ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 フィリピの信徒への手紙3章

聖書日課 フィリピの信徒への手紙3章(新共同訳 新約pp.364-365)

 フィリピの教会は、外から来たユダヤ主義者の挑戦に直面していた。彼らは、フィリピの異邦人キリスト者に、割礼を強要した。

 パウロユダヤ主義者を「あの犬ども」「よこしまな働き手たち」「切り傷にすぎない割礼を持つ者たち」と呼び、「注意しなさい」「気をつけなさい」「警戒しなさい」と繰り返し語っている(2節)。

 割礼を誇り、強要することは、「肉に頼」り、肉を誇ることである。パウロは、これが「真の割礼」(3節)でないことを強調するために、「割礼」(ペリトメー)と似てはいるが、全く違う「切り傷にすぎない割礼」(カタトメー)という単語を使っている。

 真の割礼は、肉体を切り裂くことではなく、「神の霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇りとし、肉に頼らない」ことである(3節)。肉を誇る者とイエス・キリストを誇る者は決して共に歩むことは出来ない

 パウロは誇るものが沢山ある人だった。しかし、以前には誇っていたものを、今は「キリストのゆえに損失と見なすようになった」(7節)とパウロは言う。これは、大きな損害をもたらすもの、しがみつくほど損害が生じるものという意味である。

 パウロがそれらを捨てる理由は二つである。一つは、「キリストを得」るためであり(8節)、もう一つは、「キリストの内にいる者と認められるため」である(9節)。

 パウロは、イエス・キリストを宝として大切にし、誇った。私達の宝、私達の誇りもイエス・キリストの内にある。主なる神は、私達をイエス・キリストの内に探される。だから、間違った誇りを追い求めて、イエス・キリストから遠ざかることがないように注意しよう。

「そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています」(8節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

f:id:Biblicism:20210602142922p:plain

https://nschrist1972.hatenablog.com/
〈地図〉

www.google.com