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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 列王記下17章

聖書日課 列王記下17章(新共同訳 旧約pp.606-609)

 紀元前722年、北イスラエル王国アッシリア帝国によって滅ぼされた。北王国の「すべての地に攻め上って来た」アッシリアは、首都サマリア「三年間」「包囲し」た末に、これを「占領し」イスラエル人を捕らえてアッシリアに連れて行」った。

アッシリアの王はこの国のすべての地に攻め上って来た。彼はサマリアに攻め上って来て、三年間これを包囲し、ホシェアの治世第九年にサマリアを占領した。彼はイスラエル人を捕らえてアッシリアに連れて行き、ヘラ、ハボル、ゴザン川、メディアの町々に住ませた」(5~6節)。

 神の宝の民、祭司の王国、聖なる国民とされた筈のイスラエルが、どうしてこのようなことになってしまったのだろうか? 聖書は、その理由をはっきりこう記している。

「こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から導き上り、エジプトの王ファラオの支配から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、他の神々を畏れ敬い、主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の風習と、イスラエルの王たちが作った風習に従って歩んだからである。…主が、『このようなことをしてはならない』と言っておられたのに、彼らは偶像に仕えたのである」(7~12節)。

 勿論、主なる神は、数百年にもわたって、何度も何度も預言者「先見者」を通して彼らに語りかけ、「警告」を与え続けられた(13節)。しかし、彼らは主なる神の言葉に「聞き従うことなく」、心を「かたくな」にして(14節)、主と「主が先祖たちと結ばれた契約」に逆らい続け(15節)、偶像に「自らを売り渡して主の目に悪とされることを行い」続けた(16~17節)。

 こうして、遂に裁きが下された。それはイスラエルの人々が自ら選び取った道だった。彼らは自ら滅びの道を選択したのである。彼らの前には、滅びの道も祝福の道も、どちらも等しく開かれていたにもかかわらず。

 裁きは、決して主なる神が望まれるものではない。確かに主なる神は罪に対して怒られる御方である。しかし、愛である神は、私達の一人も滅びることのないように願っておられる。だから、主なる神は私達の罪の全てを自ら背負う道を選んで下さった。それが独り子イエス・キリストの十字架である。全ての人が、十字架の贖いによって罪を赦され、癒され、救われるように、主なる神は今も私達に語りかけ、警告をお与え下さっている。

「彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか」(エゼキエル書33章11節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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