聖書日課 イザヤ書14章(新共同訳 旧約pp.1081-1084)
14章は、前章に続いて「バビロン」に対する裁きと滅亡がテーマとなっているが、バビロンだけでなく、「アッシリア」への裁き、反アッシリア同盟を組んでユダを苦しめた「ペリシテ」に対する警告も同時に述べられている。
要するに、主なる神に敵対する国は悉く裁かれていく。それは主なる神に選ばれたイスラエルも同じで、彼らも高ぶって主なる神とその掟を捨てたため、主なる神の裁きを受けることになった。
しかし、それと共に忘れてはならないのは、イスラエルは主なる神を裏切ったとしても、主なる神は神の民を捨てたままにはしておかれないということである。人は裏切っても、主なる神は決して約束を違えることはない。
「まことに、主はヤコブを憐れみ/再びイスラエルを選び/彼らの土地に置いてくださる。寄留の民は彼らに加わり/ヤコブの家に結び付く。もろもろの民は、彼らをその土地に連れて来るが、イスラエルの家は、主の土地で、もろもろの民を男女の奴隷にして自分のものとする。かつて、彼らを捕囚とした者が、かえって彼らの捕囚となり、かつて、彼らを虐げた者が彼らに支配される」(1~2節)。
この預言は、バビロン捕囚から解放された神の民が、再び約束の地カナンに帰って来ることを述べたものである。「神の賜物と招きとは取り消されないものなのです」とパウロが言ったように(ローマの信徒への手紙11章29節)、主なる神の「選び」は、決して取り消されることはない。それ故、暫くの苦しみの後、主なる神は「再び」イスラエルの民を回復された。
この預言は、イザヤが語った約200年後に確かに実現した。そして、その後も歴史の中でイスラエルは何度も苦難を通過したが、現代に至るまで、神の民は確かに残され、保たれている。私達は、このような歴史の背後に目に見えない主なる神の御計画と真実な愛を見ることが出来る。何故なら、この目に見える世界は、目に見えない主なる神によって保たれ、支配されているのだから。
「御怒りによって彼らを絶やし/絶やして、ひとりも残さないでください。そのとき、人は知るでしょう/神はヤコブを支配する方/地の果てまでも支配する方であることを」(詩編59編14節)。
祈り
天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな憐れみの中に置いて、御前に引き寄せて下さったことを、心から感謝致します。
主よ、あなたの救いの計画、恵みのお約束は何と確実で、力強いことでしょう。罪を犯してはならないと分かっていても罪に陥る、この惨めな者をあなたは握って下さっています。
主よ、あなたの圧倒的な恵みのご計画、そのお約束によって、私達一人一人を握り、導いて下さい。罪の中に陥り、自己嫌悪と絶望の中に苦しむ者一人一人にあなたの十字架の血潮を注ぎ、清め、礼拝者として生かして下さい。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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