聖書日課 エフェソの信徒への手紙1章(新共同訳 新約pp.352-353)
エフェソの信徒への手紙は、教会について語られていると言われる。しかし、読んでみて気付くのは、「教会」よりも、「キリスト・イエス」「主イエス・キリスト」「キリスト」という言葉の方が遥かに多く記されていることである。1章の中だけでも、20回以上出てくる。しかし、それは当然のことである。教会とは、「キリストの体」であり、キリストの「満ちておられる」場だからである。
「神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です」(22~23節)。
とはいえ、イエス・キリストは、私達の目で見ることも、手で触れることも出来ない。見えるのは、教会の建物であり、そこに集まる人々である。それ故、イエス・キリストよりも人間や建物に意識が向かうことが多い。そのために、多くのキリスト者が躓いたり、不平不満に陥ったりしている。
しかし、「見えるものに対する希望は希望ではありません」(ローマの信徒への手紙8章24節)とパウロも述べているように、キリスト者は見えないものに希望を置く信仰に生きる者であることを忘れてはならない。つまり、躓きや不平不満は、信仰の基盤の揺らぎから生じてくるものである。
それ故、パウロはこう祈った。
「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように」(17~19節)。
私達は、御言葉と聖霊によって「心の目」が開かれ、主なる神をより「深く知ること」が何よりも大切である。そして、「神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか」、「わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか」を悟り、確信することによって、揺るぎない信仰の基盤を築くことが出来る。
西原新生バプテスト教会
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