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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 列王記下5章

聖書日課 列王記下5章(新共同訳 旧約pp.583-585)

「アラムの王の軍司令官ナアマン」「重い皮膚病を患っていた」(1節)。「ナアマンの妻」には、イスラエル人の「少女」「召し使い」として仕えていたが(2節)、彼女は、主人が皮膚病で苦しんでいるのを聞くと、イスラエル預言者エリシャのところに行けば「その重い皮膚病をいやしてもらえる」と進言した(3節)。

 イスラエルと言えば、アラムにとって長年の敵国である。しかし、今は敵とか味方とか言ってはいられない。ナアマンは、早速アラムの王の許可を得て、イスラエルに向かった(4~6節)。

 ナアマン将軍が「数頭の馬と共に戦車に乗ってエリシャの家に来て、その入り口に立」つと(9節)、「エリシャは使いの者をやってこう言わせた」

ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります」(10節)。

 ところが、ナアマンはこの言葉を聞くと「怒ってそこを去」った。彼は、エリシャが「自ら出て来て」、ナアマンを迎え、「患部の上」「手」を当てて「皮膚病をいやしてくれるものと思っていた」(11節)。しかし、代わりに「使いの者」が来て、ヨルダン川に行って」「身を洗」うように言っただけだったことに腹を立てたのである。恐らく、ナアマンは、自分が思った通りにしてもらえなかったことが気に食わなかったのだろう。一国の将軍としてのプライドが赦さなかったのだろう。それで、「彼は身を翻して、憤慨しながら」その場を立ち去ってしまった(12節)。

 しかし、冷静になって考えてみれば、ナアマンには既にエリシャを通して主なる神からの約束の言葉が与えられていた。本当に必要なものは主なる神の言葉であった。後は、その主なる神の言葉に聞き従いさえすれば良かった。

 幸いなことに、ナアマンの「家来たち」がそのことに気付かせてくれた。それで、気を持ち直したナアマンが主の言葉の通りにすると、彼の病気は癒された。

「しかし、彼の家来たちが近づいて来ていさめた。『わが父よ、あの預言者が大変なことをあなたに命じたとしても、あなたはそのとおりなさったにちがいありません。あの預言者は、『身を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではありませんか。』ナアマンは神の人の言葉どおりに下って行って、ヨルダンに七度身を浸した。彼の体は元に戻り、小さい子供の体のようになり、清くなった」(13~14節)。

 私達にもないだろうか? 自分の思った通りに事が運ばないことに腹を立てたり、がっかりしたりしてしまうことが。そして、自分の見栄やプライドが、主なる神の言葉に聞き従うのを邪魔してしまうことが。必要なものは主なる神の言葉である。後は、主なる神に信頼して聞き従えば良い。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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