ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 ハバクク書2章

聖書日課 ハバクク書2章(新共同訳 旧約pp.1465-1467)

 ハバククは、神の民の中に暴虐と不法が蔓延っていることを主なる神に訴えた。すると、主なる神は、カルデア人によって神の民イスラエルの罪を裁くと言われた。ところが、この答えを聞くと、ハバククは更に激しく主なる神に訴えた。何故主なる神は、カルデア人のような悪者を用いて神の民を裁くようなことをするのか。カルデア人よりも、自分達の方がまだましではないかと(1章)。

 この時、ハバククの基準は、いつも自分自身にあった。そのため、ハバククは自分の考える正義を主なる神に押し付け、不満と怒りを主なる神に向かってぶつけていた。

 しかし、ハバククは、その答えをどこまでも主なる神から得ようと待ち望んだ(2章1節)。そのようなハバククに、主なる神は答えを下さった。

「主はわたしに答えて、言われた。『幻を書き記せ。走りながらでも読めるように/板の上にはっきりと記せ。定められた時のために/もうひとつの幻があるからだ。それは終わりの時に向かって急ぐ。人を欺くことはない。たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる。』」(2~4節)

 主なる神は必ず全ての罪と悪を裁かれる。そのために時を定めておられる。たとえ人間には遅く思われても、「それは必ず来る、遅れることはない」。だから「待っておれ」と主なる神は言われた。

 たとえ主なる神がカルデア人を用いてイスラエルを裁いたとしても、それはカルデア人が正しいからではない。彼らは「高慢な者」であり、主なる神は彼らの高慢の罪を必ず裁かれる。その主なる神にどこまでも信頼し、主なる神が定められた時をひたすら待ち望みつつまっすぐに生きる、それが「信仰によって生きる」ということである。

 あなたは、目に見える現実に苛々したり、ジタバタしたりしてはいないだろうか。また、性急に自分の基準で物事を判断し、裁いたり、文句を言ったり、不平不満をぶつけたりしてはいないだろうか。主なる神に信頼し、裁きを主なる神の御心に委ね、心と思いを主なる神の平安によって満たされ守られることが必要ではないだろうか。