聖書日課 ヨハネの黙示録1章(新共同訳 新約pp.452-453)
ヨハネの黙示録は、「イエス・キリストの黙示」(1節)という言葉をもって書き始められている。本書がイエス・キリストに焦点を当てていることから、これは、イエス・キリスト〈からの〉黙示であると共に、イエス・キリスト〈についての〉黙示と言えるだろう。
「イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである」(1~3節)。
「黙示」と訳されているギリシア語は、「覆いを取り除く」という意味である。真理を伝えるという意味では〈啓示〉であるが、幻をもって明らかにするという点から〈黙示〉と言われている。黙示的な文書が著されるのは、自分の考えや思想を自由に語ったり、ストレートに表現出来ない時代、つまり迫害の時代である。ヨハネにこの黙示が与えられたのも、ローマ帝国による激しい迫害の時代である。「わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた」と記されているように(9節)、この時ヨハネは流刑の身であった。
信仰の故に投獄されたり、殺されるキリスト者が数多くいた。彼らは、イエス・キリストの再臨を熱心に待ち望んでいた。しかし、昇天から何十年も経っているのに、再臨はまだ実現していなかった。そのため、動揺する人が出てきた。ヨハネは、「アジア州にある七つの教会」(4節)を勇気づけ、しっかりと信仰に立たせるために、本書を記した。
全てを支配しているのは、ローマ皇帝ではなくイエス・キリストである。イエス・キリストこそ歴史の主であられる。そして、イエス・キリストは神の国(支配)を完成させるために必ず来られる。だから、キリスト者には輝かしい未来が待っている。また、その間も、イエス・キリストはご自分の民を決して忘れてはおられない。主の愛と配慮は尽きることがない。そのことをヨハネは伝えようとした。
ヨハネの黙示録は、終末に関する預言の書として注目や関心を寄せられることが多い。そのため、怖がられたり難解な書として受け取られることがある。しかし、本書は「イエス・キリストの黙示」であり、その主題はイエス・キリストである。本書は、イエス・キリストを中心に展開され、イエス・キリストが「かつておられ、やがて来られる方」(4節)、「証人、誠実な方」、「死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者」(5節)、「わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方」(6節)であることを証しし、試練や苦しみの中にあるキリスト者を励ます書である。私達もこの書からイエス・キリストについて教えていただこう。
西原新生バプテスト教会
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