今日与えられた業を心込めて、大切に成し遂げることが出来ますよう、支えて下さい。
主よ、自分の力では抗うことの出来ない荒波の中にある方を、今日、あなたご自身が支え、あなたの希望とあなたの命を注いで下さい。あなたからやって来る平安と喜びの中に、今日を過ごすことが出来ますよう、祝福して下さい。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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