聖書日課 ネヘミヤ記2章(新共同訳 旧約pp.739-741)
ネヘミヤの興味深い点は、彼がペルシア王の献酌官という自分の立場を大いに利用して、エルサレムの城壁再建という大事業を成し遂げようとしたことである。
ネヘミヤは、「アルタクセルクセス王」に(1節)、エルサレムへの旅を許可する旨を書いた「書状」を書いてもらい、旅の安全を確保した。また「城壁」再建と自分が「入る家のために木材を」調達することを許可する旨の書状も王に願い出ている。
「更に、わたしは王に言った。『もしもお心に適いますなら、わたしがユダに行き着くまで、わたしを通過させるようにと、ユーフラテス西方の長官たちにあてた書状をいただきとうございます。また、神殿のある都の城門に梁を置くために、町を取り巻く城壁のためとわたしが入る家のために木材をわたしに与えるように、と王の森林管理者アサフにあてた書状もいただきとうございます。』神の御手がわたしを守ってくださったので、王はわたしの願いをかなえてくれた」(7~8節)。
それだけではない。ネヘミヤたちのエルサレム帰還の旅には、王が「派遣してくれた」「将校と騎兵」が同行した(9節)。エズラが同行の兵士を断ったのとは大違いである。
勿論、これは、エズラとネヘミヤのどちらが正しく、どちらが信仰的かということではない。どちらも信仰による判断であり、エズラもネヘミヤも主に祈りつつ慎重に事を運んだことに違いはない。表面的な〈方法〉の違いと、本質的な〈信仰〉の違いを混同しないことは、主なる神の働きを狭めてしまわないために、とても大切である。主なる神はワンパターンではない。時と状況によって色々な方法をとられる。
ネヘミヤは信じていた。そして、主なる神に祈っていた。主がペルシア王の心を動かし、ネヘミヤの「願いをかなえ」て下さるようにと(1章11節)。そして、事ある毎に「天にいます神に祈」りながら(4節)、主の導きと力によって全ての事を進めていった。その結果、遂にネヘミヤは「神の御手がわたしを守ってくださったので、王はわたしの願いをかなえてくれた」と告白することが出来た。
エルサレムの城壁再建という目標に向けて、常に謙遜な心と柔軟な考えをもって信仰に生きるネヘミヤのあり方から学ぶべき点は多い。
西原新生バプテスト教会
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