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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 列王記下16章

聖書日課 列王記下16章(新共同訳 旧約pp.605-606)

 アハズ王がユダを治めていた時、イスラエル「アラム」が同盟を結び、エルサレムを攻めようとして上って来た」(5節)。彼らは、その頃次第に勢力を拡大しつつあったアッシリアに対抗するためにユダを力づくで仲間に加えようとしたようである。

 この時、主なる神は預言者イザヤをアハブ王のもとに遣わし、「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない」という励ましの言葉を告げられた(イザヤ書7章4節)。

 ところが、アハブは主に依り頼まず、アッシリアの王ティグラト・ピレセル」に助けを求めた。

「アハズはアッシリアの王ティグラト・ピレセルに使者を遣わして言わせた。『わたしはあなたの僕、あなたの子です。どうか上って来て、わたしに立ち向かうアラムの王とイスラエルの王の手から、わたしを救い出してください』」(7節)。

 アハブにとっては、イスラエルやアラムよりもアッシリアの方が恐ろしかったようである。いや、より本質的には、主なる神よりも目に見える人間を恐れ、主なる神よりも偶像を慕っていたと言えるかも知れない。

 事実、アハズ王は、ユダに「主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の忌むべき慣習」を取り入れ、「自分の子」を人身御供にさえするような王であった(3節)。更に、アッシリアの王に会うためにダマスコに行くと、そこにあった祭壇を見て(10節)、そっくり同じ物をエルサレムに造らせ(11節)、献げ物をするようなことまでした(12~13節)。アハブにとって、宗教は、自分の欲望を実現する手段に過ぎなかった。それ故、目に見える偶像に頼り、目に見える勢力に従うことをよしとした。

 しかし、それは結局のところ、自分で自分の首を絞める自殺行為であることに、アハブは全く気付いていなかった。確かにアッシリアは、イスラエルとアラムの脅威を取り除けてくれた(9節)。しかし、ユダ自身もアッシリアの攻撃を受けて苦しめられるようになってしまった(歴代誌下28章)。

 アハブ王の姿を見ていると、人間の愚かさの現実を改めて考えさせられる。人がいかに主なる神の御声に逆らう者であるかを思わされる。私達も他人事ではない。私達は主なる神の御声に聞き従って生きていると言えるだろうか。自分の内にある欲望や恐れが、主なる神の御声を打ち消してしまっていることはないだろうか。アハブの姿から自分のありようを顧みさせられる。

「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない」

 あなたは、この主なる神の御声にどう応えるだろうか。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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