ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 フィリピの信徒への手紙2章

聖書日課 フィリピの信徒への手紙2章(新共同訳 新約pp.362-364)

 本章の初めで、パウロは、フィリピの教会の聖徒達に次のように書いている。

「そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください」(1~2節)。

 教会にとって最も大切なことは、イエス・キリストにある〈一致〉である。勿論、伝道も奉仕も献金も大切である、しかし、それらは、教会がイエス・キリストにあって「心を合わせ、思いを一つにして」歩む時に、最も祝福される。

 では、どうすれば教会は一致することが出来るか。パウロは、続いてこう記している。

「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」(3~4節)。

 一致するために必要なこと、それは〈謙遜〉である。それは自己卑下や慇懃無礼とは違う。「利己心や虚栄心」を捨て、「相手を自分よりも優れた者と考え」ることであるとパウロは教えている。そして、「それはキリスト・イエスにもみられるものです」(5節)とパウロは言う。

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(6~8節)。

 イエス・キリストの十字架は、謙遜の模範であり、このイエス・キリストの謙遜によって、私達は赦され、救われた。私達は、時々このことを静かに黙想してはどうだろうか。勿論、その際には、次節以下の御言葉を心に留めることも忘れないでいただきたい。

「このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです」(9~11節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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2021年7月18日(日) 週報

2021年7月18日(日) 聖霊降臨節第9主日

○礼拝プログラム
招詞 イザヤ書42章6節
讃美 第二編1(こころを高くあげよう)
交読 申命記24章17~22節(新共同訳 旧約p.319)
主の祈り
聖書拝読 ヤコブの手紙2章1〜13節(新共同訳 新約pp.422-423)
祈り 司式者
讃美 515(十字架の血に きよめぬれば)
宣教 「人を分け隔てせず」柏本隆宏協力牧師
讃美 286(かみはわがちから わがたかきやぐら)
祈り
奉献
頌栄 540(みめぐみあふるる)
祝祷 柏本隆宏協力牧師
報告

○報告
1. イエス・キリストを主と信じ、バプテスマを受けることを希望される方、また西原新生教会への転入会を希望される方は、柏本協力牧師までお申し出下さい。

2. 沖縄県に対する新型コロナウィルス感染症の非常事態宣言が、8月22日まで延長されることが決まりました。教会では換気・消毒・ソーシャルディスタンスなどの対策を講じた上で、会堂に集まっての礼拝を続けます。礼拝後の活動・交わりは、引き続き休止します。礼拝に参加される方は、消毒液による手洗いとマスク着用の上、間隔を空けて座り、引き続き新型コロナウィルスの感染予防にご協力をお願い致します。また、zoomによるオンラインでの礼拝参加にも対応しますので、参加を希望される方は、教会のメールアドレス(下記)までご連絡をお願い致します。

3. 7月30日(金) 16:0020:308月6日(金) 20:00から祈祷会を行います。午前中の祈祷会(10:30~)への参加、オンラインによる参加にも対応しますので、参加を希望される方は、教会のメールアドレス(下記)までお知らせ下さい。その一方で、日常生活の中で聖書通読と祈りを大切にし、主なる神との交わりの時を毎日確保しましょう。また、祈りの生活の一助として、「祈りの課題」をまとめました。家庭でご活用下さい。
https://nschrist1972.hatenablog.com/entry/2021/06/24/003908

4. 8月13日(金) 10:30~16:00黎明宣教会「世界宣教夏季聖会」が、松丸嘉也先生(日本ウィクリフ聖書翻訳協会総主事)を講師としてお招きしてzoomで行われます。聖会では3名の宣教師による活動報告もあります。案内を教会の掲示板に貼り出していますので、参加を希望される方は、8月12日(木)までに案内に記載されている連絡先にお申し込み下さい。また、日本バプテスト連盟よりインドネシアに派遣されている野口日宇満・佳奈宣教師ご一家(福岡新生教会出身)が本日東京に到着し、そのまま10日間ホテルで隔離生活を送られます。新型コロナウィルスの感染者が急増しているインドネシアにおける野口宣教師の働きの上に、主の守りをお祈り下さい。

