聖書日課 エゼキエル書24章(新共同訳 旧約pp.1334-1335)
24章で、エゼキエルは、エルサレムを「鍋」に喩えて預言している。どんなに豪華な食材を入れて煮込んでも、「錆」がこびり付いている「鍋」では、使い物にならないと言われている。
「それゆえ、主なる神はこう言われる。災いだ、流血の都よ。錆のついた鍋、その錆は取り除きえない。肉を一切れ一切れ取り出せ。くじがそのために引かれることはない」(6節)。
「鍋」のような形をした堅固な都エルサレム、そこには主の神殿があり、かつては世界中で最も栄えた。しかし、その栄光の町も今は「錆」に覆われて、何の役にも立たないものとなってしまった。
「錆」は罪の喩えである。どんなに美しく素晴らしい町も、罪が蔓延ると「流血の都」と化してしまう。どんなに優秀な才能も、罪のために台無しにされてしまう。どんなに麗しい家族も、罪が入れば、ずたずたに切り裂かれてしまう。
主なる神はエルサレムに向かって言われた。
「『不貞によってお前が汚れたので、わたしは清めようとしたが、お前は汚れから清くならなかった。わたしが憤りを晴らすまでは、清くなることは決してない。主なるわたしが語ったのだ。それは実現する。わたしがそれを行う。わたしはそれをやめず、惜しまず、憐れみもしない。お前の道と行いに従って、お前は裁かれる』と主なる神は言われる」(13~14節)。
再三にわたる主なる神の警告にもかかわらず、人々は罪を悔い改めず、主なる神に聞き従おうとしなかった。それ故、遂に主なる神の裁きが下された。それによって、エルサレムが「清め」られるために。
しかし今、主なる神は、罪に対する憤りと裁きの全てをあの十字架の上に注ぎ尽くして下さった。それによって、私達の全ての罪を赦し、全ての汚れを清めるために。だから今、私達は、ただ主なる神の御前に謙り、感謝と喜びをもって主の赦しと清めをいただくことが出来る。
この主なる神からいただいた恵みを決して無駄にすることがないように。
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と慈しみに包み、御前に引き寄せて下さったことを、心から感謝致します。
主よ、愛と慈しみに満ちておられるあなたに、裁きという苦しい決断をさせたのは私達の罪です。あなたの御心を引き裂いたのは、この私です。
今日も、古の預言者、代々の聖徒と共にあなたの御前にひれ伏し、罪を悔います。どうかお赦し下さい。
主よ、あなたの十字架の血によって清められ、罪に支配されずに毎日を過ごすことが出来るよう、この心を新たにして下さい。
心から感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス