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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 詩編63編

聖書日課 詩編63編(新共同訳 旧約pp.895-896)

 第63編は、ダビデが息子アブサロムの謀反によって「ユダの荒れ野」に逃げ去らざるを得なくなった出来事が背景になっているものと思われる。

「【賛歌。ダビデの詩。ダビデがユダの荒れ野にいたとき。】神よ、あなたはわたしの神。わたしはあなたを捜し求め/わたしの魂はあなたを渇き求めます。あなたを待って、わたしのからだは/乾ききった大地のように衰え/水のない地のように渇き果てています。今、わたしは聖所であなたを仰ぎ望み/あなたの力と栄えを見ています。あなたの慈しみは命にもまさる恵み。わたしの唇はあなたをほめたたえます。命のある限り、あなたをたたえ/手を高く上げ、御名によって祈ります」(1~5節)。

 人生の「荒れ野」でさまよい、「魂」「渇き」「からだ」も、「乾ききった大地のように衰え、水のない地のように渇き果て」しまう。しかし、このように何もかもが不自由で困難な「荒れ野」において、ダビデは、なお主なる神を「仰ぎ望み」、主なる神に祈り、主なる神と交わる自由を失うことはなかった。

 都の美しい神殿とは懸け離れた「荒れ野」であっても、主なる神と交わる場は「聖所」と呼ぶに相応しい所となる。その「聖所」で、ダビデは再び主なる神の「力」と栄光を仰ぎ見、そこから新しい希望と「賛美」と力が湧き上がってきた。

「わたしの魂は満ち足りました/乳と髄のもてなしを受けたように。わたしの唇は喜びの歌をうたい/わたしの口は賛美の声をあげます。床に就くときにも御名を唱え/あなたへの祈りを口ずさんで夜を過ごします。あなたは必ずわたしを助けてくださいます。あなたの翼の陰でわたしは喜び歌います。わたしの魂はあなたに付き従い/あなたは右の御手でわたしを支えてくださいます」(6~9節)。

 人生の「荒れ野」の中で、「魂」「満ち足り」「喜びの歌をうたい」「賛美の声をあげ」る。それは、ダビデが、弱さの中で主なる神を「捜し求め」、すがりつくように祈る中で主なる神の「恵み」「慈しみ」を体験し、主なる神の「慈しみ」と恵み深さを改めて確信する出来事であったに違いない。そして、ダビデが体験し確信した主なる神は、今私達と共におられる。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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