聖書日課 エゼキエル書25章(新共同訳 旧約pp.1335-1336)
25章には、イスラエルの周辺諸国に対する主なる神の裁きが預言されている。
「主の言葉がわたしに臨んだ。『人の子よ、顔をアンモン人に向けて、彼らに預言せよ。アンモン人に言いなさい。主なる神の言葉を聞け、主なる神はこう言われる。お前はわたしの聖所が汚され、イスラエルの地が荒らされ、ユダの家が捕囚となって行ったことを、あはは、と言って嘲った。それゆえ、わたしはお前を東の人々に渡して彼らに所有させる。彼らはお前の中に陣営を張り、住まいを定める。彼らはお前の果実を食べ、お前の乳を飲む。わたしは都ラバを、らくだが草をはむ所とし、アンモンの地を羊の憩う所とする。そのとき、お前たちはわたしが主であることを知るようになる』」(1~5節)。
「アンモン」、「モアブ」、「エドム」、「ペリシテ」、これらの民族は、イスラエルの滅亡を見て喜んだり、馬鹿にしたり、嘲ったり、挙句はその期に乗じて、復讐したりさえした。それ故主なる神は、彼らに裁きの手を下し、滅ぼすと宣告された。
イスラエルの罪を裁かれた主なる神は、イスラエルだけではなく、イスラエルを嘲り苦しめる民族の罪も裁かれる。何故なら、主なる神は全世界を統べ治められる御方であり、無慈悲や復讐心をそのまま放っておかれることはないからである。
箴言で次のような言葉がある。
「敵が倒れても喜んではならない。彼がつまずいても心を躍らせるな。主がそういうあなたを見て不快とされるなら/彼への怒りを翻されるであろう」(箴言24章17~18節)。
しかし、この預言は、そのような国々に対してだけ語られているのではない。主なる神は、これをイスラエルに向かっても語っておられるのではないか。それは、イスラエルが怒りや憎しみに駆られて、自らの手で復讐するようなことをしないためである。
「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『「復讐はわたしのすること、わたしが報復する」と主は言われる』と書いてあります。『あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。』悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」(ローマの信徒への手紙12章19~21節)。
やられたらやり返す、そういう罪の悪循環を断ち切るのは、主なる神への深い信頼と従順の心である。
祈り
愛する天のお父様、尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と深い慈しみの中に置き、御前に引き出して下さったことを心から感謝致します。
主よ、心の中にある卑しい高慢を恥じます。私達一人一人の価値は、あなたが一人一人を造って下さったこと、一人一人があなたのものとされていることにあります。
にもかかわらず、私達は、それを相対的なものとして卑しめ、あなたの御名を汚しました。主よ、お赦し下さい。
罪に倒れる人を見る時、私の中にも同じ罪を認め、共に悔い改めることが出来ますように。その人を助ける者となることが出来ますように。共にあなたの御前に生かされる者となりますように。あなたの御心を自分の心とすることが出来ますように。
人生の苦しみの中にあるお一人お一人にあなたの御手を伸ばし、今日もあなたご自身が背負い、支えて下さいますよう、心からお願い致します。
感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
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