5. ブログは随時更新しています。聖書日課の箇所に関する短いメッセージも載せています。
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○過去の宣教から
「十字架を背負う、行きたくないところに連れて行かれるという事の中に、私達の病気も入るのかも知れません。だれしも常に健康である事を願います。しかし、時として病気を抱える事があります。又、それぞれに与えられている仕事の責任を果たしていく、それが一つの十字架である場合もあると思います。それぞれの職業としての仕事の責任は放棄できません。家庭での子育ても一つの大きな仕事です。その時々、色々な状況の中で、全てを感謝しながら、イエスに従っていく、そのような新しい一週間をスタートしましょう。互いに祈り合いながら」(2015年8月23日、ルカによる福音書9章23節、ヨハネによる福音書21章18~19節)。

○聖書日課
18日(日) エフェソの信徒への手紙6章
19日(月) フィリピの信徒への手紙1章
20日(火) フィリピの信徒への手紙2章
21日(水) フィリピの信徒への手紙3章
22日(木) フィリピの信徒への手紙4章
23日(金) コロサイの信徒への手紙1章
24日(土) コロサイの信徒への手紙2章

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祈り フィリピの信徒への手紙1章

祈り フィリピの信徒への手紙1章(新共同訳 新約pp.361-362)

 天のお父様、あなたの尊い御名をほめたたえます。今日も溢れる恵みの中に置いて下さることを感謝致します。
 天のお父様、私達には、自分の手から放そう、放そうと何度も思っているのに、いつの間にかまた握り締めているものがあります。私達自身がそれによって縛られ、心の自由を失っていました。
 主よ、全てをあなたに委ねることが出来ますように。そのことを通して、あなたに握られている生に移されていきますように。いかなる苦難の中にあっても、イエス・キリストの十字架を見上げる時、喜びで満たされます。あらゆる状況を通して「福音の前進」(12節)を成し遂げられるあなたに信頼し、苦しい状況の中にあってもあなたの愛を深く体験することが出来ますように。そして、私達がパウロのように「生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています」(20節)と告白しながら生きていくことが出来ますように。
 主よ、私達が「キリスト・イエスの愛の心」を持って、「キリスト・イエスに結ばれている」兄弟姉妹のことを思い(1節、8節)、あなたに喜ばれる共同体となれますように。また、私達がイエス・キリストの霊の助け」(19節)を受けて「確信を得」「恐れることなくますます勇敢に」「キリストを宣べ伝える」ことが出来ますように(14~15節)。
 天のお父様、今日も痛みと苦しみの中にある方と共にあって下さい。その状況の中にあなたが切り込んで来て、光を照らして下さい。お一人お一人をあなたご自身が背負って下さい。
 感謝して、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

聖書日課 フィリピの信徒への手紙1章

聖書日課 フィリピの信徒への手紙1章(新共同訳 新約pp.361-362)

 フィリピの信徒への手紙は、獄中書簡の一つと言われている。この手紙を書いた時、使徒パウロは、福音のために捕らわれの身となっていたからである。ところが、不思議なことに、この短い手紙の中には「喜び」という言葉が何度も出てくる。そのため、この手紙は昔から〈喜びの手紙〉と呼ばれてきた。

「わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています」(3~4節)。

 何故パウロは、牢獄に閉じ込められているような状況の中で喜ぶことが出来たのだろうか。「それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです」(5節)とパウロは言う。つまり、パウロは自分自身のことで喜んでいたのではなく、フィリピの教会の兄弟姉妹がしっかりと福音に繋がっていることを喜び、祈っていた

 パウロ「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」(6節)と述べている。たとえ自分は幽閉された身となっていても、パウロが心から愛する人々において主が「善い業」を継続し、必ず「その業を成し遂げてくださる」と確信していたからこそ、彼は喜ぶことが出来た。

 また、パウロは、自分が捕らわれの身となったことが、「かえって福音の前進に役立った」(12節)と語り、次のように記している。

「つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです」(13~14節)。

 イエス・キリストを宣べ伝えること、それがパウロの使命であったパウロの周りには、迫害者や反対者、更には「ねたみや争いの念にかられ」た者さえいた(15節)。しかし、パウロはこう言っている。

「だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます」(18節)。

 そして、「生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています」(20節)とパウロは断言した。ここに、使徒パウロの喜びの源があった。

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祈り エフェソの信徒への手紙6章

祈り エフェソの信徒への手紙6章(新共同訳 新約pp.359-360)

 天のお父様、あなたの尊い御名をほめたたえます。今日も溢れる恵みの中に置いて下さることを感謝致します。
 天のお父様、悪魔は色々な方法で「火の矢」(16節)を放ち、私達の目をあなたから離させ、私達の心を挫こうとします。しかし、あなたは私達を握って下さっています。希望が失われそうになる苦しい状況の中で、私達が「しっかりと立つことができるように」イエス・キリストご自身が「神の武具」となって、私達を守り続けて下さいます(13節)。誰があなたから私達を引き離すことが出来るでしょうか。私達の心が弱っている時、あなたご自身が私達の目を開いて下さり、傍にいて下さるあなたを見ることが出来るようにして下さい。
 あなたの「真理」こそ私達の「帯」、あなたの「正義」こそ私達の「胸当て」、あなたの「平和の福音」こそ私達の「履物」、あなたへの「信仰」こそ私達の「盾」、あなたの「救い」こそ私達の「兜」、あなたの「御言葉」こそ私達に与えられた「霊の剣」です(14~17節)。イエス・キリストの十字架による救いを信じる私達が、この世の虚栄に惑わされず、真実を求め、いつもあなたに立ち帰ることが出来ますように。イエス・キリストに招かれ、あなたの子供とされた私達が、移ろいゆく社会の中で、あなたから遠ざかる思いや考えを退け、揺るがない心であなたに従うことが出来ますように。「キリストの奴隷として、心から」あなたの「御心を行い」、また「人にではなく主に仕えるように」、家族に、隣人に「喜んで仕え」ることが出来るようお導き下さい(6~7節)。
 天のお父様、今日は「週の初めの日」(ヨハネによる福音書20章1節)、御子イエス・キリストの復活を記念して礼拝が献げられる日です。あなたの招きに応える、私達の信じる心を強めて下さい。今日の礼拝で奉仕する者、御言葉を取り次ぐ者、そして聴く私達一人一人に聖霊の導きをお願い致します。重荷を負って来た者には慰めを、傷ついて来た者には癒しを、弱って来た者には力をお与え下さい。イエス・キリストとの出会いの恵みを一人でも多くの人と分かち合うことが出来ますように。
 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

聖書日課 エフェソの信徒への手紙6章

聖書日課 エフェソの信徒への手紙6章(新共同訳 新約pp.359-360)

 イエス・キリストにある新しい生き方、それが本書の後半の主題である。それは、当然のことながら、日常の人間関係にも変化をもたらす使徒パウロが、5章の後半から6章にかけて日常の人間関係について教えているのは、そのためである。そこでは、妻と夫(5章21~33節)、子と親(6章1~4節)、奴隷と主人(6章5~9節)という3つの人間関係について教えられているが、それらに共通する原則は一つである。それは、人との関係の前提にイエス・キリストの関わり方があるということである。

「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい」(5章21節)。

「妻たちよ、主に仕えるように、夫に仕えなさい」(5章24節)。

「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい」(5章25節)。

「子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです」(1節)。

「父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい」(4節)。

「奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい」(5節)。

「主人たち、同じように奴隷を扱いなさい。彼らを脅すのはやめなさい。あなたがたも知っているとおり、彼らにもあなたがたにも同じ主人が天におられ、人を分け隔てなさらないのです」(9節)。

 このように、主なる神との関わりと人間との関わりは、コインの表裏のように切っても切れない関係にある。それ故、目に見える人間関係の問題は、目に見えない主なる神の御前に出ることによって、相応しい解決と回復を得ることが出来る

 最後に、パウロは、もう一つ、イエス・キリストにある新しい生き方をする上での大事な勧告をしてこの手紙を終えている。

「最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい」(10~13節)。

 私達は、このような戦いの中に置かれていることを忘れてはならない。「新しい人」(4章24節)とは、絶えず信仰と御言葉と祈りをもって悪魔に勝利する者である。その勝利を、私達は日々味わい続けていきたい。

