ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 コロサイの信徒への手紙2章

聖書日課 コロサイの信徒への手紙2章(新共同訳 新約pp.369-371)

 人間は、主なる神が定められた正しい道を無視し、或いは知ろうともせず、自分の感じ方、考え方を第一に歩いてきた。これを「罪」と言う。パウロは次のように述べている。

「人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません」(8節)。

 主なる神を排除した仮説に基づく理論によって、人は迷子になり、自分が何者かが分からなくなってしまう。そればかりか、自分の基準で他の人を裁き、互いに対立し、傷つけ合うようになってしまう「人間の言い伝えにすぎない哲学」「むなしいだまし事」であり、「キリストに従うもの」ではない。

 人は、罪のために主なる神との関係を失い、体も魂も霊も滅んでしまう

 聖書は、この「罪」を、主なる神に対する返すことの出来ない多額の借金として表現している(マタイによる福音書18章23~27節)。私達は、罪の「債務証書」(14節、新改訳)によって責め立てられている。

 しかし、私達の「罪」という負債を永遠に全部支払って下さった方がいる。

「肉に割礼を受けず、罪の中にいて死んでいたあなたがたを、神はキリストと共に生かしてくださったのです。神は、わたしたちの一切の罪を赦し、規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました」(13~14節)。

 イエス・キリストが十字架で流して下さった尊い血潮によって、私達を罪に定めていた「債務証書」は、「十字架に釘付けに」されて力を失った(14節)。私達を押さえつけていた「もろもろの支配と権威」も十字架の前に屈服した(15節)。

 バプテスマを受けた時、私達は「キリストと共に葬られ」た。また、「キリストを死者の中から復活させた神の力を信じ」る信仰によって、私達は「キリストと共に復活させられた」(12節)。私達は、死んでも生きていても、イエス・キリストと共に存在する者となった。私達はイエス・キリストの十字架による勝利者である。この勝利をひっくり返そうとするいかなる試みも十字架の前で崩れ去る。

 罪の意識に苛まれる時、イエス・キリストが十字架の血潮によって、私の債務証書を全て無効にして下さった」と告白しよう。イエス・キリストの愛と命が私達を覆う。そして、罪が赦されていることを体験的に知ることが出来る。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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証し「他人が作った価値観で人生を歩まないために」

「他人が作った価値観で人生を歩まないために」
柏本 隆宏

 私は1980年、兵庫県に生まれました。学校のテストでいつも平均点以上取っていたこともあり、両親は私を地元の有名進学塾に通わせてくれました。その結果、志望校に合格出来ましたので、その点では両親に、またその塾に感謝しています。しかし、その塾に通い、「復習テストの点数は平均以上か」「学力テストの順位や偏差値はどうか」と絶えず人との比較に晒される中で、「あの人はこうだが、自分はこうだ」と何事においても他人と自分を比較し、無意識のうちに人を格付けする思考法が染み付いてしまいました。
 その後も私は色々な〈鎖〉を自分で作って自分を縛っていました。京都の或る私立大学の附属校に入学すると、自分より成績の良い同級生を妬みました。学力だけでなく、容姿も良く、コミュニケーション能力も高く、勉強も遊びも恋愛も要領良くこなす同級生を羨みました。また、親が医師や弁護士、大学教授、或いは会社の社長の同級生に対しては、「自分は生まれた時点で既に負けている」と思いました。そして、父がサラリーマンであることに劣等感を持ち、そのため当時は父との関係が良くありませんでした。
 高校生の時にイエス・キリストを信じるようになった後も、この思考法からなかなか抜け出すことが出来ませんでした。大学に入ると、医学部で学ぶ同級生や、司法試験の勉強をしている同級生と、いずれ同窓会で会う時のことを思い描き、彼らと張り合えるよう、大学の教員になりたいと願い、大学院に進学しました。しかし、研究者としての資質のなさを思い知らされるだけでした。学会などに参加してみると、自分とさほど年齢が変わらないのに、優れた研究発表をしている人が沢山いて、別の世界の住人か宇宙人のように見えました。
 その後、地元の生活協同組合で働き出すと、私は、人の評価を絶対視し、周囲に適合しようとしました。その結果、自分を見失い、対人恐怖に陥ってしまいました。当時、ネクタイの色や柄、着ているワイシャツ、履いている靴、持っている鞄などが非常に気になりました。また、人の一言一言が異様に重たく感じました。相手が自分にどういう言葉を吐くか、そればかり心配しました。そのため、人と話をする時、いつも声が上擦るようになりました。
 今から考えると、全く無意味な苦悩でした。問題を自分で作り出していました。「何故私はこんなことで苦しんでいたのだろう」と思います。劣等感は、気付かないうちに私の人生を蝕み、台無しにしていました。しかも、本当はもっと早くそこから脱出することが出来たのです。

