聖書日課 エゼキエル書33章(新共同訳 旧約pp.1349-1352)
本章には「見張りの務め」という見出しが付けられている。「見張り」とは、主なる神が遣わす預言者であり、預言者の務めは人々に「警告」を与えることであると言われている。
「主の言葉がわたしに臨んだ。『人の子よ、あなたの同胞に語りかけ、彼らに言いなさい。わたしがある国に向かって剣を送るとき、その国の民は彼らの中から一人の人を選んで見張りとする。彼は剣が国に向かって臨むのを見ると、角笛を吹き鳴らして民に警告する』」(1~3節)。
主なる神は罪を裁かれる。しかし、主なる神は、裁きの手を下す前に必ず「警告」をお与えになる。何故なら、主なる神は罪人をなお愛して下さり、「悪人」の滅びを決して喜んではおられないからである。
「彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか」(11節)。
これが主なる神の御心である。或いは、主なる神の本音の叫びと言ってもいいかも知れない。主なる神は、悪に陥って滅びようとしている人が、「悪しき道から」「立ち帰って生きること」を強く願い、呼びかけておられる。
そのためにこそ、主なる神は預言者をお遣わしになった。つまり、預言者とは、悪人に向かって、主なる神の熱い思いを伝える者である。
今この預言者の務めは、教会とキリスト者一人一人に受け継がれている。主イエス・キリストの十字架による救いと恵みをいただいている私達は、その救いの喜びと豊かな恵みを、他の人にも伝える使命が与えられている。
父なる神は、罪の道を歩んでいた私達を、なお愛し、なお赦して、永遠の救いと祝福を与えるために、御自分の独り子を遣わし、私達の身代わりとして十字架にかけて下さった!
最愛の者をも差し出すほどの、激しく、深く、大きな愛。そのような愛に包まれ、守られ、満たされた喜びを全ての人に伝えていくこと、それが私達に与えられている使命である。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの温かな御心によって包み、御前に引き寄せ、祈りを与えて下さることを心から感謝致します。
主よ、今日も御前に罪を告白します。どうか、この心と行動の汚れをお赦し下さい。あなたの十字架の御血によって清め、新たに生かして下さいますよう、心からお願い申し上げます。
罪を赦されたあなたの子供として、尊厳に満ち、また、謙遜に満ちて、悔い改めながら毎日を生活することが出来るよう、助け導いて下さい。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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