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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エゼキエル書19章

聖書日課 エゼキエル書19章(新共同訳 旧約pp.1322-1324)

 本章は、ユダ王国の王と王国の滅びについて歌われた「悲しみの歌」である。

「若獅子」とは(2節)、ヨシヤ王の子ヨアハズであろうと言われている。彼は父ヨシヤの信仰を捨て、偶像礼拝を取り入れて悪政を重ねたためにエジプトに捕らわれて行った。また、もう一頭の「若獅子」は(5節)、ヨヤキム王のことと思われる。彼もまた、主に聞き従うことなく悪の道を歩んだために、バビロンに捕らえられて行った。

 10節からは、神の民イスラエルが、「ぶどうの木」に喩えられている。主なる神によって選ばれ、神の民となったイスラエルは、主なる神の恵みと祝福の下ですくすくと成長発展し、豊かで偉大な国となった。ところが、富と力を持った彼らは、間もなく傲慢になって主なる神から離れ、選びの民としての使命を忘れて自分勝手な道を歩み始めた。それ故、彼らは主なる神の恵みと祝福を失い、遂に滅びることになってしまった。

「怒りによって、木は引き抜かれ/地に投げ捨てられた。東風はその実を枯らし/強い枝はもぎ取られて枯れ/火がそれを焼き尽くした。今や、その木は/荒れ野に、乾いた水なき地に/移し植えられた。また、若枝の茂る太い枝から/火が出て、実を焼き尽くした。それゆえ、この木には/支配者の杖となる強い枝はなくなった。この歌は悲しみの歌。悲しみの歌としてうたわれた」(12~14節)。

 主なる神の選びは素晴らしい祝福であり特権である。しかし、それは決して特別扱いや依怙贔屓ではない。選びには大事な使命がある。即ち、彼らは主なる神の救いと祝福を全世界にもたらすためにこそ選ばれた。その使命を忘れて、彼らは主なる神と隣人に仕えることをせず、自分のためだけに生きるようになってしまった。そればかりか、彼らは主なる神に敵対して、偶像を拝み仕えた。そこに、彼らの滅びの理由があった。

 イスラエルが選ばれたのは、彼らが優れていたからではなく、美しかったからでもない。いや、寧ろ彼らは「どの民よりも貧弱であった」(申命記7章7節)。このように、主なる神は、この世では弱い者、愚かな者、小さな者、取るに足りない者を選ばれる(コリントの信徒への手紙一1章26節以下)。それは、この世で強い者、知恵ある者、地位のある者を辱めるためであり、「だれ一人、神の前で誇ることがないようにするため」である。そして、主なる神は、そのような愚かな者、小さな者を用いてご自分の栄光を現して下さる。

「わたしはあなたを国々の光とし/わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする」(イザヤ書49章6節)。

 この素晴らしい恵みと祝福の使命を決して忘れてはならない。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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