「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません」(ガラテヤの信徒への手紙5章1節)。

 私は、自分と他人を比較し、落ち込んだり優越感に浸る原因が、イエス・キリストではなく、人を主とする〈偶像礼拝〉にあることに漸く気付きました。そして、この〈偶像礼拝〉をずっと続けていたら、自分を完全に失い、他人が作った価値観で人生を歩むことになってしまうと分かり、人に救ってもらおうとするのをやめることにしました。すると、いつも左右を見て、他人がどうするかを気にしていた時よりも、心が楽になりました。
 イエス・キリストは、私達を自由にされる方です。イエス・キリストにしっかり繋がる時、私達は、人を恐れ、劣等感に縛られることから解放されます。他の人と自分を比較して、「あれもない、これもない」と嘆く代わりに、自分に与えられているものを主なる神に感謝出来るようになります。自分の弱さを弱さとして認め、受けとめることが出来るようになります。その時、私達の生活も変わってきます。今自分に与えられている賜物を用いて、精一杯努力すればいいと考えることが出来るようになり、もっと楽に、もっと楽しく生きられます。

「人を恐れると、わなに陥る。主に信頼する者は安らかである」(箴言29章25節、口語訳)

教会への問い合わせについて

教会への問い合わせについて
 現在、教会堂には牧師・教会員が常駐していません。協力牧師は、平日沖縄県内の企業で正社員として勤務しており、毎週日曜日集会がある日(不定期、直近の週報の報告をご参照下さい)、勤務が休みの日(国民の祝日など)に、自宅から教会堂に通う形で奉仕をしております。
 協力牧師は教会堂に来たら、まず留守番電話のメッセージを確認します。しかし、せっかくお電話をいただいたのに、お名前・連絡先が分からないため、こちらから折り返しお電話を差し上げられなかったことが過去に何度かありました。
 教会宛てのメールは毎日確認しておりますので、お急ぎの方は、誠に申し訳ありませんが、下記のメールアドレスにご連絡いただきますよう、お願い致します。また、お電話でお問い合わせの際には、上記の事情により確認が少し遅くなりますことを何卒ご承知おき下さい。その上で、お名前と電話番号をお知らせいただければ、こちらから折り返しご連絡を差し上げることが出来ます。

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祈り コロサイの信徒への手紙1章

祈り コロサイの信徒への手紙1章(新共同訳 新約pp.368-369)

 天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの恵みの御手の中に握り、支えて下さることを心から感謝致します。
 天のお父様、あなたは「キリストに結ばれている」者を「聖なる者」と呼んで下さいます(2節)。この呼びかけが、あなたの愛と憐れみをどんなに表しているかを、もっと悟らせて下さい。私達が、イエス・キリストにあって、本当はどのような者であるかを教えて下さい。そして、あなたを知り、自分を知ることによって、あなたの呼びかけに応えて生きる私達として下さい。
 天のお父様、あなたが主イエス・キリストによって与えて下さった「信仰」「希望」「愛」の賜物を心から感謝致します(4~5節)。私達がそれを「福音という真理の言葉」によって育て、聖霊によって堅く保ち続けることが出来ますよう、助けて下さい。私達に与えられた「信仰」「希望」「愛」が更に深まり、恐れや迷いを乗り越えてイエス・キリストの福音を証しする者となることが出来ますように。そして、多くの人があなたを見出し、「福音」「実を結んで成長して」いきますように。
 天のお父様、私達は、人々がこの世における幸せだけを追い求め、あなたを知らないことを何とも思わない時代に生きています。そのような中、私達も、あなたを知ることに対する飢え渇きをなくしかけてはいないでしょうか。私達の高慢や怠慢が、あなたを知り、それによって生活が変えられていくのを妨げてはいないでしょうか。あなたを「ますます深く知る」ことが私達の第一の祈りとなりますように。そして、私達がそれによってあなたの「御心を十分悟り」「すべての点で」あなたに「喜ばれるように」あなたに「従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結」ぶ者となりますように(9~10節)。
 感謝して、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

