ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ヨハネの黙示録19章

聖書日課 ヨハネの黙示録19章(新共同訳 新約pp.475-476)

 大淫婦バビロンが滅亡したことにより、天においては「大群衆の大声のようなもの」による主なる神への讃美が起こった(1~5節)。また、「小羊」イエス・キリスト「花嫁」である教会の「婚礼の日が来」たことが宣言され、天において再び讃美が起こった。

「わたしはまた、大群衆の声のようなもの、多くの水のとどろきや、激しい雷のようなものが、こう言うのを聞いた。『ハレルヤ、全能者であり、わたしたちの神である主が王となられた。わたしたちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた。花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた。この麻の衣とは、聖なる者たちの正しい行いである』」(6~8節)。

 いよいよイエス・キリストの再臨の時がやって来た。イエス・キリストの再臨は、キリスト信仰の目標であり希望である。キリスト者は、主の再臨を信じ、期待することによって、現在の艱難、苦難を乗り越える力を得ることが出来る。キリスト信仰は、それによって正しく生きることが出来るとか、人のために尽くすことが出来るというような倫理が目的の全てではない。信仰の目標は、神の国と神の義を求めていくことであり、そこから倫理が生まれてくる。

 しかし、その倫理は神の国の倫理なので、この世では理解されないことがある。ローマ帝国によって教会が迫害されたのはそのためである。日本でも同じ理由でキリスト教は批判されてきた。

 その一方で、神の国の倫理は信仰の力であり証しにもなった。ローマ帝国の迫害によって殉教していった人々が、苦しみの中で主なる神をほめたたえたことが伝えられている。このことは当時の人々にとって、とても理解出来ないことであったに違いない。しかし、色々な問題が起きた時に、なおそこで主なる神を讃美することが出来るというところに、キリスト信仰の力と証しがある。

 このように、キリスト信仰は、イエス・キリストの再臨に焦点を合わせていくものであり、主の再臨を抜きにしては、キリスト信仰は有り得ない。

 今、私達の信仰の焦点は、どこに当てられているだろうか。目に見えるものや状況に焦点を当てるのではなく、主の再臨に信仰の焦点を合わせ、再臨の主イエス・キリストに目を向けることによって、苦しみの中でも讃美を、困難の中でも喜びを失わずに歩むことが出来る。

「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである」(ヘブライ人への手紙12章2節、口語訳)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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