聖書日課 列王記下13章(新共同訳 旧約pp.599-601)
神の人エリシャの死が間近に迫っていた。すると、イスラエルの王ヨアシュが、エリシャのもとに来て、彼の面前で泣きながらこう言った。
「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」(14節)。
ヨアシュは「ヨアハズの子」であり(10節)、イエフ王の孫である。どの王も皆、「ヤロブアムの罪から全く離れず」、「主の目に悪とされることを行い」続けた(11節)。そのような王が、何故今、預言者エリシャの死に際して、「わが父よ」と嘆き悲しむのか不思議な感じがする。散々親に反抗し続けた若者が、いざ親がいなくなると、その存在の大きさに気付いて嘆くのと同じような心境かも知れない。人間の心は実に複雑である。
しかし、そのようなヨアシュ王にエリシャは「弓を手にしなさい」と語りかけた(16節)。そして、「東側の窓を開け」させ、そこから「矢を射」させると、エリシャはヨアシュに言った。
「主の勝利の矢。アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを撃ち、滅ぼし尽くす」(17節)。
これは、ヨアシュに対する勝利の約束である。どんなに背き続けたとしても、主なる神は憐れみの御手を伸ばし続けられる。
更にエリシャは「地面を射なさい」と言った。すると、王は「三度地を射てやめた」(18節)。ところが、エリシャはこれに怒って言った。
「五度、六度と射るべきであった。そうすればあなたはアラムを撃って、滅ぼし尽くしたであろう。だが今となっては、三度しかアラムを撃ち破ることができない」(19節)。
ヨアシュの求めは実に中途半端なものであった。主なる神はイスラエルに完全な勝利を与えようとしておられたのに、ヨアシュには、それだけの信仰と献身の姿勢がなかったのである。人間に頼ろうとはしても、主なる神に頼り求めることを知らない者の愚かさと言えるだろう。
主なる神が「信じなさい」と言われる時、それは私達にとって〈信仰の挑戦〉の時となる。それは、決して無鉄砲な冒険などではない。私達を命懸けで愛し祝福して下さる主なる神に対する愛と信頼の応答である。「求めなさい」と主なる神は言われる。その約束に大胆に応える者でありたい。
「わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます」(エフェソの信徒への手紙3章12節)。
西原新生バプテスト教会
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