ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 アモス書1章

聖書日課 アモス書1章(新共同訳 旧約pp.1428-1429)

 テコアの牧者であったアモスが預言活動を行ったのは、ユダの王ウジヤとイスラエルの王ヤロブアム2世の時代で、紀元前760~750年頃であったと言われている(1節)。

 本書の1~2章には、8つの諸国民に対する審判が宣告されている。それらの宣告の特徴は、「主はこう言われる。~の三つの罪、四つの罪のゆえに/わたしは決して赦さない」という定型句によって始まっているところにある。

「三つの罪、四つの罪のゆえに」というのは、文字通り3つ或いは4つを意味するのではなく、数量が満杯であることを意味する慣用的表現である。つまり、それまで主なる神は、諸国民の罪に対して長い間忍耐しておられた。ところが、人々は一向に罪を悔い改めなかった。それどころか、なかなか裁きが訪れないことをいいことに、人々はいつまでも罪を犯し続けていたのである。

 しかし、主なる神は決して侮られる御方ではない。最後には必ず罪を裁かれる。そして、とうとうその時がやって来ようとしていた。その意味で、このアモスの言葉は主なる神の最期通告と言うことが出来るかも知れない。

 私達はここから2つのことを学ぶことが出来る。一つは、私達が何とか裁かれないように、主なる神は最後の最後まで、私達に向かって警告の言葉をかけ続けておられるということである。ここに主なる神の愛と忍耐が現されている。この愛と忍耐の故に、私達は猶予され、赦され、救われたのである。

 しかし、それと共に、私達はもう一つのことを心に留めなければならない。それは、裁きの時は必ずやって来るということである。主なる神は決して罪を放ったままにしておかれない。私達がいつまでも罪を悔い改めようとしない時、断固として裁きの手を下される。

 だから、決して罪を軽く見てはいけない。断じて主なる神を侮るようなことがあってはならない。主なる神を畏れ、敬い、信頼し、聞き従って生きることが、何よりも大切である。