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祈り エフェソの信徒への手紙5章

祈り エフェソの信徒への手紙5章(新共同訳 新約pp.357-358)

 天のお父様、あなたの尊い御名をほめたたえます。今日も御前に引き出して下さり、あなたの恵みの言葉を聞かせて下さったこと、祈りを献げさせて下さることを感謝致します。
 主よ、あなたが私達を愛し、御子イエス・キリストによって私達を赦し、あなたの「子供」として下さった恵みに感謝致します。今日、私達は、いただいた御言葉を通して、あなたとの間に、父と子の関係、生きた命の関係、双方向の愛の関係があることを確認しました。私達があなたを「天のお父様」と呼ぶごとに、この関係を想い起こさせて下さい。
 天のお父様、あなたは、私達を聖霊によって新しく生まれさせ、聖霊によって御子イエス・キリストを主として受け入れる信仰の告白へと導き、聖霊によって救いの保証を与えて下さいました。更に、私達が新しい命に生きるために、イエス・キリストをより深く理解するために、私達を聖霊で満たして下さいます。聖霊の満たしによって、私達に救いの確信を得させようと願われるあなたの愛に感謝致します。
 主よ、あなたは「霊に満たされ」「いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい」とお命じになりました。このご命令は「私はあなたを聖霊で満たし続ける」という約束でもあります。あなたの約束に信頼して、あなたのご命令に従います。私達は既に聖霊をいただき、聖霊に生かされ、聖霊に導かれていますが、私達を聖霊で満たし続けて下さい。そして、「今は主に結ばれて、光となって」いる私達が、あなたの御心に従い、「光の子として歩み」続けることが出来ますように(8節)。聖霊の満たしが、教会だけでなく、家庭の中に、職場の中に、日々の生活の隅々にまで現れ、あなたの御名が崇められますように。
 感謝して、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

聖書日課 エフェソの信徒への手紙5章

聖書日課 エフェソの信徒への手紙5章(新共同訳 新約pp.357-358)

 パウロは、エフェソの教会の聖徒達に、「古い人を脱ぎ捨て」「新しい人を身に着け」ることを勧めた(4章22~23節)。では、「新しい人」とはどのような人だろうか。

 パウロは、まず「神に愛されている子供」であると述べている。

「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい」(1~2節)。

 イエス・キリストへの信仰は、人間が主なる神を愛し、主なる神に仕える前に、「キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださった」と知ることによって始まる。それは主なる神からの一方的な恵みによるものである。この主なる神の恵みと愛を知るところに、私達の信仰の土台がある

 次にパウロは、「あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません」(3節)と教えている。よく「自分は汚れた罪人に過ぎない」と言う人がいる。それは謙遜という意味では大切だが、そういう者が今はイエス・キリストにあって「聖なる者」とされていることも忘れてはならない。聖霊によって、そのような自覚が深められることで、清い歩みが生まれてくる

 また、パウロは、次のように語っている。

「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。──光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。──」(8~9節)。

 イエス・キリストに結ばれていること、そこに希望の光がある「以前には暗闇」でしかなかった私達が、「今は主に結ばれて、光となって」いる。希望の光に輝いて生きている。主イエス・キリストを信じ、主に聞き従い、「光の子として歩み」たいと願う。

「それで、こう言われています。『眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。そうすれば、キリストはあなたを照らされる』」(14節)。

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祈り エフェソの信徒への手紙4章

祈り エフェソの信徒への手紙4章(新共同訳 新約pp.355-357)

