ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 イザヤ書50章

聖書日課 イザヤ書50章(新共同訳 旧約pp.1144-1145)

 絶体絶命! 万事休す! …イスラエルの人々にとって、バビロン捕囚はまさにそういう出来事だった。しかし、それは、主なる神が変わってしまったからではない。自分達が犯し続けた「罪によって」彼らは「売り渡され」た。

「主はこう言われる。お前たちの母親を追い出したときの/わたしの離縁状はどれか。お前たちを売り渡した時の債権者は誰か。お前たちの罪によってお前たちは売り渡され/お前たちの背きのために母親は追い出されたのだ」(1節)。

 だから、彼らは、何よりもまず自分自身の罪を認め、悔い改めて主なる神に立ち帰るのが第一になすべきことであった。

 ところが、なかなかそうはいかなかった。彼らは、罪を悔い改めて主なる神に立ち帰るよりも、目の前で起こった出来事に圧倒されて、「もう駄目だ。全てが終わってしまった!」と絶望し続けていた。

 これは私達の現実でもあるのではないか。私達は、自分の限界を主なる神にも当てはめてしまう。そのようなことは有り得ないと諦めてしまう。

「何故、わたしが来ても、だれもいないのか。呼んでも答えないのか。わたしの手は短すぎて贖うことができず/わたしには救い出す力がないというのか。見よ、わたしが叱咤すれば海は干上がり/大河も荒れ野に変わる。水は涸れ、魚は異臭を放ち/渇きのために死ぬ。わたしは、天に喪服をまとわせ、粗布で覆う」(2~3節)。

 これは、私達にも語りかけられている主なる神からの問いかけであると言える。私達は今、主なる神への真実な信仰に立っているだろうか?

 信仰とは、「自分には出来なくても、主なる神には出来る!」と信じて従うことである。婚約中のマリアに天使ガブリエルが現れ、「あなたは身ごもって男の子を産む」と告げた時、驚いたマリアが「どうして、そのようなことがありえましょうか」と言うと、天使は答えた。聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。…神にできないことは何一つない」。この時マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」(ルカによる福音書1章26~38節)。…ここに信仰がある。

 夜通し漁をしても一匹の魚も取れなかったペトロに、イエス・キリスト「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われると、ペトロは答えて言った。「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」(ルカによる福音書5章4~5節)。…ここに信仰がある。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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