聖書日課 エゼキエル書18章(新共同訳 旧約pp.1321-1322)
「神がいるなら、どうして戦争なんか起こるんだ! 神がいるなら、どうして世の悪をそのままにしているんだ? だから、神なんかいる筈ないし、いたとしても、自分には何の関係もない!」…20代前半の頃、高校時代の同級生が私にそう言った時、私は何も答えることが出来なかった。
しかし、今は分かる。それは丁度、苦難の中でイスラエルの人々が「主の道は正しくない」と言ったのと同じだということを。
「正しい人がその正しさから離れて不正を行い、そのゆえに死ぬなら、それは彼が行った不正のゆえに死ぬのである。しかし、悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、彼は自分の命を救うことができる。彼は悔い改めて、自分の行ったすべての背きから離れたのだから、必ず生きる。死ぬことはない。それなのにイスラエルの家は、『主の道は正しくない』と言う。イスラエルの家よ、わたしの道が正しくないのか。正しくないのは、お前たちの道ではないのか」(26~29節)。
戦争を起こしたのは誰だろうか? 悪を行ったのは誰だろうか? それは私達人間である。私達一人一人にその責任がある。その責任を棚上げして、「主の道は正しくない」と言うのは、全くの責任転嫁であり、自己中心の極みである。
主なる神は罪を裁かれる。罪をそのままにしておかれることはない。しかし、人を苦しめ、滅ぼすことが主なる神の願っていることではない。
「それゆえ、イスラエルの家よ。わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く、と主なる神は言われる。悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。罪がお前たちをつまずかせないようにせよ。お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」(30~32節)。
主なる神の御心は、私達が「悔い改めて」、主に「立ち帰って生き」ることである。そのために、主なる神は、独り子イエス・キリストの命を私達の身代わりに十字架にかけて献げて下さった!
祈り
愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな愛と恵みの中に置いて下さることを心から感謝致します。
主よ、あなたがこの私を、一人の存在として見て下さっていることを感謝します。自分の罪深さを先祖や環境のせいにせず、自らの罪として認め、日々悔い改めて生きるようにお導き下さっていることを感謝します。
主よ、正義と公正に生き、あなたを愛し、隣人を愛する愛をこの罪深い者に注いで下さい。毎日、あなたに立ち帰り、あなたの御前に罪を告白し、あなたの温かい命に満たされて生きることが出来るよう、助け、導いて下さい。
心から感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00
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