聖書日課 列王記下15章(新共同訳 旧約pp.603-605)
ヤロブアム(二世)の時代における北イスラエル王国の繁栄は、主なる神の憐れみによるものであった。にもかかわらず、人々は目に見える繁栄に安住し、主なる神に心を向けることも自分達のあり方を正すこともなかった。
そのため、その後の北イスラエル王国は、次から次に王が代わり非常に不安定な状態となっていった。この15章には、謀反によって次から次へと王権が代わっていく様子が記されている。
「ユダの王アザルヤの治世第三十八年に、ヤロブアムの子ゼカルヤがサマリアでイスラエルの王となり、六か月間王位にあった。彼は先祖たちが行ったように主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を離れなかった」(8~9節)。
「ヤロブアムの子ゼカルヤ」は、王となって僅か「六か月」で、家臣の「謀反」によって殺害されてしまった(10節)。ところが、ゼカルヤを殺した「シャルム」も、たった「一か月」で、メナヘムの「謀反」によって「打ち殺」されてしまった(14節)。
メナヘムの治世は「十年」に及んだ(17節)。しかし、この時代に、アッシリアが勢力を拡大し、メナヘムは国を守るために「アッシリアの王」に「銀を貢」がなければならない状態に陥った(19~20節)。その後、「メナヘムの子ペカフヤ」が即位したが、彼も、「侍従」ペカの「謀反」によって殺害され(25節)、僅か「二年」でその治世は終わってしまった(23節)。
ペカの治世は「二十年」に及んだが(27節)、この時代に「アッシリアの王ティグラト・ピレセル」がイスラエルに「攻めて来て」、多くの町々を「占領し、その住民を捕囚としてアッシリアに連れ去った」(29節)。そして、そのペカも、またもや「謀反」によって殺害されてしまった(30節)。
目まぐるしいほどの王権交代、これはもう明らかに末期症状である。どうしてこのようなことになってしまったのか? 聖書ははっきりこう記している。
「彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を離れなかった」(9節、18節、24節、28節)。
混乱と衰退の原因はここにあった。王をはじめイスラエル中の人々が、この罪を犯し続けていた。しかし、彼らは自分達が滅びに向かっていることを全く見ようとしなかった。勿論、彼らには御言葉の約束と警告が与えられていた。にもかかわらず、彼らは御言葉に耳を傾けず、主なる神を軽んじ続けた。滅亡の日が刻一刻と近づいていた。
「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない」(ヘブライ人への手紙3章15節)。
西原新生バプテスト教会
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