聖書日課 コロサイの信徒への手紙1章

聖書日課 コロサイの信徒への手紙1章(新共同訳 新約pp.368-369)

 福音には環境や条件を乗り越えさせる力があるパウロは牢獄で「捕らわれの身」(4章18節)となっていたが、自分を「キリスト・イエス使徒として下さった「神の御心」(1節)を悟り、獄中にあっても福音伝道に邁進した。また、コロサイの教会は、異端に脅かされていたが、「キリストに結ばれて」「忠実」に信仰を守っていた(2節)。

 イエス・キリストを信じる人は、苦難から免れる特権ではなく、苦難に打ち勝つ力を得る。そして、いかなる状況の中でも「わたしたちの父である神からの恵みと平安」(2節)を味わうことが出来る。

 また、福音は、不平不満を言いたくなるような状況の中でも感謝すべきことに目を向けさせる

「わたしたちは、いつもあなたがたのために祈り、わたしたちの主イエス・キリストの父である神に感謝しています。あなたがたがキリスト・イエスにおいて持っている信仰と、すべての聖なる者たちに対して抱いている愛について、聞いたからです」(3~4節)。

 コロサイの教会は、異端のために苦しみながらも「豊かな実」(6節)を結んでいた。「キリスト・イエスにおいて」正しい「信仰」を持ち、「すべての聖なる者たちに対して」民族や身分を越えた「愛」「抱いて」いた(4節、3章11節)。また、「福音という真理の言葉」を聞いて、「天に蓄えられている希望」を抱いていた(5節)。

 誰でも福音の内にいるなら、「神の恵み」によって良い「実を結んで成長」する(6節)。福音は、天の御国の希望に基づいた信仰と愛を生み出すからである。

 そして、主なる神は揺るぎない信仰を持った人を通して働かれ、「福音」「キリストに忠実に仕える者」(7節)によって伝えられる。

 コロサイの教会も、忠実な僕「エパフラス」を通して「福音」に触れ、健全な霊的土台を築くことが出来た(7節)。また、教会に哲学や異端が入り込んで聖徒達が惑わされると、彼はローマのパウロのところに行って状況を告げ、助けを求めた。

 福音によって結ばれた関係は簡単に諦めてはならない。どんなに大変でも、主にあって解決策を模索しよう

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祈り フィリピの信徒への手紙4章

祈り フィリピの信徒への手紙4章(新共同訳 新約pp.365-367)

 天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの恵みの御手の中に握り、支えて下さることを心から感謝致します。
 天のお父様、私達は色々なことで思い煩います。自分自身のこと、或いは自分の愛する者のことで思い煩います。恐れや不安、不満に心が揺れることがあります。そのような時、私達は〈自分〉という枠の中でしか考えることが出来なくなっており、〈自分〉の中で堂々巡りをしてしまっています。
 主よ、私達が思い煩いに囚われそうになる時、私達の目をあなたに向けさせて下さい。あなたは、私達の考えに優るご計画をお持ちです。私達の思いの届かないところにまで、あなたのご配慮は届いています。あなたは私達に「必要なものをすべて満たしてくださいます」(19節)。私達の目をあなたに向ける時、思い煩いの中にあっても感謝をもって祈れるようになっていきます。思い煩いがあなたへの信頼に変わっていきます。全てはあなたの御手の中で最善とされるということを信じ、今日も「あらゆる人知を超える神の平和」(7節)の中に過ごすことが出来ますように。安心しながら、平安の中で「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ」「求めているもの」をあなたに「打ち明け」ることが出来ますように(6節)。
 天のお父様、あなたがイエス・キリストによって、私達に与えて下さった一致を心から感謝致します。その一致を保っていくために、お互いが「キリストの内にいる者」(3章9節)であること、お互いがイエス・キリストのために生き、「福音のために」「共に戦」う者であることを深く覚えさせて下さい。そして、あなたが望んでおられる教会の一致のために、私達を「主において同じ思いを抱」く、あなたの「真実の協力者」として下さいますように(2~3節)。主よ、あなたは私だけでなく、兄弟姉妹お一人お一人を握って下さっています。兄弟姉妹をどうかお導き下さい。あらゆる危険と災いからお守り下さい。
 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

