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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 列王記下6章

聖書日課 列王記下6章(新共同訳 旧約pp.586-588)

「軍馬や戦車を持った」アラムの「軍隊」が、預言者エリシャの住む「町を包囲し」た(15節)。どうして、たった一人の預言者を討つために、わざわざ外国の大軍がやって来たのか?

 それは、アラムの王がイスラエルを討つための作戦を練ると、いつもそれがイスラエルの王に筒抜けになっていたからである(8~10節)。「我々の中のだれがイスラエルの王と通じているのか」と王が尋ねると(11節)、家臣の一人が、「だれも通じていません。わが主君、王よ、イスラエルには預言者エリシャがいて、あなたが寝室で話す言葉までイスラエルの王に知らせているのです」と答えた(12節)。そこで、アラムの王は、エリシャを「捕らえ」るために「夜中に」「軍馬、戦車、それに大軍を」「差し向け」、エリシャの住む「町を包囲した」(13~15節)。

 翌朝、エリシャの「召し使い」「外に出て見ると」、アラムの大軍が「町を包囲していた」。彼は大慌てでエリシャに報告した(15節)。するとエリシャは「恐れてはならない。わたしたちと共にいる者の方が、彼らと共にいる者より多い」と言った(16節)。そして、エリシャが「主よ、彼の目を開いて見えるようにしてください」「主に祈」ると、「主が従者の目を開かれた」。従者は「火の馬と戦車がエリシャを囲んで山に満ちているのを見た」(17節)。

 アラム軍よりも遥かに強い天の軍隊が、「エリシャを囲んで山に満ちてい」た。しかし、それは従者には見えていなかった。彼は目が不自由だったのだろうか。そうではない。霊の目、信仰の目が開かれていなかったのである。

 そのようなことが本当にあるのかと疑問に思う方もいるかも知れない。残念ながら、今のところ私も天の軍隊を見たことはない。しかし、私には分かる。主が私と共にいて下さることが。そして、私を守り導いて下さっていることが。信じるというのは、そういうことが分かる、感じる、見える世界が開かれるということだろう。

 私達は肉の目に見えるものによって慌てたり、恐れたりする。しかし、本当の問題は、肉の目が見ているものではなく、霊の目、信仰の目が開かれていないことにあるのではないか。主イエス・キリストは、今も、信じる私達と共にいて下さる。そして、私達が肉の目に見える世界に怯えることなく、霊の目、信仰の目によって見える世界に平安と希望を見出して生きるように守り導いて下さる。主の御言葉に信頼し、信仰の目が開かれるように、日々祈り求めたい。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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