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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エズラ記1章

聖書日課 エズラ記1章(新共同訳 旧約p.723)

 70年にわたるバビロン捕囚が、漸く終わりを迎えようとしていた。

 主なる神は、「ペルシアの王キュロスの心を動かされ」、囚われの身となっていたイスラエルの民を解放し、エルサレムに」再び「御自分の神殿を建てることを」「命じられた」(紀元前538年)。それは〈礼拝の回復〉を願う主なる神の御心であり、神の民イスラエルを再び礼拝の民として立ち上がらせるための主なる神の導きと励ましの御業であったと言えるだろう。

「ペルシアの王キュロスの第一年のことである。主はかつてエレミヤの口によって約束されたことを成就するため、ペルシアの王キュロスの心を動かされた。キュロスは文書にも記して、国中に次のような布告を行き渡らせた。『ペルシアの王キュロスはこう言う。天にいます神、主は、地上のすべての国をわたしに賜った。この主がユダのエルサレムに御自分の神殿を建てることをわたしに命じられた。あなたたちの中で主の民に属する者はだれでも、エルサレムにいますイスラエルの神、主の神殿を建てるために、ユダのエルサレムに上って行くがよい。神が共にいてくださるように』」(1~3節)。

 かつてアブラハムは旅の途上で祭壇を築き(創世記12章7~8節)、モーセは荒れ野で幕屋を作り(出エジプト記25~27章)、ソロモンはエルサレムに神殿を建設した(列王記上6章)。これらは全て〈主なる神を礼拝する〉という目的のためになされた。そして今、捕囚の民が解放されるのも、彼らが再びエルサレムに神殿を建て、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして主なる神を愛し、礼拝する民となるためだった。

 主なる神は、この地上に真の礼拝者を求めておられる。いや、地上の全ての人が、真の礼拝者となることを願っておられる。親しく主なる神と交わり、その御声に聞き入り、感謝と賛美をもって応答する。主なる神の恵みと愛に満たされて祈りをささげ、主なる神の平和と喜びに満たされて互いに交わる。礼拝とは、主なる神との出会いの場である。

 主なる神は、全ての人がそういう交わりの中に生きることを求めておられる。神の民はそのためのモデルであり、祭司であり、世を照らす光として選ばれ立てられた。それ故、神の民のなすべきことはただ一つ、〈真の礼拝者として生きる〉ことである。あなたの生きる目的はどこにあるだろうか。

「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ」(ヨハネによる福音書4章23節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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