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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エレミヤ書25章

聖書日課 エレミヤ書25章(新共同訳 旧約pp.1223-1225)

 本章には、バビロンの王ネブカドレツァルによるユダ王国滅亡の預言が記されている。「お前たちがわたしの声に聞き従わなかったので…ことごとく滅ぼし尽くさせる」と、滅亡の理由はユダの人々の罪であったとはっきり述べられている。

「それゆえ、万軍の主はこう言われる。お前たちがわたしの言葉に聞き従わなかったので、見よ、わたしはわたしの僕バビロンの王ネブカドレツァルに命じて、北の諸民族を動員させ、彼らにこの地とその住民、および周囲の民を襲わせ、ことごとく滅ぼし尽くさせる、と主は言われる。そこは人の驚くところ、嘲るところ、とこしえの廃虚となる。わたしは、そこから喜びの声、祝いの声、花婿の声、花嫁の声、挽き臼の音、ともし火の光を絶えさせる。この地は全く廃虚となり、人の驚くところとなる。これらの民はバビロンの王に七十年の間仕える」(8~11節)。

 興味深いのは、主なる神がネブカドレツァルを「わたしの僕」と呼んでいるところである。それは、主なる神が、彼をユダ王国の罪を裁く器として用いられたことを意味しているものと思われる。

 主なる神は、かつてイスラエルをご自分の「僕」と呼ばれた。それは、主なる神によって愛され、選ばれ、主なる神の栄光と祝福を世界にもたらすための器であった。しかし、彼らは主なる神に逆らい、その使命を果たさなかった。それ故、主なる神は、バビロンの王をご自分の「僕」とし、彼を用いてイスラエルの罪を裁かれた。

 主なる神はイスラエルだけの神ではなく、全世界を統べ治められる主である。或る人や或る国を用いて祝福をもたらそうとし、また、別の或る人や別の或る国を用いて罪を裁かれる。このようにして、主なる神は歴史の中に生きて働かれる。しかし、主なる神は特定の人や国を特別扱いすることは決してない。

「七十年が終わると、わたしは、バビロンの王とその民、またカルデア人の地をその罪のゆえに罰する、と主は言われる。そして、そこをとこしえに荒れ地とする」(12節)。

 主なる神の「僕」とされたイスラエルは、罪を犯して悔い改めることがなかったために、主なる神の裁きを受けて滅ぼされた。同様に、「わたしの僕」と呼ばれたバビロンの王とその国も、やがてその傲慢の罪の故に罰せられ滅んでいった。

 主なる神は罪に対して特別扱いをすることはない。それは、主なる神が人を決してえこひいきすることなく、全ての人を愛し、救おうと願っておられるのと同様である。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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