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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 イザヤ書4章

聖書日課 イザヤ書4章(新共同訳 旧約p.1066)

 新共同訳で4章は「エルサレムの将来の栄光」という見出しが付けられている。

エルサレムの将来の「栄光」…しかし、そこに至るまでにエルサレムは、実に何度も何度も罪と「汚れ」による恥辱の日々を通らなければならなかった。では、その汚れを「洗い」「清め」たものとは何か。イザヤは、はっきりこう語っている。

「その日には、イスラエルの生き残った者にとって主の若枝は麗しさとなり、栄光となる。この地の結んだ実は誇りとなり、輝きとなる。そしてシオンの残りの者、エルサレムの残された者は、聖なる者と呼ばれる。彼らはすべて、エルサレムで命を得る者として書き記されている。主は必ず、裁きの霊と焼き尽くす霊をもってシオンの娘たちの汚れを洗い、エルサレムの血をその中からすすぎ清めてくださる。主は、昼のためには雲、夜のためには煙と燃えて輝く火を造って、シオンの山の全域とそこで行われる集会を覆われる。それはそのすべてを覆う栄光に満ちた天蓋となる。昼の暑さを防ぐ陰、嵐と雨を避ける隠れ場として、仮庵が建てられる」(2~6節)。

 罪と「汚れ」は主なる神の「裁き」によって「洗い」「清め」られる。

 出エジプト記の時代、イスラエルの民が荒れ野で罪に陥った時、主なる神は疫病による裁きをもって彼らを清められた。士師記の時代、神の民が偶像礼拝の罪に陥る度に、主なる神は外国による侵略と征服という裁きによって彼らを苦しめ、清められた。そして、列王記の最後の時代には、主なる神はバビロン捕囚という裁きをもって、神の民を懲らしめ、清め、回復された。

 それ故、苦難が襲い掛かって来た時は、次の御言葉を心に留めよう。

「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい」(ヘブライ人への手紙12章10~12節)。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛、溢れる慈しみの中に包まれ、御前にあることを心から感謝致します。

 主よ、あなたは私の罪を滅ぼすために十字架にかかられました。あなたが私に代わって死んで下さったというのは、この私が死んだということです。主よ、もう私は私のものではありません。あなたのものです。

 あなたはこのような者をあなたの住むべき宮、神殿として下さるというのですか。私は、どうしたら良いのでしょう。ただ、あなたに全てをお委ねするだけです。あなたに全てをお任せします。あなたが良いと思われるよう、この身になして下さい。

 どうか自分の罪の中で苦しみ、もがいている方にあなたの光を照らして下さい。あなたの希望を注ぎ、あなたが全ての罪を背負って死んで甦って下さったこと、今も生きて、満たして下さることを知ることが出来るよう、お一人お一人の傍で支え、親しくお導き下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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