ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 ゼカリヤ書5章

聖書日課 ゼカリヤ書5章(新共同訳 旧約pp.1484-1485)

 本章には2つの幻が記されている。その一つは〈空飛ぶ巻物の幻〉(1~4節)である。巻物の「長さは二十アンマ、幅は十アンマ」(約9mと約4.5m)で(2節)、その上には、盗人や偽って誓う者を一掃するための呪いが記されていた(3節)。これは、律法を破る者は、律法によって裁かれ滅ぼされるという警告であり、神の民から罪を取り除くという約束でもある。

 もう一つの幻は〈エファ升の中の女の幻〉(5~11節)である。エファ升は物を量る籠で、その中の女は罪の象徴である。その升がシンアル(バビロンのあった地方)に運び去られるというのは(11節)、罪を犯す者が組織全体と共に取り除かれてしまうことを意味した。因みに、バビロンは偶像礼拝の地であり、罪が滅ぼされる場所として相応しい所であった。

 この時、イスラエルの民は、神殿を再建しようとしていた。神殿は主なる神の臨在の場であり、その再建は礼拝の再建、信仰の確立を意味していた。それ故、神殿再建は、建物さえ建て上がればよいというものではなく、何よりもまず、彼らの中から罪が取り除かれることが必要であった。そこで、主なる神は、この二つの幻によって、罪は必ず一掃され、滅ぼし尽くされることを約束して下さった。

 罪は、謝ればなくなるというものではない。また、自分の力で全ての罪を取り除くことは人間には出来ない。主なる神に取り除いていただく以外に、私達が真に罪とその力から解放される道はない。

 やがて、この幻が真の意味で実現される日がやって来た。主なる神の御子イエス・キリストが、十字架の上で全ての人の罪を背負って命を投げ捨てて下さった。主イエス・キリストの故に、私達の全ての罪は赦されており、私達はあらゆる罪とその力から解放されて、主なる神の恵みと愛の中に自由に生きる者とされている。この自由を日々味わい、喜びと感謝に溢れて生きる者でありたいと思う。