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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 ローマの信徒への手紙2章

聖書日課 ローマの信徒への手紙2章(新共同訳 新約pp.274-276)

「すべて悪を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、苦しみと悩みが下り、すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます」(9~10節)。

 この手紙はローマにいるキリスト者に宛てられたものである。ここでパウロは、特にユダヤ人に対して厳しく語っている。当時キリスト教ユダヤ教の一派と考えられていた。そのこともあり、ユダヤ教キリスト教の違いをめぐって、教会の内外に様々な問題があったことを意識して語られたものと思われる。

 ユダヤ人は、自分達が主なる神に選ばれた民族であり、割礼をその印とし、律法が与えられていることに誇りを持っていた。しかし、彼らは、選ばれたことや、割礼や律法を持っていることだけに満足し、それを守り行って生きることや、選ばれた者としての使命を果たすことを怠っていた。そして、自分達は特別だと高ぶり、律法を持たない異邦人を軽蔑し裁いていた。

 そのような彼らに対し、パウロは、「神は人を分け隔てなさいません」(11節)と断言した。これは、私達には当然と思われることだが、ユダヤ人にとっては、とんでもない冒瀆の言葉に聞こえたに違いない。これは、宗教や信仰が形式化し、外面だけに捉われるようになる時に起こってくる問題で、昔も今もあらゆる信仰に起こり得る間違いである。

 そういう意味で、教会もキリスト者も、気をつけないと、同じ問題に陥る危険性がある。キリスト者も、礼拝に出席することや、献金を献げていることに満足し、それで良しとしてはいないか。

 勿論、礼拝も献金も奉仕も伝道も、皆大切である。しかし、何よりも大切なのは、私達が主なる神の御前に謙り、交わりを持ち、その御声に聴き従っているかどうかである。形式だけなら、信仰がなくても出来る。信仰は、形式ではなく、主なる神との交わりの中に生き、主なる神の御声に聴き従って歩む実質である。

 ユダヤ人の問題は、そういう信仰の実質を失っていたことにあった。では、私達は今、その実質を理解し、その実質の中に生きているだろうか。そのことが改めて問われている。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町字内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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