聖書日課 ヨエル書4章(新共同訳 旧約pp.1425-1427)
ヨエル書の主題は〈主の日〉である。最終章である本章では、「その日、その時」(1節)何が起こるのかが改めて語られている。その日は、「ユダとエルサレム」即ち神の民が「繁栄を回復する」日であり(1節)、また神の民を苦しめてきた「諸国の民」が裁かれる日である(2節)。主の日とは、まさにこのような日であり、ヨエルは、そのような日、そのような時が必ずやって来ることを伝えた預言者である。
問題や苦難が立ちはだかる時、私達は忽ち目の前が真暗になり、気落ちしたり、自棄になったり、怒ったり、不平不満をぶちまけたりしてしまうことがないだろうか。
そのような時、私達は、本当のところ、そこに共におられる主なる神に向き合っていない。勿論、クリスチャンであるならば、主なる神が共におられるということを知ってはいるだろう。そして、確かに主なる神は、私達と共におられる。しかし、私達がどのようなことでも主なる神に聞き従う心で主なる神の御前にひれ伏すことがなければ、主なる神の助けも祝福も得ることは出来ない。
この時、イスラエルの人々は、まさにそういう状態に陥っていた。そして、そのような彼らに向かって、ヨエルは「主の日は来る! 主なる神はきっと来る! 必ず来る!」と語り続けた。
信仰とは、この約束、この語りかけに信頼して待つことである。たとえ眼前には問題や苦しみが立ちはだかっていたとしても、やがて必ず主の日が来ることを信じて、どこまでも希望を失わずに待ち望んで生きること、それが信仰である。
では、どうすれば私達はこのような信仰に立つことが出来るだろうか。
「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマの信徒への手紙10章17節)
心を静めて主の御言葉に聞き入ること、それが、気落ちしたり、怒ったり、慌てたり、不平不満で一杯になった私達にとって最も必要なことである。