聖書日課 歴代誌下28章(新共同訳 旧約pp.706-707)
信仰深いヨタム王の子であるアハズが、「主の目にかなう正しいことを行わ」ず、偶像礼拝の道を歩むようになってしまった(1~4節)。信仰は、親の影響も大事だが、最後はやはり一人一人の決断による。
アハズ王の時代、ユダ王国は、アラムと北イスラエル王国をはじめとする多くの敵に囲まれていた(イザヤ書7章1~2節)。そのような中、アハズは、危機を乗り越えるために「援助を求めてアッシリアの王に使者を送った」(16節)。アッシリアは、当時急速に勢力を拡大しつつある最強国家だったからである。つまり、〈長い物には巻かれろ〉というのがアハズ王の考えだったようである。
ところが、アハズが頼りにしたアッシリアは、「アハズを援助するどころか」、ユダ王国に「攻めて来て、彼を苦しめた」(20節)。アハズが「差し出した」多くの貢納品は、「何の助けにもならなかった」のである(21節)。
しかし、アハズは、自分の愚かさに気付くことも、罪を悔い改めて主なる神に立ち帰ることもなかった。それどころか、彼は「自分を打った」アッシリアの「神々にいけにえをささげ」た。「アラムの王の神々は、王を助けている。その神々に、わたしもいけにえをささげよう。そうすればわたしも助けてくれるだろう」というのが理由であった。
「このアハズ王は、災難のさなかでも、なお主に背いた。彼は自分を打ったダマスコの神々にいけにえをささげ、『アラムの王の神々は、王を助けている。その神々に、わたしもいけにえをささげよう。そうすればわたしも助けてくれるだろう』と言った。しかし、その神々はアハズにとっても、すべてのイスラエルにとっても、破滅をもたらすものでしかなかった」(22~23節)。
結局アハズは、どこまで行っても目に見える力に頼るばかりだった。
しかし、このように不信仰な王や民を、主なる神はそれでも見捨てることはなかった。主なる神は「預言者」を遣わして、敵国に連れ去られた「捕虜」を助けた(9~15節)。また、主なる神を信頼し、「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない」と呼びかけられた(イザヤ書7章4節)。〈インマヌエル預言〉が与えられたのもこの時である(同13~17節)。まさに「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました」と言われている通りである(ローマの信徒への手紙5章20節)。主の恵みは何と深いことか。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな憐れみと愛の中に置いて下さっていること、御前に引き出して下さったことを心から感謝致します。
主よ、あなたは私の神です。順境の時も逆境の時も、あなたは私の神です。私を照らして下さる方、内側から支え、どんな時にも希望を注いで下さる方、間違った時には懲らしめ、正しい道に導いて下さる方です。
アハズの背信に、人の愚かさと暗闇の霊の力を見ます。主よ、どうか、これらの悪の力から私達を救い、あなただけを信頼する信仰を与え続けて下さい。
弱っておられる方、痛みの中にある方を支えて下さい。お一人お一人が苦しみの中であなたに出会うことが出来ますように。神ならぬ他のものを求めることがないよう、あなたご自身がお一人お一人を訪れて下さい。あなたの光を照らし、目には見えなくても確実なあなたの祝福の世界に生きる喜びを与えて下さい。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
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