 天のお父様、あなたの尊い御名をほめたたえます。今日も御前に引き出して下さり、あなたの恵みの言葉を聞かせて下さったこと、祈りを献げさせて下さることを感謝致します。
 天のお父様、あなたは罪人である私達を、イエス・キリストを信じることによって「聖なる者」(12節)として下さいました。それは何という大きな恵みでしょうか。私達があなたの恵みを深く悟ることが出来るようにして下さい。そして、私達を、あなたの恵みに応えて、「キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長する」(13節)ことを心から願う者として下さい。
 主よ、私達はあなたの召しに恥ずかしくない生き方をしているでしょうか。自分さえ良ければ良いと思っている私達、未だに人に対して高慢で忍耐出来ない私達をどうかお赦し下さい。憐れんで下さい。今こそ、私達が「唯一」(6節)であられるあなたを見上げる時です。あなたに立ち帰らなければならない時です。私達に、あなたの御言葉に従う従順な信仰をお与え下さい。愛のない私達にあなたの愛を注いで下さい。私達一人一人がもっと深くイエス・キリストを知り、整えられ、愛に生きることによって、キリストの体を建て上げさせて下さい。
 天のお父様、あなたは、私達一人一人が「愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長してい」くために教会を建て上げ(15節)、また奉仕する者をお立てになっています。にもかかわらず、私達は、教会が何であるかを忘れ、教会を社交の場、或いは活動の場のように考えてしまうことがあります。私達が、あなたから与えられた使命を忠実に果たし、キリストの体が建て上げられていく喜びに共に与ることが出来るよう、導いて下さい。
 天のお父様、新型コロナウィルス感染症の流行は、社会の様々な分野で深刻な危機をもたらしています。その中にあって私達が、あなたの御言葉を聞くだけではなく、行う者となれますように。イエス・キリストに倣って、自分に出来ることを実践する者とならせて下さい。御言葉の息吹に触れ、新たな出会いに導かれますように。
 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

聖書日課 エフェソの信徒への手紙4章

聖書日課 エフェソの信徒への手紙4章(新共同訳 新約pp.355-357)

 主なる神はユダヤ人であれ異邦人であれ、イエス・キリストにあって「一つの希望にあずかるように招かれ」た。それ故、パウロはエフェソの教会の聖徒達に、「一つ」になるよう勧めた(3~6節)。

「そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい」(1~3節)。

 私達は、このような生き方が出来たら、どんなに素晴らしいことかと思う。しかし、現実はそう簡単にはいかないと考えてしまう。だが、聖霊「平和のきずな」を結んで、教会を「一つ」にして下さった。だから、「霊による一致を保つ」ことが私達の召しであり、使命である。

 また、私達が「キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ」るために教会があるとパウロは教えている(21節)。

「この降りて来られた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです」(10~13節)。

 イエス・キリスト「ある人」に務めを与えられたのは、聖徒が「キリストの体を造り上げてゆき」「神の子に対する信仰と知識において一つのものとな」るためである。信仰は御子イエス・キリストを知ることから始まる。イエス・キリストに対する信仰と知識の一致がなければ、教会は分裂する危険性が生じる。しかし、信仰と人格において「未熟な者ではなくなり」(14節)、「キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長」した時、私達は、この世の「風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく」(14節)、イエス・キリストの愛を実践出来る。教会の成長と私達一人一人の成熟は、決して無関係ではない。聖徒が一致して教会の「頭であるキリスト」(15節)に従う時、教会は堅く建てられていく。

 またパウロは、もう一つ大事なことを教えている。

「だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません」(22~24節)。

 私達がイエス・キリストに似た「新しい人」として生きるためには、まず「古い人を脱ぎ捨て」る必要がある。ところが、この点で私達はなかなか前に進むことが出来ない。つまり、古い自己中心的な生き方を捨てて、主なる神の導きに素直に従おうとせず、いつも誰かを責めたり、赦せなかったり、不平不満で一杯になったりしてしまう。

「無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしり」、またこれらの罪の原因である「一切の悪意」は(31節)、「地上のもの、この世のもの、悪魔から出たもの」(ヤコブの手紙3章15節)である。これらを捨て去ってこそ、イエス・キリストの平和を味わうことが出来る

 その上で、主なる神の愛に倣って、「悪い言葉を一切口に」せず、「その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語り」「聞く人に恵みが与え」よう(29節)。また、「互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合」おう(32節)。勿論、これらは、聖霊の助けなしには出来ないことである。だから、私達は「心の底から新たにされ」るために(23節)、聖霊に拠り頼み続けよう。

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