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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編31編

聖書日課 詩編31編(新共同訳 旧約pp.860-862)

詩編の中に自分の苦しみにピッタリ合う言葉を見出した!」という方は、多いのではないか。その通り、詩編は私達に多くの苦しみの表現を与えてくれる書である。そして、そこに詩編の魅力の一つがある。

 第31編の中にも、実に巧みな苦しみの表現が散りばめられている。このような言葉に触れるだけでも、私達の苦しみは慰めを受ける。

「主よ、憐れんでください/わたしは苦しんでいます。目も、魂も、はらわたも/苦悩のゆえに衰えていきます。命は嘆きのうちに/年月は呻きのうちに尽きていきます。罪のゆえに力はうせ/骨は衰えていきます。わたしの敵は皆、わたしを嘲り/隣人も、激しく嘲ります。親しい人々はわたしを見て恐れを抱き/外で会えば避けて通ります。人の心はわたしを死者のように葬り去り/壊れた器と見なします。ひそかな声が周囲に聞こえ/脅かすものが取り囲んでいます。人々がわたしに対して陰謀をめぐらし/命を奪おうとたくらんでいます」(10~14節)。

 しかし、詩編の魅力はそれだけではない。詩編は、ただ苦しみを巧みに表現するだけで終わっているものではない。もしそれだけなら、演歌やロックも人生の苦しみや怒りについて素晴らしい表現を持っている。

 詩編の素晴らしさの真髄は、人間の苦しみの最終的な持って行き場であり、かつ決定的な解決の場である主なる神を私達に指し示してくれているところにある。しかも、それは単なる理想論とか机上の空論ではなく、詩編の作者自身の体験そのものである。このように、詩編は単なる嘆きや叫びの詩ではなく、私達を癒しと確信と喜びへと導く〈主なる神の御言葉〉である。この御言葉を、じっくりと味わい続けたい。

「恐怖に襲われて、わたしは言いました/『御目の前から断たれた』と。それでもなお、あなたに向かうわたしの叫びを/嘆き祈るわたしの声を/あなたは聞いてくださいました。主の慈しみに生きる人はすべて、主を愛せよ。主は信仰ある人を守り/傲慢な者には厳しく報いられる。雄々しくあれ、心を強くせよ/主を待ち望む人はすべて」(23~25節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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