第32編は、「罪」の呵責に苦しみ悶えるダビデの告白の言葉である。
「【ダビデの詩。マスキール。】いかに幸いなことでしょう/背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。いかに幸いなことでしょう/主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。わたしは黙し続けて/絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。御手は昼も夜もわたしの上に重く/わたしの力は/夏の日照りにあって衰え果てました。[セラ」(1~4節)。
「罪」は全ての人間の内にある現実であり、人を苦しめ、汚し、狂わせ、腐らせ、そして最後には永遠の滅びに陥れる元凶である。それ故、聖書は、あらゆる人間の中に巣食う「罪」を指摘し、警告を与えている。
しかし、聖書はそれと共に、全ての人に向かって、罪の赦しと罪の苦しみからの解放を宣言する書でもある。たとえ罪に陥って「絶え間ない呻きに骨まで朽ち果て」、「衰え果て」ることがあっても、主に向かって罪を告白するなら、主なる神は即座にその罪と過ちを赦して下さる。そして、私達を「苦難から守」り、「救いの喜びをもって」「囲んでくださる」。ダビデはその素晴らしい経験をこう証ししている。
「わたしは罪をあなたに示し/咎を隠しませんでした。わたしは言いました/『主にわたしの背きを告白しよう』と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを/赦してくださいました。[セラ あなたの慈しみに生きる人は皆/あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。大水が溢れ流れるときにも/その人に及ぶことは決してありません。あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって/わたしを囲んでくださる方。[セラ」(5~7節)。
そして、ダビデはこう勧める。
「わたしはあなたを目覚めさせ/行くべき道を教えよう。あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。分別のない馬やらばのようにふるまうな。それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。そのようなものをあなたに近づけるな。神に逆らう者は悩みが多く/主に信頼する者は慈しみに囲まれる。神に従う人よ、主によって喜び躍れ。すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ」(8~11節)。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの慈しみに包まれ、御前に祈りを献げられることを心から感謝致します。
主よ、ダビデと同じように、私にも二面性があります。あなたを喜び、あなたと共に歩きたいと思う心と、暗闇の方を向く心の両方が私の中にあります。
主よ、どうか私の罪をお赦し下さい。暗闇に傾く心をお赦し下さい。そして、ここにあなたの光を照らし、あなたの光で満たし、包み込んで下さい。私の罪からの隠れ家となって、私を罪から免れさせて下さい。
共にあなたの御言葉に耳を傾ける兄弟姉妹にとっても、あなたが隠れ家となり、あなたの光によってお一人お一人を包み隠し、自由と喜びの中を生きることが出来ますよう、助け導いて下さい。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
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