聖書日課 フィリピの信徒への手紙4章

聖書日課 フィリピの信徒への手紙4章(新共同訳 新約pp.365-367)

 教会の分裂はパウロが心を痛めた問題の一つである。コリントの教会では四つの分派が出来、彼らは互いに争った。それを見て、パウロ「キリストは幾つにも分けられてしまったのですか」(コリントの信徒への手紙一1章13節)と嘆いた。

 フィリピの教会ではエボディアとシンティケを中心に葛藤が起こっていた(2節)。パウロは、彼女達について「福音のためにわたしと共に戦ってくれた」婦人であると言っている(3節)。エボディアとシンティケは、パウロを助け、初期の頃から熱心に教会に仕えていたのだろう。そのような彼女達が今、互いに争う関係になっていた。

 パウロは彼女達に「主において同じ思いを抱きなさい」(2節)と勧めた。これは字義的には「同じことを考えなさい」という意味である。イエス・キリストが抱いていた思いを抱く時(2章2節参照)、キリスト者イエス・キリストにあって一つになることが出来る

 とはいえ、私達の「心と考え」(7節)に関する教えに従うのは、実に難しいことである。パウロが語っている「主において常に喜びなさい」(4節)という教えについても、「喜びが思い通りになるものか」と考える人がいるかも知れない。

 しかし、ここでパウロが語っているのは、単に感情のコントロールの問題ではない。喜びの源である主なる神を見上げることである。霊の目を主なる神に向ける時、私達は喜ぶ理由を見出すことが出来る

 人生の心配事は誰にでもある。しかし、それを「祈りと願い」(6節)に変える時、私達は主なる神を見上げることが出来る。そして、「あらゆる人知を越える神の平和」(7節)がこの世の複雑な問題よりも大きいと知ることが出来る。

「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いを献げ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(6~7節)。

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主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

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祈り フィリピの信徒への手紙3章

祈り フィリピの信徒への手紙3章(新共同訳 新約pp.364-365)

 天のお父様、あなたの尊い御名をほめたたえます。今日も溢れる恵みの中に置いて下さることを感謝致します。
 天のお父様、あなたが、イエス・キリストによって私達に与えて下さったものが、どんなに大きな宝であるかを教えていただき、ありがとうございます。私達は、生まれつきの性格や能力、また努力や行いから生じる「自分の義」によってではなく、「キリストへの信仰による義」「信仰に基づいて神から与えられる義」によって(9節)、あなたから救いをいただくことが出来ました。
 また、御子イエス・キリストに出会い、イエス・キリストの内に入れられた時から、私達は、自分が何者であるか悩む必要がなりました。あなたが私達の存在を天に移し替えて下さったからです。「わたしたちの本国は天にあります」(20節)。
 私達はこの世を歩いていく中で、様々な状況に遭遇します。罪に揺れることがあります。過去の失敗を思い出し、心が痛むこともあります。しかし、私達の本国が天にあることは変わりません。私達はあなたのものです。あなたが私達を握って下さっています。あなたが握って下さっているということを経験しながら生きてこられたこと、今生きていること、これからも生きていけることは何という恵みでしょう。心からあなたに感謝を献げます。
 にもかかわらず、私達は、あなたの目からみれば「塵あくた」(8節)に過ぎないものにしがみつこうとしてしまいます。知識、富、名誉ではなく、ただイエス・キリストだけを誇る者とならせて下さい。「自分がキリスト・イエスに捕らえられている」ことを喜ぶ者として下さい(12節)。「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに」「他の一切を損失」と見なす信仰を与えて下さい(8節)。
 天のお父様、あなたはイエス・キリストの救いによって、私達の罪を赦して下さっただけでなく、私達を罪からきよめようとして下さっています。罪の赦しがイエス・キリストにあるように、罪からのきよめもイエス・キリストにあります。あなたが「キリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために」、私達が「目標を目指してひたすら走」り続けることが出来ますように(14節)。
 主よ、新型コロナウィルス感染症の問題で、痛みや不安の中にある方、立ち上がろうとしている方、そのお一人お一人のところを訪れて下さい。どうかお一人お一人を支え、背負って下さい。
 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

