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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エレミヤ書26章

聖書日課 エレミヤ書26章(新共同訳 旧約pp.1225-1227)

 預言者は、主なる神から言葉を預かり、それを人々に伝える使命を授かった人である。イスラエルの歴史の中には多くの預言者が登場するが、エレミヤの時代にも沢山の預言者がいたようである。尤も、その中には偽預言者も多くいて、耳あたりの良いことを語っては人気を集めていた。

 しかし、真の預言者は主なる神の言葉を語る。それは、必ずしも人々を喜ばせることばかりではない。それどころか、人々にとって耳の痛いこと、聞きたくないことを語るのが預言者の役目と言えるかも知れない。何故なら、預言者は多くの場合、人々が主なる神から離れて罪に陥った時に、主なる神から遣わされるからである。

 だからこそ、預言者は、人々から非難され、迫害を受け、殺されることもあった。エレミヤと「全く同じような預言をしていた」「ウリヤ」も、「ヨヤキム王」の手によって殺された。そして、やがてエレミヤ自身も、殉教の死を遂げたと伝えられている。預言者とは、まさに命がけの使命である。

「主の名によって預言していた人がもうひとりいた。それは、キルヤト・エアリムの人、シェマヤの子ウリヤである。彼はこの都とこの国に対して、エレミヤの言葉と全く同じような預言をしていた。ヨヤキム王は、すべての武将と高官たちと共に彼の言葉を聞き、彼を殺そうとした。ウリヤはこれを聞いて、恐れ、逃れて、エジプトに行った。ヨヤキム王はアクボルの子エルナタンを、数人の者と共にエジプトに遣わした。ウリヤはエジプトから連れ戻され、ヨヤキム王の前に引き出された。王は彼を剣で撃ち、その死体を共同墓地へ捨てさせた。しかし、シャファンの子アヒカムはエレミヤを保護し、民の手に落ちて殺されることのないようにした」(20~24節)。

 新約時代、イエス・キリストの弟子達も沢山の迫害を受け、多くの人が殉教していった。勿論、彼らは何一つ死に値するようなことはしていなかった。彼らは、ただ福音を宣べ伝えていた。福音は、私達を救い、癒し、永遠の命に生かすものである。その救いが余りにも素晴らしく、深く大きな喜びに満ちていたからこそ、彼らは自分の命をかけてでも福音を伝え続けた。何故なら、福音は、主なる神の独り子イエス・キリストが、命をかけて私達を愛して下さっているという良き知らせだからである。

 今あなたにも、福音は届いているだろうか。そして、イエス・キリストの命がけの愛に包まれているだろうか。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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