ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 ゼカリヤ書4章

聖書日課 ゼカリヤ書4章(新共同訳 旧約pp.1483-1484)

 ゼカリヤが見た5番目の幻は、ゼルバベルに関するものである。ゼルバベルはイスラエルの総督として立てられた人物で、ダビデの血筋を引く実質上の王である。神殿の再建は、総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアという2人のリーダーの指導の下で行われた。第4の幻(3章)は大祭司ヨシュアへの励ましであったが、この第5の幻では総督ゼルバベルへの励ましの言葉が述べられている。

 幻の中で、ゼカリヤは金で出来た燭台を見ていた。その燭台には、7つのともし火皿が付けられており、各々のともし火皿には7つの管が付いていた(2節)。そして、燭台の右と左に2本のオリーブの木があり(3節)、そこから管を通って常に油が注がれていた。

 しかし、ゼカリヤにはそれが何を意味するのか分からなかった。そこで「主よ、これは何でしょうか」と問いかけると(4節)、主は答えて言われた。

「これがゼルバベルに向けられた主の言葉である。武力によらず、権力によらず/ただわが霊によって、と万軍の主は言われる。大いなる山よ、お前は何者か/ゼルバベルの前では平らにされる。彼が親石を取り出せば/見事、見事と叫びがあがる」(6~7節)

「武力によらず、権力によらず/ただわが霊によって」とは、一言で言えば、人間の力によらず、ただ主なる神の力によって事は成るということである。ゼルバベルがなそうとしている神殿再建事業は、困難の多い大事業であり、人間的な見方によれば、彼らの力量を超える「大いなる山」(7節)のように思われた。

 しかし、神殿の再建は、主なる神の約束であり、主なる神の霊によって成し遂げられるべき信仰の事業である。それ故、「大いなる山」も「ゼルバベルの前では平らにされる」。そして、主は更にこう約束された。

「ゼルバベルの手がこの家の基を据えた。彼自身の手がそれを完成するであろう。こうして、あなたは万軍の主がわたしを/あなたたちに遣わされたことを知るようになる」(9節)

 宣教も、教会も、人生も、神の民の歩みの全ては信仰によるものであり、決して人間のヴィジョンや力によるものではない。そこには、主なる神の約束への深い信頼と、主なる神の霊の導きに対する従順が必要である。主なる神は、私達の信仰と従順を通して、必ず御業を完成して下さる。「大いなる山」も必ず「平らにされる」。