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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編103編

聖書日課 詩編103編(新共同訳 旧約pp.939-941)

「冠」と聞いて、思い浮かべるのは、王がかぶる〈王冠〉だろう。金やプラチナで作られ、宝石が組み込まれている。国家の威信をかけて、最高の材料と最高の技術をもって作り上げるのが王冠である。

 そこに現されるのは人の栄光である。人は自分が作ったもので自分の栄光を表そうとする。

「【ダビデの詩。】わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって/聖なる御名をたたえよ。わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。主はお前の罪をことごとく赦し/病をすべて癒し/命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け/長らえる限り良いものに満ち足らせ/鷲のような若さを新たにしてくださる」(1~5節)。

 しかし、ダビデは謳っている。主なる神の「慈しみと憐れみ」が私達の「冠」であると。ダビデ自身も王冠を戴いた者である。しかし、金の王冠よりも、更に優れた冠こそ、主の「慈しみと憐れみ」であると彼は告白している。

 私達を輝かせ、私達に尊厳を与えるもの、それは、私達が自分の力で手に入れたこの世の力、富や地位ではない。主の「慈しみと憐れみ」である。

 主の「慈しみと憐れみ」は全ての人に注がれる。全ての人をご自分の王子、王女として、この世の誰も作り得ない、栄光の「冠」をかぶらせて下さる。主の「慈しみと憐れみ」が、私達を主の王子、王女とするからである。

 今、人生の痛みと苦しみの中で、主の王子、王女と聞いてもピンとこないと感じる方も多いと思う。

 しかし、主は、ご自分の子供達を忘れていない。「慈しみと憐れみの冠を授け」ると仰る方は、その約束を必ず果たされる。

 あなたも、そして私も、主の栄光を映す時がやって来る。絶望してはならない。

祈り
 天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの溢れる恵みと慈しみの中に私達を置いて、御前に引き出して下さったことを心から感謝致します。

 主よ、今日、私達を輝かせる私達の「冠」は、私達の業や功績ではなく、あなたの「慈しみと憐れみ」だと聞きました。このような者をも慈しみ、憐れんで下さるあなたの「慈しみと憐れみ」が私達を輝かせて下さると。

 自分を人に良く見せようとしてきたこの心をお赦し下さい。ただこの身を低くして、あなたの「慈しみと憐れみ」だけを求める者となることが出来ますように。十字架の死まで低められたあなたの近くにいることが出来ますように。

 人生の痛みの中で、自分の価値、あなたが与えて下さる栄光の「冠」が何か分からず、苦しんでいる方が沢山いらっしゃると思います。主よ、どうかお一人お一人に近くあって下さい。今日も、あなたの「慈しみと憐れみ」を溢れるように注いで下さい。あなたの王子、あなたの王女とされていることに、お一人お一人が気付くことが出来ますように。あなたの栄光をもってお一人お一人を覆って下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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