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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 エレミヤ書18章

聖書日課 エレミヤ書18章(新共同訳 旧約pp.1210-1212)

 或る日、エレミヤは「陶工の家」に行って、その「仕事」を見た。「陶工」「ろくろを使って」「粘土」をこね、「一つの器を作っ」た。ところが、「気に入らな」いので、それを「自分の手で壊し」、再び「作り直」した。その時、エレミヤに主の言葉が臨んだ。

イスラエルの家よ、この陶工がしたように、わたしもお前たちに対してなしえないと言うのか、と主は言われる。見よ、粘土が陶工の手の中にあるように、イスラエルの家よ、お前たちはわたしの手の中にある」(6節)。

 イスラエルは、主なる神によって選ばれ、愛され、造られた。彼らは主の御手の中に存在していた。ところが、彼らは主に逆らって、自分勝手な道を歩み続けた。

「しかし、わたしの民はわたしを忘れ/むなしいものに香をたいた。彼らは自分たちの道、昔からの道につまずき/整えられていない、不確かな道を歩んだ」(15節)。

 それ故、今彼らの前に、主の裁きの御手が伸ばされようとしていた。そこで、主なる神はエレミヤを通して、そのような危機的状況にあるユダの人々に向かって、罪を悔い改めて主に立ち帰るよう勧め、警告した。

「今、ユダの人々とエルサレムの住民に言うがよい。『主はこう言われる。見よ、わたしはお前たちに災いを備え、災いを計画している。お前たちは皆、悪の道から立ち帰り、お前たちの道と行いを正せ』」(11節)。

 しかし、その時ユダの人々は言った。

「彼らは言った。『それは無駄です。我々は我々の思いどおりにし、おのおのかたくなな悪い心のままにふるまいたいのだから』」(12節)。

 これが人間の罪の現実である。罪は、主なる神に聞き従うよりも、自分の思う通りにしたいと願う。主なる神の御心を知っていても、頑なさの故に聞き従うことはない。それは、キリスト者であっても同じである。「主よ、主よ」と言いながら、御心に従わず、自分の思いと感情のままに生きているなら、エレミヤの時代のユダの人々と同じである。

 主は、苦難と試練によって、頑なな悪い心を砕かれる。しかし、そうなる前に、主なる神は必ず呼びかけ、警告して下さる。私達が、自ら主の御前に謙って、主と共に歩むようになるために…。

祈り
 愛する天のお父様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。今日もあなたの大きな憐れみの中に握り、御前に引き寄せて下さったことを心から感謝致します。

 主よ、あなたは「陶工」、私は御手の中にある「粘土」です。私は、あなたの御手の中にあることを望まず、外に出て行こうとしました。しかし、そこで罪に倒れ、病と絶望に陥りました。あなたは人を遣わして、私をあなたのところに連れ戻し、あなたを否定したこのような者の上にあなたの御霊を注いで下さいました。

 私は命に満たされ、癒され、新しい存在へと造りかえられました。主よ、真に聖書の言葉は、遠い過去に語られただけではなく、今に生きる私達にも語りかける、あなたの永遠の言葉です。今も同じように働いて下さるあなたをほめたたえます。

 まだ罪に引きずられる傾向を持つ者ですが、どうかあなたの御手の中にしっかり握って、更に造り変えて下さい。あなたの御心がこの地に成るために、あなたの御心に従う者となることが出来ますように。

 痛みの中にある方に、あなたご自身が語りかけて癒し、「陶工」「粘土」から尊い「器」を造るように、お一人お一人を尊く用いて下さい。

 感謝して、尊いイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119

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