聖書日課 フィリピの信徒への手紙3章

聖書日課 フィリピの信徒への手紙3章(新共同訳 新約pp.364-365)

 フィリピの教会は、外から来たユダヤ主義者の挑戦に直面していた。彼らは、フィリピの異邦人キリスト者に、割礼を強要した。

 パウロユダヤ主義者を「あの犬ども」「よこしまな働き手たち」「切り傷にすぎない割礼を持つ者たち」と呼び、「注意しなさい」「気をつけなさい」「警戒しなさい」と繰り返し語っている(2節)。

 割礼を誇り、強要することは、「肉に頼」り、肉を誇ることである。パウロは、これが「真の割礼」(3節)でないことを強調するために、「割礼」(ペリトメー)と似てはいるが、全く違う「切り傷にすぎない割礼」(カタトメー)という単語を使っている。

 真の割礼は、肉体を切り裂くことではなく、「神の霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇りとし、肉に頼らない」ことである(3節)。肉を誇る者とイエス・キリストを誇る者は決して共に歩むことは出来ない

 パウロは誇るものが沢山ある人だった。しかし、以前には誇っていたものを、今は「キリストのゆえに損失と見なすようになった」(7節)とパウロは言う。これは、大きな損害をもたらすもの、しがみつくほど損害が生じるものという意味である。

 パウロがそれらを捨てる理由は二つである。一つは、「キリストを得」るためであり(8節)、もう一つは、「キリストの内にいる者と認められるため」である(9節)。

 パウロは、イエス・キリストを宝として大切にし、誇った。私達の宝、私達の誇りもイエス・キリストの内にある。主なる神は、私達をイエス・キリストの内に探される。だから、間違った誇りを追い求めて、イエス・キリストから遠ざかることがないように注意しよう。

「そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています」(8節)。

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祈り フィリピの信徒への手紙2章

祈り フィリピの信徒への手紙2章(新共同訳 新約pp.362-364)

 天のお父様、あなたの尊い御名をほめたたえます。今日も溢れる恵みの中に置いて下さることを感謝致します。
 天のお父様、今日私達に御子イエス・キリストの謙遜を示し、「僕」として生きるように教えて下さったことを感謝致します。あなたは、あなたの御心をイエス・キリストに託し、イエス・キリスト「へりくだって、十字架の死に至るまで」、あなたの御心に従い通されました。そして、イエス・キリストはそれによって、私達が持つべき心のあり方を示して下さいました。
 イエス・キリストが私達を愛し、「僕」として生きて下さった、その御心を、聖霊によって私達にも与えて下さい。「僕」として生きることによって、「『イエス・キリストは主である』と公に宣べ」、あなたを「たたえる」者として下さい。私達は自分の力ではイエス・キリストに倣うことが出来ません。しかし、聖霊は私達の内にイエス・キリストの心を形づくって下さいます。イエス・キリストの心を私達の心とし、それを生活の中で表すことが出来ますよう、聖霊によって私達を助け、導いて下さい。
 天のお父様、あなたは私達がイエス・キリストにあって「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つに」するよう教え、願われました。私達がイエス・キリストに結ばれた者として、真の愛と深い交わりを求め、互いに理解し合い、愛し合い、赦し合い、助け合う共同体となることが出来ますように。
 また、新型コロナウィルス感染症の流行によって人との関わりが困難な中で、世界中の人々が社会的にも精神的にも、不安定な気持ちで明日の見えない生活を送っています。この苦しみの中にあっても、健康と希望、隣人を思いやる心と癒しをお与え下さい。
 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。