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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エゼキエル書32章

聖書日課 エゼキエル書32章(新共同訳 旧約pp.1347-1349)

 本章もエジプトの裁きに関する預言である。前半の1~16節では、「エジプトの王ファラオ」に対する「嘆きの歌」が、後半の17~32節では、「エジプトとその貴族たち」が滅ぼされて「地の低い所に下」ると宣告されている。

「わたしはエジプトの地を荒廃させ/その地を満たしているものを荒れるにまかせる。わたしがそこに住むすべての者を撃つとき/彼らは、わたしが主であることを知るようになる」(15節)。

 自分達は誰よりも美しいと思っていたエジプトが、そして、多くの国々に恐れられるほどの軍勢を誇っていたエジプトが「荒廃させ」られるのは何のためだろうか。それは、「わたしがそこに住むすべての者を撃つとき/彼らは、わたしが主であることを知るようになる」と言われているように、イスラエルの主こそが真の神であることを彼らが知り、認め、畏れるようになるためである。

 全ての人にとって最も重要なことは何か。それは、私達の造り主なる神を知り、畏れ、主と共に生きることである。主なる神はこのことを教えるために、預言者を送り、御言葉を与え、様々な出来事を通して語り続けておられる。そして、もしこの大切なことを妨げるものがあるならば、主なる神はそれらのもの一切を打ち砕いて取り除かれる。

 エジプトは自分達の力を誇り、自分達の美しさに自惚れていた。確かに彼らは美しく、その力は多くの国々に恐れられるほど大きく強いものだった。しかし、彼らの誇りは、主なる神を知り、畏れ、敬うことを妨げていた。それ故、主なる神は彼らの誇りを打ち砕き、「彼らを地の低い所に下らせ」た(18節)。

 21節以降には、かつてその力の故に恐れられていた国々の名前が列挙され、こう言われている。

「…彼らの墓はその周りにある。彼らは皆、剣で殺され、倒れた者/割礼のない者で、地の最も低い所に下って行く。生ける者の地で恐れられていたが/穴に下る者と共に恥を負う」(24節)。

 まさに〈驕れる者も久しからず〉、主なる神を畏れ敬うことを知らない者の行く末は皆このようである。

「我々は主を知ろう。主を知ることを追い求めよう。主は曙の光のように必ず現れ/降り注ぐ雨のように/大地を潤す春雨のように/我々を訪れてくださる」(ホセア書6章3節)。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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