「主の恵みによって」
私達は、どんなに上手く行っても、自分の手柄にしてはいけない。「主の恵みによって」と言わなければならない。「神に栄光を帰」することが危険を回避する最善の方法である。
「定められた日に、ヘロデが王の服を着けて座に着き、演説をすると、集まった人々は、『神の声だ。人間の声ではない』と叫び続けた。するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである。ヘロデは、蛆に食い荒らされて息絶えた」(使徒言行録12章22~23節)。
傲慢は私達を丸裸にする。主なる神の守りを失う。「蛆」という小さなものによっても滅ぼされてしまう。裕福になっても「自分の力と手の働きで、この富を築いた」と言ってはならない。
「わたしが今日命じる戒めと法と掟を守らず、あなたの神、主を忘れることのないように、注意しなさい。あなたが食べて満足し、立派な家を建てて住み、牛や羊が殖え、銀や金が増し、財産が豊かになって、心おごり、あなたの神、主を忘れることのないようにしなさい。主はあなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出し、炎の蛇とさそりのいる、水のない乾いた、広くて恐ろしい荒れ野を行かせ、硬い岩から水を湧き出させ、あなたの先祖が味わったことのないマナを荒れ野で食べさせてくださった。それは、あなたを苦しめて試し、ついには幸福にするためであった。あなたは、『自分の力と手の働きで、この富を築いた』などと考えてはならない。むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである」(申命記8章11~18節)。
「心おごり、あなたの神、主を忘れ」、「自分の力と手の働きで、この富を築いた」と言い出したら、その人には滅びが近づいている。
私達は「全ては主なる神の恵みです」と言う癖をつけるべきである。何についても「神に栄光を帰」していれば、傲慢という罠に陥らずに済む。人に対しては堂々としている必要があるが、主なる神に対しては「私は愚か者です。知恵のない者です。全てはあなたが祝福して下さったからです。ありがとうございます」と絶えず口にすべきである。
人間は弱いもので、物事が上手くいくと、必ず天狗になる。そして、自分では天狗になっているかどうか分からない。自分がどういう状態か、自分では分からなくなってしまわないためにも、いつも「主なる神のおかげです」と言うようにしよう。